ウォーキング:3時間

昨日、善福寺川緑地辺りを3時間ほど歩いた。
ジョギングコースとして良さそうだと前々から思ってはいた。思ってたけど行ったことがない。

公子ちゃんの本「はずかしい」にここをジョギングした話が出ていて、触発されて行ってみた。

自宅からその善福寺川緑地に行くまでに歩いて1時間かかった。
その途中の道には、「日本じゃないみたい」な某宗教団体の大聖堂を見ては写真を撮ったり、テレテレと歩いた。
大聖堂

大宮神社。その裏手には緑地が広がる。
大宮神社

オオオ、これはいい感じですのー。
ジョギングする人、歩く人、バーベキューする人、ベンチでお弁当を食べる人、犬を連れている人。
善福寺川緑地

善福寺川緑地

善福寺川緑地

さらにテクテク歩き、緑地の終点まで来た。
みると、東京で始めて暮らした住所・杉並区成田西4丁目じゃありませんか。おもわず、そちらに方向を変える。前方にどこかの駅に向かっていると思われる学生もいるので、まぁ、いずれどこかに着くだろうと呑気に考えながら、まわりをキョロキョロ見ながら歩く。
すると、突然、目の前に私達が暮らしたあの女子寮が表れた!
旧・共立女子大寮

旧・共立女子大寮

ここだ! ここが東京で始めて暮らした女子大の寮でござんす。
卒業してからゲゲゲーーー25年ぶり。
女子寮は、今年、新しい寮に移転したのを機に閉鎖されたので、誰もいないだろうガランとしたたたずまいだが、あの日のままだ。

ここですぞ、この玄関で同級生と待ち合わせて、一緒に通学した。
旧・共立女子大寮・玄関

玄関を見ると2階建てだたが、私は新寮と呼ばれた4階建てで2年間を過ごした。
そちらにグルリとまわってみる。
旧・共立女子大寮・新寮

当時は、女子寮はバラの木で覆われ、そのトゲで外部の侵入を防ぐという策を講じていた。そのバラの木はなくなり、こういった鉄のものに変わっていた。

デンジイと呼んでいたおじさんが毎日バラの手入れをしていた。デンジイは60代ではなかったろうか? 元々は電気関係の仕事をしていたらしい。寮のあらゆる修理も担当していた。それで電ジイという名前だったように思う。

今思うと、こんなに道路に面して建っていたのか。
庭のテニスコートは草が生い茂っていた。ちょっと小高くなったところにはビニールハウスがあって、そこでデンジイが花を栽培していたはず。今はあるじを失って、草だけが生い茂っている。
旧・共立女子大寮・お庭

その昔はこの辺りは別荘地だったと聞いた。大きな邸宅が並び、全体にひっそりとしていた。各家には緑が多く、人口密度が低いから道路を通る人は少ない。非常に閑静な住宅街だった。朝になるとお迎えの黒塗りの車が並ぶというそういう場所だった。

その大きな邸宅は何棟ものマンションに変わっていた。そのうちの一つが女子大の「新しい寮」になったようだ。

もう一周する。
玄関の上は、お裁縫室だった。
当時の女子寮には500名近い生徒がいて、当時でも「部屋にコンセントがない」ことは同級生を驚かせたわけで、電気が使えるのはお裁縫室だけだから、髪をかわかす為にドライヤーを持って、コンセント待ちをした。同級生同士でブローしてあげたり、そういうことも楽しい思い出だ。

この玄関で、私は私の両親と始めて別れた。

その翌年、下級生を向かえる係として玄関で案内をしていると、一つ下のリカちゃん(目がクルっと大きい、リカちゃん人形のようなかわいらしい人)は見送りに来た家族と別れる時に、大泣きをした現場に遭遇した。

「大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」などと上級生らしくしっかり者を演じた。私もその前年は寂しくて泣きたかった事を思った。

あの時と同じ通学路を南阿佐ヶ谷駅に向かって歩いてみる。マンションに建て替えたところが多くて迷う。そんな中、最初に身の回りのものを買ったと思われる店はある。「須賀神社」もあの日のままだ。変わった建物と古い建物を交互に見ながら、南阿佐ヶ谷駅にたどり着く。
須賀神社

南阿佐ヶ谷駅の上の本屋さん、まだあるかなー?とのぞいたら、あった。
あの時と同じく、所狭しと本が積んである。学生が多い街なので、昔も今も文学的な本が多く並ぶ。詩や短歌のコーナーもある。ユリイカはバックナンバーも置いている。嬉しくなった。ありがとうの感謝の気持ちを込めて本を2冊買い、地下鉄に乗って帰った。

ジョギング(なまけ虫・発生中)

夏は、私が参加出来るような手頃なマラソン大会が(東京近郊に)ない。秋までは自主トレと決め込んだ。すると途端に「なまけ虫」が発生してしまう。いかん・いかん。

「ランナーズ」を読むと、夏は暑くて走るのがいやになるけれど、毎日30分程度走る(走り続ける)ことが大切なようだ。30分コースをトコトコ走る。走った後は爽快。走る前は「なまけ虫」が大量にウジャウジャわいて出る。「なまけ虫」とどれだけ戦って勝つかが勝敗の分かれ目だな。

ワールドカップサッカーは残念でした。
強いチームはよく身体が動いているし、気も充実している。これはやっぱり日頃の練習の成果だと思う。ハングリー精神といいますか。今の我々は食うに困らない生活を送ることが出来るし、夏はクーラーの下でぬくぬくすることも出来るから、ハングリー精神を鍛えることは、よほど頑張らないといけないなぁ。そういう時においても頑張り抜くためにどうしたらいいか、知恵をしぼらないとね〜。

ということで、「東京マラソン」に申し込んだ。はてはて、走れるだろうか・・・。

燃え尽きておりまする

昨日のマラソンで、足の爪部分が痛い。なぜだか知らないけれど、前々から、右足の中指の爪だけが内出血で黒くなっている。そこだけ靴にあたってるようだ。

でも、おかしいじゃないか。中指よりも長い指はあるのに、なぜ中指があたる?
今日は、歩いただけで爪が靴にあたって痛むので、おとなしくしている。

先月までの忙しさは一段落し、マラソンは終わり、少々、燃え尽き症候群でござんす。

第38回六無月東京喜多(北)マラソン

天候は晴れ。
本日のマラソンは王子駅から都営バスで6つ目「宮城2丁目」から歩いて数分の荒川河川敷。金八先生のロケ地にもなったらしい。

現地に到着すると、このようなテントが用意されていて、楽しい雰囲気。今回は大手のスポンサーがついていなくて、「北区のラジオ体操連盟」が主催だ。アットホームな雰囲気が楽しい。年配のご婦人達が大会本部をしきっている。私の母も気仙沼の五十鈴神社(おしめさん)で毎朝、ラジオ体操をしているので、親しみを感じる。
六無月東京喜多(北)マラソン1

ゼッケン番号は「1731」がんばるぞ!
ゼッケン1731

12時40分:集合時間。
まずはラジオ体操から始まる。ラジオ体操、第1、第2、と続く。老若男女をとわず参加者全員が音に合わせてキチっとラジオ体操出来るのは、この国の文部省の定めるところの教育が全国津々浦々まで行き届いていることがわかる。圧巻。

スタートを合図する大会本部のおじいちゃんが楽しいおやじギャグを飛ばしながら、コース説明をしてくださる。こういう地元の大会っていいね。お年寄りが生き生きしていていいね。

スタートは13時10分。
これまでで一番遅いスタート時間。そして最も暑い時間。夜しか走ってない私は日差しに弱い。帽子を深くかぶり、いざいざ出陣。本日、ここに立てたことに感謝。

このところの忙しさで練習はままらなず、昨日は体調をくずし、下痢をしたり、顔がむくんだりしていた。今日はとにかく「完走」が目標。タイムは二の次で楽しく走りたい。

いざ、スタート。
スタート直後、すぐ前にいた3人組の男性のうち一人が「イデデデデデデ、足がつった。ダメだ。先に行ってくれー」と叫ぶ。私も今日は足がつりそうな、さっきからふくらはぎを何度もストレッチしているけど、今日はそんな日だなー。

橋が見えるので、その4つ目の橋でUターンするというコース。
1つ目の橋は間もなく見えて、いい感じで走っている。ところが、2つ目の橋が遠い。全然、見えない。絶望的に橋は見えない。暑い日差しで呼吸が乱れる。胃のあたりが辛い。練習不足。。。

自分のペースを取り戻し、少しゆっくり走ることに決めた。そんな中にあっても女性達とのデットヒートがあり、抜きつ、抜かれつして折り返し地点。水分補給とともに、争っていた女性達は一気に前に出た。私も少し後を追ったが無理だ。あとはドンドン引き離され、、、。

しょうがないので「くれーなずーむ町に〜」などと心の中で歌いながら、自分を励ましつつ、なんとかゴールへ。

今日はタイムがすぐに出た。「1:1:39」
先に行ってしまった女性は「59分」だったようで、あの差が1時間を切れるか切れないかの違いなんだね。

走り終わってからも汗がダクダク流れる。走れたー、良かったー。
夏は手頃な大会がないため、秋までは自主トレを積み、秋はハーフに挑戦したいと思うのであります。

足がツルー

昨晩、走った。
明け方、足がつった。イデデデデデデデー!(この姿は他人様にはお見せ出来ません)。小太郎・あわてふためき、ワオーン!

最初に右足がつり、次に左足。左足は数回つった。起きてからも左足(ふくらはぎ)が痛い。ジョギング部の翌朝は足がつる。どうして足がつるんだろう?

こちらのページを読むと、「運動不足の人が急に運動をしたり、」と書いてあって、ハーイ、それでーす。ストレッチと水分補給も大事みたい。

先日のマラソンの結果

東京は曇り、時々、霧雨。
第10回 東日本国際親善マラソンの結果

先日走った「第10回 東日本国際親善マラソンの結果が届いた。ありゃー、1時間50秒だったワン。
その前の立川マラソンは「1:02:46」だったので、約2分縮めて、自己ベスト。

壮年女子(40歳以上)では146人中103位。ビミョーな順位。1時間以内にあと一歩、100位以内にあと一歩かー。

第10回 東日本国際親善マラソン

第10回 東日本国際親善マラソン
天気予報では雨。
会場に入る前に一瞬パラリと降ったが、それきり、天気は持った。
正直、、、棄権しようかと思っていた。
このところ(珍しく)忙しくて、不規則な生活と不十分な練習。トホホな週末。
インヤ、申し込んだからには出てみるべー。

朝6時に起きて7時出発。
新宿から小田急線に乗り「町田」で降りると、JR横浜線に乗り換えて「相模原」で下車。
会場は駅を降りるとすぐの米軍基地だ。
基地に入る前にパスを見せて、荷物検査を受ける。
検査のために会場前は長蛇に列。基地内での写真撮影は禁止でビデオカメラの持ち込みも禁止。

米軍基地に入るのは初めて。ひろーーーい。こちらから見るマンション群は、ニューヨークのセントラルパークから見る眺めにも似ている、と思っていると前を歩く女性達が「韓国みたい」と言っている。

立川マラソンと同様に更衣室用のテントや簡易トイレが設置されている。荷物は200円で預かってくれる。

本日のゼッケン番号は「5004」番。
5004

ストレッチなどして待つ。ストレッチだけで足がつりそうだよ(オイオイ)。
10kmの前の5kmのスタートを見る。うわっ、5kmの皆さんは速いっす。

そして10kmの部。
スタート位置は、「45分以上」とか、そういうプラカードが書いてあるところに並ぶ。男女の別も年齢別もない。私は「45分以上」の真ん中あたりに立つ。

スタート直前。どこからともなく拍手が。本日、この場所に立てたことに感謝する。
10時10分スタート。

ん、、、前回よりも道幅が狭い。
ゆっくりのスタート。追い越そうとする人がひしめきあっている。
会場は左まわりあり、右回りありで、追い越し車線がどちらかに統一されていない。私はヨロヨロ走ってるんで、結構、ジャマ(たぶん)。なるたけ、端に寄りながら走る。最初に飛ばしすぎると後がもたない」というのは前回の教訓。わかっちゃいるのに、ついつい、まわりのペースにのまれて、いつもより速いペース。

途中で気がついたのは、私の歩幅は狭いのに、まわりの「ダッダッ」という足音につい歩調を合わせてしまっている。私は「トコトコ」っと走るのがベストなのに。

でもまぁ、今回はいい感じかなーと思いながら、つい時計を見てしまった。ゲゲゲー・まだ13分しか経ってない。気持ち的には、もう半分くらい行ってるつもりだったが、こんなもんではダメだわい。一気に力尽きた。。。。あとから思ったが、もう途中で時計を見るのはやめる。だって、途端にやる気をなくしちゃう。

青山学院大学・吹奏楽部の皆さんの演奏がお祭り気分を盛り上げてくれる。

私は呼吸困難に陥り、ヒーヒーフーなどとやっている。ドンドン追い越され、気が遠くなる。こんなことでは、気仙沼中学校・女子バスケット部出身、鼎が浦高校・硬式庭球班(うちの高校は部のことを班と呼ぶ)出身としては、なさけない。心の中で(学生の時のように)「ファイト・ファイト」と言ってみた。

あと1kmが見えた時に、ふっと身体が軽くなって、すーっと前に出た。うわ、これは行けるか。調子にのってスピードをあげた。パタリ。500m手前で力尽きた。さっき追い越した人に追い越され、ヨロヨロしながらゴール。

前回よりも1分、記録を縮めたようにも思うが、それにつきましては公式結果を待つことにしよう。
完走出来てよかった!
次もがんばろうーっと。
いつかはフルマラソン、だもんね。

参加賞を受け取るために並んでいると、隣にいた若い女性達が「10kmは楽しいかもー」なんて話している。「5kmはペースが速くてキツイけど、10kmはゆっくりで楽しいよね」だって。あたしゃ、10kmも相当にきつくて辛い。くーーー、いつの日か「楽しかった」と言えるように走りたいなー。

米軍基地内では写真撮影禁止なので、帰る時に相模原駅から記念の写真をパチリ。この塀の向こうが米軍基地なんだけど、これじゃ、全然、どこだかわかんないか(笑)
相模原駅にて