読書:フォワードなき日本格差社会

本日、朝の新幹線で東京に戻る。新幹線では弟から借りた本を読む。

「フォワードなき日本格差社会」二宮清純・著。
フォワードなき日本格差社会

二宮清純氏と木村剛氏の対談で話は進む。
サッカーワールドカップの「日本にはフォワードがいない」ということから、サッカーだけではなく、日本社会全体が同じような状況だという話へと続く。

「教わらないと不安というのは決断回避」
これは、日本社会全体の問題になると思うんですが、日本人って「教わらないと不安」という面がある。自分で学べばいいのに、教わらないと不安に陥ってしまう。「ジーコは試合を見にこない」と怒っていたクラブ関係者もいたが、「見にくるよう要請したか?」と聞くとアポさえ入れてなかった。「先生は常に助けてくれる」と思っている。

最近では良い学校を卒業した人に出ているように思う。塾が完備され、「効率的な学習方法を学ぶ場」がある。

以前は国立大学は「苦学生」という言葉が似合った。
子供の時は原っぱで、何もない空き地で、工夫して遊ぶということから始まり、効率的な学習方法も自分で生み出す。大人が子供の遊びを整備しすぎるのは創造力を高める時期を逃すような気がしてならない。何もないところでも、子供は遊びを見つけ出す天才だ。

「名監督は名シェフであるべし!」
面白いのは、トルシエを生んだフランスでは、「名監督は名シェフだ」と言うらしんんですね。また、「今ある食材で一番いい料理を作るのが『名シェフ』だ」と。

中小企業などは本当にこれです。
いい人材は大手企業にいってしまう。そういう事を嘆いていては何も進まない。だから、今ある素材を一番に育てる。難しいんですけどね。だから私は経営する中で大事なことは教育だと思っている。しかしながら、なかなかうまく進まないのも事実でして。

叔父の葬儀

菩提寺の宝鏡寺で営まれた。
大勢の方にお越しいただきまして、本当にありがとうございます。

葬儀の為にいとこ連中13人・全員が集まった。
大人になると全員集まるのは珍しい。
みんな立派な大人になったなーとババくさいことを思ったりする。
子供の時はみんなで大谷海岸に行ったっけね。楽しかったね。

私は線香の煙なのか、それとも疲労なのか、なんだかわからない頭痛が出てしまい、本日、東京に戻る予定が一日ずらすことにして、夜は寝ていた。

気仙沼地方の葬儀

お葬式の仕方は地方によって異なる上に、各家庭によっても異なる慣習があるので難しい。
慣習を変えるのは親戚連中を説得しなければならず、場合によっては皆を敵にまわすことになる。こういった緊急事態の場では避けたいもので、「前はこうやった」という事に従いつつ、若い喪主がわずかに新しい事を取り入れ、まぁ、そうやって微妙には変化しているのだろう。

気仙沼地方では、告別式の前に火葬をする。
このことを東京で話したら、ことのほか驚かれた。

つまりこうだ。
人が亡くなると、まずは自宅で仮通夜といってごく親しい人だけに「お知らせ」してお越しいただく。火葬許可がおりると火葬をする。火葬許可が降りるには24時間過ぎてから、と決まっているから、その間が仮通夜ということになる。ここで御日柄が悪く、友引にでもなろうものならば、日を改める。

火葬には、親しい人などが集まる。
火葬した遺骨をそなえて、本通夜となる。
その後に告別式。

こういう段取りだから、東京の葬儀よりも長くかかる。

聞いてみると、同じ宮城県であって仙台では告別式の後で火葬するようだから、気仙沼地方の慣習のようだ。その理由はハッキリとはわからないが、海の事故で亡くなると、遺骨なしの葬儀になってしまうから、まぁ、そういうことからこうなっているのかなとは思う。

本日、叔父の火葬と本通夜が執り行われた。

読書:これからはあるくのだ

「これからはあるくのだ」角田光代・著。
これからはあるくのだ

前から気になっている作家・角田光代氏の本。まずはエッセイから読んでみようと思った。
本のタイトルにもなっている「これからはあるくのだ」は、たまたま前方から歩いてきた老人がころんでしまった時に、角田さんが乗る自転車を指差し「猛スピードでぶつかった」と事実と異なることを言い、そんなことから、二度と自転車に乗るまいという決意し、「これからはあるくのだ」となる。

その様の描写が活き活きとしていて良い。
小説も読んでみたい。

叔父・亡くなる

父の弟(三男)が亡くなったと知らせが来た。
今年の正月明けに倒れてから意識がなく、家族が付きっきりで看病したものの帰らぬ人となってしまった。

私が子供の頃、叔父が結婚する前は一緒に住んでいた。
叔父は新しいもの好きで、そういう点は祖父に似た。

叔父のカメラのおかげで私の赤ちゃん時代の写真は豊富にある。
8ミリカメラを買っては撮影をし、夜は上映会を行った。
家業に早くからパソコンを導入したのも叔父によるところだ。

叔父は口は悪いが心根は優しい人だ。歌が好きで、キチっとしている。
それでいてパチンコが好きで、煙草は最後までやめなかったらしい。

数年前に大病をし、「手術も出来ない」と言われたようだが、化学療法で奇跡的に手術可能な状態になり、手術をした後は奇跡の復活を成し遂げたが、今回ばかりはそうはいかなかった。
正月休みに娘が帰ってきていたから、ホッとしたのかもしれない。

一人また一人といなくなってしまうのは本当に寂しくて悲しい。

読書:Web2.0でビジネスが変わる

「Web2.0でビジネスが変わる」神田敏晶・著。
Web2.0でビジネスが変わる

Web2.0関連の読み物があると、つい手にとっちゃうなー。出版社の思うツボだなー(笑)
この本には、Web2.0的なサイトの紹介があり、どういうところが2.0なのか説明している点がわかりやすいと思う。

眠眠打破」では懸賞などを設けてみる人をあきさせない工夫。
情報考学 Passion For The Future」というサイトは著者の知人が書評などを書いている。
百式 – 100SHIKI.COM」はおもしろいサイトを紹介する。

この本の中にはかなり多くのサイトを紹介していて、それを見ていくだけでもおもしろい。著者もまずはやってみることを薦める。それをどのようにビジネスに活用していくかがキーなんだけど、そこんとこがピン!とくればいいわけだが。

ウォーキング:3時間

昨日、善福寺川緑地辺りを3時間ほど歩いた。
ジョギングコースとして良さそうだと前々から思ってはいた。思ってたけど行ったことがない。

公子ちゃんの本「はずかしい」にここをジョギングした話が出ていて、触発されて行ってみた。

自宅からその善福寺川緑地に行くまでに歩いて1時間かかった。
その途中の道には、「日本じゃないみたい」な某宗教団体の大聖堂を見ては写真を撮ったり、テレテレと歩いた。
大聖堂

大宮神社。その裏手には緑地が広がる。
大宮神社

オオオ、これはいい感じですのー。
ジョギングする人、歩く人、バーベキューする人、ベンチでお弁当を食べる人、犬を連れている人。
善福寺川緑地

善福寺川緑地

善福寺川緑地

さらにテクテク歩き、緑地の終点まで来た。
みると、東京で始めて暮らした住所・杉並区成田西4丁目じゃありませんか。おもわず、そちらに方向を変える。前方にどこかの駅に向かっていると思われる学生もいるので、まぁ、いずれどこかに着くだろうと呑気に考えながら、まわりをキョロキョロ見ながら歩く。
すると、突然、目の前に私達が暮らしたあの女子寮が表れた!
旧・共立女子大寮

旧・共立女子大寮

ここだ! ここが東京で始めて暮らした女子大の寮でござんす。
卒業してからゲゲゲーーー25年ぶり。
女子寮は、今年、新しい寮に移転したのを機に閉鎖されたので、誰もいないだろうガランとしたたたずまいだが、あの日のままだ。

ここですぞ、この玄関で同級生と待ち合わせて、一緒に通学した。
旧・共立女子大寮・玄関

玄関を見ると2階建てだたが、私は新寮と呼ばれた4階建てで2年間を過ごした。
そちらにグルリとまわってみる。
旧・共立女子大寮・新寮

当時は、女子寮はバラの木で覆われ、そのトゲで外部の侵入を防ぐという策を講じていた。そのバラの木はなくなり、こういった鉄のものに変わっていた。

デンジイと呼んでいたおじさんが毎日バラの手入れをしていた。デンジイは60代ではなかったろうか? 元々は電気関係の仕事をしていたらしい。寮のあらゆる修理も担当していた。それで電ジイという名前だったように思う。

今思うと、こんなに道路に面して建っていたのか。
庭のテニスコートは草が生い茂っていた。ちょっと小高くなったところにはビニールハウスがあって、そこでデンジイが花を栽培していたはず。今はあるじを失って、草だけが生い茂っている。
旧・共立女子大寮・お庭

その昔はこの辺りは別荘地だったと聞いた。大きな邸宅が並び、全体にひっそりとしていた。各家には緑が多く、人口密度が低いから道路を通る人は少ない。非常に閑静な住宅街だった。朝になるとお迎えの黒塗りの車が並ぶというそういう場所だった。

その大きな邸宅は何棟ものマンションに変わっていた。そのうちの一つが女子大の「新しい寮」になったようだ。

もう一周する。
玄関の上は、お裁縫室だった。
当時の女子寮には500名近い生徒がいて、当時でも「部屋にコンセントがない」ことは同級生を驚かせたわけで、電気が使えるのはお裁縫室だけだから、髪をかわかす為にドライヤーを持って、コンセント待ちをした。同級生同士でブローしてあげたり、そういうことも楽しい思い出だ。

この玄関で、私は私の両親と始めて別れた。

その翌年、下級生を向かえる係として玄関で案内をしていると、一つ下のリカちゃん(目がクルっと大きい、リカちゃん人形のようなかわいらしい人)は見送りに来た家族と別れる時に、大泣きをした現場に遭遇した。

「大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」などと上級生らしくしっかり者を演じた。私もその前年は寂しくて泣きたかった事を思った。

あの時と同じ通学路を南阿佐ヶ谷駅に向かって歩いてみる。マンションに建て替えたところが多くて迷う。そんな中、最初に身の回りのものを買ったと思われる店はある。「須賀神社」もあの日のままだ。変わった建物と古い建物を交互に見ながら、南阿佐ヶ谷駅にたどり着く。
須賀神社

南阿佐ヶ谷駅の上の本屋さん、まだあるかなー?とのぞいたら、あった。
あの時と同じく、所狭しと本が積んである。学生が多い街なので、昔も今も文学的な本が多く並ぶ。詩や短歌のコーナーもある。ユリイカはバックナンバーも置いている。嬉しくなった。ありがとうの感謝の気持ちを込めて本を2冊買い、地下鉄に乗って帰った。

読書:はずかしい

「はずかしい」白石公子・著。
はずかしい

詩人、作家、そしてエッセイストである白石公子(こうこ)ちゃん(高校の同級生)の書き下ろしエッセイ。

帯は「うんうんわかる。こそっと笑える。40代のひとり暮らし。」

40代はもちろん、頑張ってる女性に読んで欲しい本。肩の力が抜けてやさしい気持ちになれる。公子ちゃんの感性があちこちに光る(女性の気持ちがちっとも理解出来ない男性にも読んで欲しい)。

「ズボン」のところは、思わず声をあげて笑いそうになるのを押し殺した。「ズボン」って言わなくなったねー。

ズボンの語源を探ると国語学者であり歌人の落合直文「ことばの泉」にたどり着く。落合直文は気仙沼出身者。生家は「煙雲館」。

「犬」のお話に、小太郎君とおぼしき犬がチラリと登場いたしまする。公子ちゃん、うまく書くねー。

公子ちゃんが卒業した大妻女子大では「恥を知れ」が校訓だそうで、そのくだりが面白い。
結構、私達って「はずかしーーー」って言ってるね。
「はじらい」とか、そういう言葉は最近聞かなくなったが、いくつになっても「はじらう気持ち」は残していたい。

この本は2004年に出されていたのに、今頃でごめんね。
今年のお薦めの本を1冊教えてと言われたら、迷わずにこの本ををあげたい。