「ゆるキャラグランプリ2012」にエントリーしていた気仙沼のゆるキャラ「海の子 ホヤぼーや」は26位と大健闘しました。
東北で一番でした。それはすごいことです。
震災後に、ホヤぼーやで癒された方は大勢いたと思います。
ホヤぼーや、頑張ったね〜。ウルウル。
「ゆるキャラグランプリ2012」にエントリーしていた気仙沼のゆるキャラ「海の子 ホヤぼーや」は26位と大健闘しました。
東北で一番でした。それはすごいことです。
震災後に、ホヤぼーやで癒された方は大勢いたと思います。
ホヤぼーや、頑張ったね〜。ウルウル。
2005年頃にウォーキングを始めて、
2006年ごろから走り始めました。
理由は「中性脂肪を基準値内にする」ためです。
中性脂肪が増え過ぎて、このままでは「成人病になりますよ」と健診で脅かされ、スポーツジムに入ってみたものの全然続かず、しないよりはいいだろうと、通勤に「歩き」を取り入れたのが最初です。
iPod聞きながらの「歩き」は思ったよりも楽しくて、その延長線上にジョッギングがありました。
だから今も、ゆっくり・のんびりジョグです。
ところが・・・
私よりも走歴が浅い人達が、どんどん、サブ4(フルマラソンを4時間以内で走ること)を達成し、それどころか、最近では皆さんは3時間半も切って、いったいどこまで行くのでしょう。
私は、数年前とあまり変わらぬスピードで今ものんびり楽しくやっているのですが、まだ走歴浅いダンナが「サブ4目指す」とか。
「ヘェー、がんばって〜」と他人事でしたが、
「富士山マラソン」がことのほか悪いタイムで終わってしまい、さすがにこれにはショックを隠せず。
これは心を入れ替えて、サブ4狙ってみますか、本気で。
と思ったのでございます。
それには、これまでのペースでの練習では進歩しないでしょう。
少しずつ「いまより速く」走る練習が必要でして。
とにかく、四の五の言わずにやってみますかと、
51歳にして(もうすぐ52歳になりますが)こういう目標に向かうとは思いもよらなかったワー。
「第1回富士山マラソン」フルの部に出場しました。
旧・河口湖マラソンがコースも新たに「富士山マラソン」と名前を変えました。
例年この日は「つくばマラソン」に出場しているのですが、今年は「つくば」の申込日に「サロマウルトラ」を走っていて申込み出来ず。大阪マラソンには落選し、コースが険しそうで、寒そうで、おまけに河口湖2周は辛すぎるという理由でずっと敬遠していた「富士山マラソン」に申し込んだわけでございます。
河口湖畔の宿を確保するのも大変と聞いております。
私どもは、たまたま知人の別荘に泊めて頂きました。ありがとうございます。
スタート&ゴールまで、歩いて20分ほどでしょうか。近くて助かります。
6時起床。
朝起きると、寒い!
ダンナがスマホの温度計で計測すると、マイナス1度。
みんなで朝ご飯をいただきました。
Rさん一家が持ってきてくださったお餅やパン、果物、オムレツにウィンナー、ヨーグルトにパンケーキ。朝からしっかりいただきました。
8:15のスタートに、家を出発したのは7時半。
ゆっくり歩いても8時前には到着です。
荷物置き場に荷物を置いて、ツチダさんと別れて私とダンナは「A」ブロック。陸連のブロックです。
Aの一番後ろ、Bとの仕切りのロープが張ってあるところに入って、ここからスタートです。
いよいよ、スタート時間が近づきました。
サンプラザ中野くんが挨拶をしています。
サンプラザ中野くんは山梨県出身なんだそうです。
「クリール」というランニング雑誌で、パッパラー河合さんの記事を楽しく読んでいます。パッパラーさんは「つくば」に出ているはず。パッパラーさんもこちらにいらっしゃると良かったのにね。
そうして、スターターはなんと!「菅原文太さんです」のアナウンスに場内わきました。
「エエエ!菅原文太だってよ〜、本物かな?」
「エー、おはようございます」だみ声の、文太さんの声だー!
オオオオオオ、さらに場内にどよめきが。
顔もチラリと見えました。本物ダァー!
文太さんの声って、力強くて、元気いただきますねー。
私は、本日、ここに立てたことに感謝します。
一度は出てみたいと思っていた河口湖マラソン。
私には無理だわ〜と思っていたヘビーなコース。
ここに出場するためには、宿、交通機関など、走る以外にも色々大変だったわけでして、皆様のおかげで、私はいまここにおります。
菅原文太さんによるスタートの号砲。
ワーーーー!
42.195kmの旅に出ます。
天気は腫れ。
富士山が美しい。
富士山に向かって走っている感じ。
山の頂に白いを雪をかぶった富士山が、ハッキリ、くっきり、間近に見えます。
そして、紅葉の赤が実に美しい。
河口湖は適度なアップダウンがあるものの、それがむしろ心地良く感じます。
最初は狭い道に人がダーっと走り始めますが、少しいくと適度にバラけました。
あんなに寒かったのに、日向は暖かく感じます。
私は長袖シャツに半袖の「おだづなよTシャツ」を重ね着して、その上からビニールの袋をかぶっています。そのビニールは約1キロ付近で脱ぎました。
これはマラソン日和ですね〜。
20キロまでは順調そのもの。
調子良いです。走っていて楽しいくらい。
21キロ付近に、河口湖から西湖に向かうところ、大きな坂道があります。
さすがにそこではタイムが落ちました。
まぁ、急な上り坂ですからね、こんなもんかな、なんて思っていたのですが、その後からは、まったくタイムが上がりません。下り坂もたくさん出て来ましたのに、まったくタイムが上がらない。いったいどうしたことだろうか。
距離表示は5キロごとです。
20キロの後に、25キロで腕時計を見て、「ゲ・遅い」
その後もずっと5キロごとに腕時計を見ては「ゲゲゲ・遅い」
腕を一生懸命ふってみます。
少しだけ、スピードを上げてみます。それでもダメ。
まだまだ坂道があるはずなので、あまりスピードは上げることが出来ません。
それにしても遅い。
15km辺りではダンナを抜いたのに、25km辺りで抜き返されてからは、後ろ姿があっという間に前方に消えていきました。私はいったいどうしたことだろうか。
朝食をたくさん食べてきたので、お腹はすきません。
それでも、途中で、バナナをひとつ、おにぎりを一つ、食べました。
あとは、チョコレートやきのこの山などのお菓子を口にほおばり、水やスポーツドリンクで流し込みました。
どこかに「うどん」があると書いてあったはずが、それは見つけられなかった。
エイドでのロスタイムはほとんどないはずだが、記録が出来ない。うーん???
河口湖から西湖に抜けると、途端にピューっと風が吹いて寒い。気温も低い気がします。気のせいかもしれないけれど西湖の方が寒い感じ。そのせいか、身体がガチガチになってしまいました。指先がかじかんでいます。走っていて、身体には汗をかいているのに手がかじかんでいるって、どういう事だろうか。
タイムは上がらないし、指はかじかむし、身体がガチガチになっていた可能性はあります。
距離表示は、「あと5キロ」という方式に変わりました。
「あと4キロ」「あと3キロ」・・・。
40キロ地点で計測しても遅さに変わりはありません。
そうして、最後の「あと1キロ」
沿道には応援に人がたくさんいます。
もうすぐゴールなのに、全然、足が前に出ないまま、ヒーヒーフーフー。
20kmまでと、それ以降とでは全く別モノになっていました。
そうして、やっとやっと、ゴーーーール。
私の手元の時計では次の通り。
スタートまで:23秒
5km:30:47
10km:29:13
15km:29:33
20km:29:20
25km:33:02
30km:33:10
35km:32:26
40km:32:11
ラスト:14:07
———————————–
合計:4:24:14
ダンナはゴールのところで待っていてくれたようですが、私が思いのほか遅くて探しまわってくれていたようです。
サングラス(第1回記念のサングラスだそうです)これはいいですね!
重い足を引きずりながら別荘に戻りました。
「遅かった」とショックを隠せないワタクシ。
18km組の皆さんが「タイムは?」と聞くので、
「4時間24分ぐらい」と言うと、
「ワー、速〜い」と驚いてくれました。
その皆さんの驚きに、私の方が「エ」って驚いちゃったのですが、そうか、初心者ランの方にしてみれば、これでも速いのでしょうか。
「ねぇ、どうやったら、そんなに速く走れるの?」なんて聞かれて照れてしまいました。
私としては、数年前に戻っちゃった悪い記録。
考えてみれば、今年は練習時間が取れず、マラソン完走クラブの練習会にも参加出来ず、そんなこんなで体重も増えちゃって、たぶん、更年期障害の諸々の影響もありましょうし。
でもまぁ、考えてみますと、私は「健康のため」に始めたランで、「楽しく、(年齢的に)長く走り続ける」ことを目標にしていたのですから、本日も故障もしないで完走出来たことに感謝ですね☆
別荘でお世話になったRさんご一家に別れを告げて、内藤新宿300RCメンバーは東京に向かいます。
帰りの道は相当に混んでいるらしく「下で行きましょう」
私はなんとしたことか、車に乗った瞬間に爆睡してしまいました。申し訳ないです。
途中、八王子の「壱発ラーメン」さんで「とろろ入りのラーメン」を食べました。
美味しい。私は「ネギとろ味噌ラーメン(900円)」でございます。
(後日談)河口湖と西湖の間の道路、折り返しの人とすれ違うところがあります。
私がゴール方向に向かう時に、これから西湖に向かう人達が思いのほか多くて驚きました。
それがなんと、東京を朝に出発された方々が大渋滞に巻込まれて、スタート時間に間に合わなかったのだそうです。
それで、9時頃までは遅れてのスタートをしたそうです。
(その方達とすれ違ったものと思います)
ところが、9時に間に合わなかった方が、なんと最大で5,000人もいらしたようで、その方達は走ることが出来なかったとか。
5,000人というのは、ちょっと多すぎますよね。
私はすばらしいコースを走ることが出来て、感謝しております。
第1回の大会にトラブルが多いことは承知していますが、走ることが出来なかった皆様はどれほど残念だったでしょう。
運営された皆様も想定外のトラブルだったと思います。きっと来年には改善されていることでしょう。
明日は「第1回 富士山マラソン」に出場します。
昨年までは「河口湖マラソン」といって、河口湖を2周する大会でしたが、今年は、河口湖と西湖を走るコースで大会名も一新しました。出場者も大幅に増えているらしく、宿を予約するのが大変なことになっています。
私どもは運良く知人の別荘に泊めて頂くことになりました。
別荘には総勢7名で宿泊し、4名はフルマラソン、3名は(フルマラソンが締め切ってしまったために)18kmに出場します。
1時半に新宿に集合して車に乗せて頂いて、河口湖へゴー!
中央高速はおもいのほかスムーズで、約1時間半程度で富士急ハイランドに到着しました。
今日は富士急ハイランドで、「前日の参加賞引き換え」をしているので寄ってみますと、あらら、参加賞引き換えのための車の列。ここに来て大渋滞。やっとのことで駐車場に車を停めたら、引換所までシャトルバスを利用してくださいとのこと。
そのシャトルバスに乗るためにも長蛇の列になっています。
参加賞は、明日は河口湖駅で引き換えが出来るので、ここまで来てアレですけど、「明日にしましょう」とあっさり諦めて、河口湖へ移動。
そんなこんなで、思ったより早く到着となりまして、コースの下見をしてくださいました。
河口湖から西湖に向かうところに、大きな坂があります。
おおよそ21キロ辺り。
20キロも走ってからのこの坂は、心が折れそうだわ。
その後も、微妙なアップダウンが続いていて、こりゃ、明日は記録が出そうにないと、すでに弱気。
とにかく完走を目指して走りましょう。
夜はお鍋で大宴会です。
18キロ組は「距離が短いから、気楽〜〜〜」と言って、飲みます、飲みます。
私は大会の前日はお酒は飲みません。
ジュースで参戦ですが、一緒に酔ってる心地でございます。
それにしても、河口湖、寒いです。
気仙沼も、同じくらい寒いんだろうなぁ。
老眼です。最近は老眼鏡なしに本を読むことが出来ません。
そこで、だ。
タブレット使って、文字サイズを大きくして読もうと目論んでいるのでございます。
「Kindle Paperwhite」と「iPad mini」に同じ書籍を入れて比べてみました。
まずは縦書きの高村光太郎「気仙沼」0円です。
これは、Kindleの方が、まるで文庫本のようで良いです。
フォント自体はiPad miniの方が美しいです。エッジがきいているというかハッキリとしています。
それでも「本」に近い感じはKindleの方のように思います。
iPad miniを横向きにしてみました。
あら、これはいい感じです。こうしてみると、iPad miniが良いわ。
横書きの書物を見てみます。
100円で買った「Kindle自費出版ガイド」
これはKindleの文字間が開きすぎていて、iPad miniの方が読みやすい。
行間もKindleの方が広すぎる気がします。
さらに、上下左右の余白(マージン)の多さもあって、iPad miniの方が読みやすい印象です。
Kindleの文字間、行間の設定が出来るかどうかわかりません。のちほど探してみます。
さらに、この注釈部分というのか「黄色い枠」の表示など、白黒にはない読みやすさ。
これらはカラーに対応してないKindleのPaperwhiteでは、仕方ないところ。
英語表示もKindleは文字間が広い分だけ読みにくいです。
これはきっと、日本語のフォントがデフォルトで設定されているからでしょう。
英字には英語フォントの割当が出来れば解消されると思います。どこかに設定があるかどうか、探してみましょう。
ページ間の移動などの操作感はiPad miniの方が良いと思うのは、私がiPadの操作に慣れているからかもしれません。慣れてしまえば、どちらもどうということもないのかも。
そして、最後に2つを、東京の電車の中で立ちながら読むことを想定してみました。
そうすると、やっぱりKindleです。
片手でKindleを持って、片手でつり革をつかんで、ページをめくることを考えると、私の小さな手にはKindleがしっくりきます。
特に縦書きの小説などを読む場合はKindleが良いです。
しかしながら、横書きが多いマニュアル本を読む場合は、iPad miniが良いでしょう。
マニュアル本の時は、iPad miniよりも、iPadぐらい広い画面の方が良いかもしれません。
というのが本日の結論でございます。
もう少し、遊んでみま〜す。楽しい(^ー^)。
Kindle か iPad miniか、迷って迷って、Kindleにしたわけですが、
これはこれで正しいと思っておりますが、
ダンナが「iPad mini 欲しい」とさんざん言っており、
「私にも貸してくれる?」と聞いたら、
「先に使ってみていいよ」というので、
アップルストアを見てみると納品まで「2週間」とな。
そんな、待てない。
ネットで検索すると、ショップによっては朝に入荷もあるらしい。
ビックカメラ新宿西口店へGoー。
在庫は「黒の64GBはございます」とな。
店頭で「白」を見ると、それも美しい。
「64GBも必要か〜?」とか、「白もいいよね」とか、迷ってる場合ではなく、
「黒の64GBくださ〜い」
いろいろと並べて記念撮影など(^ー^)。
左から、iPad、iPad mini、Kindle、iPhone5、iPhone4S。
iPadと、iPad miniの薄さ比べを。右がiPad mini。
薄くなりました。
iPadとiPad mini。iPad miniはダンナのですからー(^ー^)。
保護フィルムは、「Simplism」さんのものを買いました。
「Bubble-less & Anti-Fingerprint Film Set for iPad mini Crystal Clear」
iPhone 5もこのタイプにしています。
貼る時に、私でも、本当に「気泡が入らない」ので驚きです。すぐれもの!
先日、気仙沼に帰った際に、「すがとよ」さんにて、会社に日本酒のおみやげを買いました。
今日は全社Meetingがあったので、ミーティングの後で皆さんに飲んで頂くことに。
まずは「福宿(ふくやどり)」
角星さんのお酒で、あの大震災でお店はメチャクチャになってしまった中、奇跡的にこの「福宿」が1本だけ残ったというお酒です。そうして、それを見た社長さんが再起を誓うことになったわけでして、奇跡のお酒と思っております。
いまは男山さんからも発売されていますが、今回は角星さんのものを買って参りました。
社員から「美味しい!」と大評判!
あっという間に空になりました。結構、みんな、飲むなぁ(^ー^)。
次は、新しいお酒「恋文」というお酒です。
こちらも「男山」さんと「角星」さんから同じ名前で出ています。
飲み比べてみましょう。
角星さんの方はパッケージのイメージとは異なり辛口でした。
男山さんの方は、蒼天伝のような味わいがありました。
やはり、これは2つとも買って飲み比べですね☆
どちらの会社もネットで販売しています。
今みてみると、この新しい商品はまだネットでの注文は出来ないようですが、お問い合わせをしてみてはいかがでしょうか。
「Kindle Paperwhite」が自宅のWi-Fiに接続出来ないでいたのが接続できたので、メモしておきましょう。
自宅のWi-FiはDHCPで、iPhoneやiPad、MacもWindowsも、画面に表示されるそれを選択してパスワードを入力すればすぐに使えるという、誠に簡単なもの。
しかし、Kindleでパスワードを入力してもエラーが出るばかり。
ちなみに、そのKindle、イーモバイルでは、パスワードを入力しただけでスンナリ使えています。
このままでは接続できないので、
Wi-Fi設定画面で「詳細」を選択して、
「Static」を選択して、IPアドレス等を入力します。
どの番号を入れていいかわからない場合、Macな方でしたら、Macの「システム環境設定」の「ネットワーク」を選択して、
Wi-Fiに接続されている画面が出ると思うので、右下にある【詳細…】ボタンをクリックすると、
いまのMacの設定を見ることが出来ます。
【Wi-Fi】タブにセキュリティという欄にあるのは、Kindleのセキュリティで選択をします。
【TCP/IP】タブをクリックすると、
IPアドレスやサブネットマスク、ルータのアドレスの記載があるので、
IPアドレスは、それとは別の番号を入れて(同じ番号ではいけません)
サブネットマスクとルーターは同じ番号を入力して、
【DNS】タブをクリックすると、
DNSに入力すべきものが表示されます。
あとはパスワードを入力して接続。
お試しください。
きっと、ネットワーク設定に不慣れな方は四苦八苦すると思います。
そういう方は、3Gの方を選択された方がいいかも。
それと、文字の入力ですが、iPhoneやiPadのようにサクサクと入力できません。
遅いので、うっかり打ちミスが発生します。
ゆっくり、落ち着いて入力することが必要です。
私の場合、これがいかんかったようです。せっかち。
Kindle買ったら読もうと思っていたのが、この本。
Kindleで「0円」です。
9月に行われた「第3回気仙沼フォーラム」で川島先生から、この本の話を聞いていて、読みたいと思っていたのです。それが0円ですから。
高村光太郎は、昭和6年8月に三陸地方を訪れている。
その際に、気仙沼にも立ち寄った。
気仙沼は昭和4年に大火があり、魚町、南町、八日町などの旧市街地を焼きつくした。川島先生から見せていただいた当時の写真は、まるで、今回の大震災跡のようでした。いや、もっとひどい状態だったかもしれない。
昭和6年に高村光太郎がいらした時は、まさに復興の最中。
本の冒頭は、
「女川から気仙沼へ行く気で午後三時の船に乗る。」
当日、気仙沼に入るには船を利用することが多かったようだ。
そして、「岩井崎から奥深い気仙沼湾にはひる。」とある。
「午後七半。」
その印象は、
「船から見た気仙沼町の花やかな灯火に驚き、上陸して更にその遺憾なく近代的なお為着せを着てゐる街の東京ぶりに驚く。」とある。
「夜になれば鼎座に浪花節(なにはぶし)があり、シネマがあり、公娼が居なくて御蒲焼があり、銀座裏まがひのカフエ街には尖端カフエ世界、銀の星、丸善がある。」
高村光太郎は「柳田國男先生の「雪国の春」といふ書物をかねて愛読して」いて、「気仙沼あたりに来ればもうそろそろ「金のベココ」式な日本の、私等の細胞の中にしか今は無いような何かしらがまだ生きてゐるかも知れないなどと思つてゐた。」
その期待とはうらはらに、気仙沼は賑やかしい街だったようである。
何かの読み物を読んだ時にも、明治から大正にかけて、三陸地方は豊かであったという記載があった。
これを読むと、たしかにそうであったらしい。
高村光太郎は、そのあまりにも賑やかな気仙沼には、おそらくは1泊程度しかいなかったようでさる。そうして「釜石行きの船に乗る。」で終わっている。
いまは気仙沼市に合併した唐桑は、それまで「唐桑町」という別の町であった。
その唐桑に、いまも高村光太郎の文学碑が残る。
「黒潮は親潮をうつ 親潮はさ霧をたてゝ 船にせまれり」
高村光太郎は唐桑で下船しているのではなく、御崎を船で通りすぎる際に読んだ歌が石碑となって残っている。
ネットでよくよく検索すると、この「気仙沼」は、昭和6年夏、「時事新報」の委嘱により、三陸地方を約ひと月取材し、同年秋に連載された紀行文「三陸廻り」の中の一つ。
こちらのサイトで全文を読むことが出来ます。
高村光太郎「三陸廻り」
さらにネット検索をすると、気仙沼在住の画家佐藤淳平さんという方のページに「現在的視点その解説」があって興味深い。併せてご覧下さい。
さらにさらにネット検索してみますと、佐藤淳平さんは、私と同じ魚町2丁目の方のようです。たぶん、1〜2分程度のご近所さんであった可能生があります。プロフィールに「森産婦人科」で誕生とありまして、私も同じ病院にて誕生しており、あれ?っと思った次第です。間違えていたらごめんなさい。