昨日、高校の先生のことを少し愚痴ってしまったが、本当は高校が大好きだった。高校の先生の教えは今も私の心の中にあり、辛い時には思い出す。
高校2年生のクラスはちょっと変わっていた。
クラスの90%が運動部に所属し、ほとんどの運動部のキャプテンがそろった。なぜ、そのように偏ったクラスが出来たか、いまだによくわからない。隣のクラスはその反動でクラスの90%が文化部だったと思う。私のように部活一筋組(私は硬式テニス班)は、日頃、勉強する時間がないから、成績では他の進学クラスに負ける。しかしながら、ここぞというパワーはよそを圧倒し、行事ごとでは必ずトップをおさめる。合唱コンクール、運動会、文化祭、仮装行列などの話題をさらった。
授業中は、部活で疲れた身体を休めるために「熟睡タイム」を決め込む者も多いが、例えば、数学が得意な者は、数学の授業では最前列に座り、英語が得意な者は英語の授業だけは最前列に座る、という工夫を担任には内緒で積極的に取り入れた。先生にも楽しく授業して頂けるようにと、生徒なりに考えた。
それでも新人戦が近づくと部活に忙しくて予習が間に合わないから、授業が辛い。皆で知恵を絞り、こちらから先生を質問攻めにしたことがある。「先生がノリに乗って話してくれる内容は何か?」考えた。
「卒論ってどんなモノですか?」「先生は何をテーマに書いたのですか?」これが先生をノセるのに一番、効果があった。
母校には若くて優秀な先生が多く、卒論は「つい昨日の出来事」だったので、先生も白熱し、1時間の授業すべてを先生のお話で終えることが出来た。
一度成功すると味をしめ、すべての先生から「卒論」のお話を聞いた。うまくノセると、数時間を「卒論」や「大学の話」に費やしてもらえた。先生のお話は実に楽しかった!
しかし、結果的には、他のクラスから大幅に遅れを取ってしまい、試験の前にあわてて進めるという事態に陥るのだが…。
それでも教科書にはない先生のお話は、私の高校生活の中でも有意義な時間だった気がする。昨日、書いてしまった先生もとても優秀な方で、「デキル生徒を伸ばす」ことに徹底していて、それはそれで良かったのかもしれない。
私としては「私立文系」などと進路を決めてしまうと、受験科目に偏った勉強にならざるを得ず、そのことが生徒の可能性を狭めている気がしてならない。もっとも、最近の受験のことは知らないから、もしかしたら、大幅に変わっているのかもしれないが。