東京は桜が満開

東京は桜が満開です。
でも、夕方からあいにくの雨。
お花見を予定していた人には残念な雨。

桜が咲くと、決まって雨が降る気がするのは気のせいでしょうか?

本日も少しだけ走ってみました。
昨日はゆっくり走ったので脚の筋肉痛はほとんどないが、身体全体が疲労していてだるい。「ゆっくり長く走る」という事は簡単に思えて、実際にやってみると難しいものですね。

吉例:テレパスお花見2008/雨で中止

東京は桜が咲いちゃったので、急遽、会社のお花見。
いつもの四谷駅近く。
ところが出発する頃から雨が降り出し、到着とともに降ってきた。

急遽「中止」を決定して会社で飲み会を。
今年の桜は早いです。今週末が見頃ですなぁ。

ある女性経営者を囲んで…

ある女性経営者のIPOを祝う会に参加させて頂きました。
いつものメンバーで、いつもの丸ビル「ななは」の丸テーブル。

経営者として「IPOする」ことは必須という立場にあり、そしてそれを成し遂げるには大変なご苦労があったろうと思うのですが、ぜーんぜん苦労なぞ感じさせない。

頭が良くて、美しくて、オーラが出ている。しかも母親です。お子さんの話の時は、一瞬、母親の顔になります。それがまた魅力的で。お母さんは当然、ご飯を作ったり、洗濯したりする。そしてIPOする。すごいですよ、ホント。

お話を伺うと、マネジメントとしての考え方は、私と同じような方向性のように思えるのです。けれど、経営の手法、目標値、ビジネスモデル、そういった事は全く違う。そこに私との大きな差が生じるのでしょう。

今日は女性が多く集まりました。
彼女の存在は、上昇志向の女性達に大きな夢を与えてくれたと思います。

さ、私も今一度、経営を見直そう。勉強しよう!

私に出来ることは?

日曜日のマラソンの帰り、中央線で「座れた」と思った途端に熟睡してしまい、首をガックンガックンさせながら気持ち良く乗っていた。途中の駅でかろうじて意識が戻るものの、すぐに眠る。「三鷹」を過ぎて「吉祥寺」を過ぎた。「荻窪」で降りようと思いながら、また眠っている。

ふっと気づくと、あぁぁあ、荻窪を過ぎてしまった。
ま、いっか。「中野」で降りよう。
呑気な日曜の午後であります。

・・・と次の瞬間。
隣に座っていた中年の女性が、「お父さん、お父さん!」と向かい側に座っている男性を呼んだと思ったら、その隣の若い女性がガクっと倒れ、全身が痙攣して、うめき声をあげる。とっさの事で何が起きたかわからない。

前に立つ若い男性2人は、おもわず数歩後ずさりした。
お父さんが、やってきて若い女性を見る。お母さんがお嬢さんを抱きかかえて「大丈夫よ、大丈夫」を連呼。お父さんも「大丈夫だぞ、大丈夫だ」と連呼。「次で降りる」と言っている。

降りようにも女性は硬直して、うめき声をあげている。
お父さんとお母さんは、私よりも年上だと思う。50歳代か、60歳に近いか。

お父さんが「おぶって降りる」と言う。
私、「え!おぶうの?(声にならない心の声)」
お父さんの腰は大丈夫かしらん?などといらぬ心配をする。
お母さんも「お父さん、大丈夫?」と心配する。
「大丈夫だ」とお父さん。

中央線は休日ダイヤで「荻窪」の次は「中野」に止まる。
その間、とても長く感じる。
中野に近づくにしたがって、お父さんは、おぶう体勢をとる。
お母さんに向かって「ここに腕をまわして」と指示をしている。
電車の中は、皆の視線が3人に集中している。

とっさに私は立ち上がり、荷物を持ち上げながら、「荷物を持ちます!」と言った。私に出来ることはそれしかない。。。お母さんが恐縮そうな顔をするから「私も降りますんで」と言うと、「すみません、すみません」と何度もおっしゃる。

お父さん、お母さん、おぶさった若い娘さん、そして4人分の荷物を持った私がホームに降りる。

降りた近くに駅員室があるので開けようとするも、扉に鍵がかかっていて開かない。
「開きません」と私。
「下へ」とお父さんの声。
「ハイ」と私。
「救急車を」とお母さんの声。
「ハイ」と私。

階段を降りる。あたりを見るが駅員さんがいない。
南口の出口に向かって私が指を指し「駅員さんを呼んできます」。
走りながら、駅員さんを探すもいない。

南口まで走るが、そこにも駅員さんがいない。
ウッソー。
ガラス窓をドンドンと叩きながら、「救急車を呼んでくださーい」と叫ぶ。
3回以上叫ぶ。いない。

後ろから走ってくるお父さんとお母さんに向かって、首を横に振って「いない」と合図を送っていると、「どうしました?」と窓ガラスの中に駅員さんが現れた。
あーーー、駅員さん!(ホッとした)。
とにかく「救急車お願いします」と言いながら、娘さんを指さした。

私のところまでたどり着いたお母さんは、何度も何度も私に礼をされる。私は何もしていない。ただ荷物を持って走っただけ。

お父さんは駅員さんに「おそらく、てんかんだと思います」と話している。

てんかん。

私は、それを言葉としては知っているけれど、その発作を見たことがなかった。大変なんだ。

私はその場に立ち尽くしている。
お父さんとお母さんは何度も頭を下げる。
あとは駅員さんと救急車がどうにかしてくれるだろう。
私がそこにいても、お2人が恐縮されるだけだ。私は挨拶をして改札を出た。

後日、ネットで「てんかん」を調べると、大人になってから発病することもあるようだ。私達は、いつ病気になるかわからない。病気を持った人に優しい町になるといい。

けど「どうして、電車の中の若い人達が(大勢いたのに)お父さんを助けなかったのか」と腹立たしく思えた。

誕生日47歳

47歳です。50歳まで秒読みになりました。

自分がこんなに年をとるなんて(頭ではわかってますよ、でも、、、)思ってなくて、いつか人は老いていきます。当たり前だけど、そんな事を誕生日に思います。

46歳は皆様のおかげで充実した1年を過ごしました。
マラソンをはじめて(最初が遅かっただけに)続けていると、それなりに記録を更新し、マイルスカフェでジャズピアノを始めて、たどたどしいながらもアドリブしてみたりしています。

そんな幸せな46歳の最後の1ヶ月は予想もしなかったトラブルが発生して、神様から「気を抜くな」と注意されているような心地でもありました。

人生50年と考えると、あと数年しかありません。
「自分の死」ということを考えます。この数年の間に、父方の祖母、父、母方の祖母、叔父、叔父を相次いで亡くし、昨日はSさんが亡くなったと連絡が入り、いやがおうでも私も自分の幕引きを考える、そういう年齢になりました。

後悔しない人なんていないと思います。
けれど、せめて、その瞬間に自分の人生を「良かった」と思えるように生きてゆきたいものです。

ちなみに、20歳の記念に手相を見てもらったら「あなた長生きしますよー」と言われているんですけどw。

訃報:バンドの先輩

信じられない訃報が届いて、驚いて、あっけにとられて、そして悲しみが少しずつ現実になって来ました。

先日の日曜日、一緒にバンド練習をして、帰りは車で送っていただいたギターのS氏が亡くなったという知らせ。まだ55歳。今朝、通勤途中に具合が悪くなり、病院に運ばれて亡くなったと。

クルセイダーズのギターも、どの曲を演奏しても上手くて「ギターがこう入るからピアノはこう」と的確にアドバイスを頂いて、帰りの車の中では音楽以外にも楽しい話をあれこれして頂いて、、、。

この4月からお嬢さんが社会に出るので「その前に一緒に海外旅行に行くんだ」と嬉しそうに話していて「娘と一緒の海外なんて、最初で最後だろうな」と。その旅行が今月の連休だというのに。

無念でなりません。合掌。

SOMEDAY

事務所のラジオから佐野元春の「SOMEDAY」が流れている。
1981年発売のこの曲を、聴くたびに私は20歳に戻る。

なんでも出来そうな気がした20歳。
そのくせ、親のすねをかじっていた20歳。
ただ吠えているだけの20歳。

「ハピネス♪」を一緒に口ずさんだ。おもわず笑みがこぼれる。
「だからもう一度あきらめないで♪」

もうスッカリおばちゃんだけど、まだ何か出来る!
「まごころがつかめるその時まで♪」

インドには行けなかったけど

インドで視察する予定だった企業の方が、日本に営業拠点があるということで、訪ねて来てくださった。
私が現地で見てみたかったことをあれこれと質問すると、日本語でわかりやすく説明してくださった。もし縁があれば、ぜひ現地の状況をこの目で見てみたいものです。