気仙沼で「創造的復興フォーラム」

気仙沼小学校で「創造的復興フォーラム」が開催されました。
8時半スタート。

第一部は体育館。
ステージにはこのように名前が張り出されていました。

今回、私は「気仙沼を元気にする会」の実行委員長として、ステージでお話をするという大役を仰せつかっておりまする。

それがですね、最初は、大滝精一氏(東北大学教授経済学部長、せんだい・みやぎNPOセンター代表理事、気仙沼市復興会議委員)、そして大山健太郎氏(アイリスオーヤマ代表取締役社長、東北ニュービジネス協議会会長、仙台経済同友会代表幹事)、そして、私という、私だけ浮いてますから〜w。

3人から「創造的復興」の問題提起をします。
大滝氏は問題点を5つにまとめられての発表。簡潔にまとめられていてわかりやすい内容です。
大山氏は企業人から見た問題点といった、そういう視点でのお話もまたわかりやすいものです。

私は3番目でして、ハイ、ご想像の通り、お2人のお話に補足するような事って何も残っておりませぬ。たはは。

そこで私は、常々、話していることをお伝えすることにしました。
会社を設立して20年、続けることが出来たのは、私一人の力ではないということです。
人にはそれぞれ、様々な能力を兼ね備えていて、
・0から1を生み出すことが好きな人
・1から100まえ育てることが出来る人
・100を継続出来る人

自分はそのどれに当てはまるかを見極めましょう。
そして、自分にないものを持っている人と手を組みましょう。きっと復興は成功するはずです。

そういう人を探す場として、こういった場所で会話をすることは、大変に意味があると思います。

それからもう1点。
気仙沼の女性は、古くから、父ちゃんの後ろが居場所でありました。
男性よりも一歩下がる教育を受けています。
自分の意見も父ちゃんから話してもらうといった具合です。

しかしながら、この震災を契機に、女性も発言をしましょう。
最初は慣れていないと思うけれど、そのうち慣れますから、父ちゃんの一歩前に出てみましょう。

気仙沼は男性社会です。
(おそらくは日本がいまだに男性社会なのだろうと思います)
しかしながら、こういった非常事態には、女性の力は必要です。
立ち上がろう、気仙沼の女性達!

ってなお話をさせて頂きましたが、はたして主旨に合っていたのかどうか、、、。
その後は、10の分科会に分かれて教室にて議論をします。

そして、それらを持ち帰って、ふたたび体育館で各分科会から出たことを発表し合うというものです。

メンバー表を見たら、すごい肩書きの方が大勢、東京方面からお越しになっていたことに驚きました。これだけの方々を気仙沼に集めた主催の皆様、本当にありがとうございました。

千厩の「あさひや」さん

家族と食事をしに参りましたのは、千厩の「レストランあさひや」さん。
母が好きな「洋食屋」さんです。

ふだんは和食が多い母は、たまに家族と出かける時は洋食を食べたいというのもわかります。
弟の運転で、私は初めて連れて来てもらいました。

食事をしていたら、偶然にも、千厩の仮設に住んでいるという親戚が入って来ました。
鶴が浦の祖母の親戚で、家は高台にあったから津波は大丈夫と思っていましたら、地震で建物が曲がってしまったそうです。それでも我慢して住んでいたけれど、とうとう、危ないというので今年になってから千厩の仮設に入ったそうです。

ちっとも知りませんで申し訳なく思いましたが、ここで出会うというのは、やはり深い縁で引き寄せられているのでしょうね。

お互いの健康を確認しあって、この大変な状況を乗り切りましょうねとエールを交わします。

母が外で食べる時は「フランスパン」がお目当てです。
こういうパンは、気仙沼では食べられないと言ってます。
もしかしたら、どこかにあるのかもしれなし、母が知らないだけかもしれませんがね。

私はステーキを頂きました☆

気仙沼で「社会イノベーター公志園決勝大会」

気仙沼で「社会イノベーター公志園決勝大会」が行われます。
気仙沼に参りました。

場所は、気仙沼市民会館・大ホール。
市民会館近くの公園では「東北マルシェ」が開催されています。
「東北マルシェ」は、NPOネットワークオレンジさんが主宰しています。
いつもながら、ネットワークオレンジさんのパワーには感心しています。

オット!「MAST 帆布 KESEN-NUMA」さんが出店されています!
被災した後は、本当に大変だったろうと思います。
詳しくは別の記事に書きますね。

宇崎竜童さんがいらしてます。パチリ☆
快くサインに応じたり、地元の方と語ったりしてらっしゃいました。

「社会イノベーター公志園」は全国各地で予選を勝ち抜かれた方のうち7名の方が「決勝大会」にてプレゼンテーションしました。それぞれに「伴走者」という方がいらして、伴走者代表が最初に紹介をして、ムービーでの活動紹介、そして、本人が思いを語るという構成になっています。

どの方の発表もすばらしくて、このうちのお一人に票を入れるために絞り込みは大変だわ。

大勢の方が、色々な地域からおこしくださって、このようなすばらしい会は、若い方にも見せたかったですね。中学生とか高校生とか。

気仙沼に向かいます

用事があって気仙沼に帰ります。
「社会イノベーター公志園決勝大会」と「創造的復興フォーラム」です。

東京駅、東北新幹線は「夏休み」らしい絵がほどこしてあります。

中を点検、清掃してくださる方々の服装も夏らしくてよろしいですねぇ。

一ノ関で大船渡線に乗り換える時に、お弁当「平泉うにごはん」を買いました。

たいして期待してなかったけど美味しいです(^ー^)。
量は少ないめで女性にはいいかも。

第2回KSBフォーラム「三陸の再生に必要なものは何か」

第2回KSBフォーラム「三陸の再生に必要なものは何か」を開催いたしました。

場所は、永田町の「星陵会館」の4AB会議室。
時間は、19時〜21時。
会費は、1,000円(学生500円)

本日の講師にお招きしましたのは、昨年の震災後から「JNN三陸臨時支局」にて支局長を務められ、1年間、気仙沼に暮らした龍崎孝さん。
テーマは、「三陸の再生に必要なものは何か」

私は話に聞き入ってしまい、前列に座らせて頂いたというのに写真を撮るのも忘れてしまうほどでした。

内容は、なぜ、被災地に行こうと思ったのか、その理由の根源は極めて個人的な経験によるそうです。
「行かなければ後悔する」と思い、そして1年間を気仙沼で過ごすことになった龍崎さん。

「ヨソモノ」ではあるけれど、あの震災直後の大変な時期に、電気も通ってないような時期に被災者の皆さんとともにそこで暮らしたという経験は大変な説得力です。

「JNN三陸臨時支局」は、気仙沼プラザホテルさんを本拠地にしているけれど、必ずしも気仙沼の話題だけではありません。被災地全域に取材の場を広げていて、そのご苦労は大変なものであったろうと思います。

龍崎さんが話していて「気仙沼」のゲニウス・ロキ(地霊)のお話はおもしろかったと思います。土地の人がなんとなく感じていた事を外からいらした龍崎さんもお感じになったのですね。

気仙沼は「東北ではないような土地」「宮城県でもなく、岩手県でもない」「気仙沼の人は、気仙沼人と言う」そうなんです!
「気仙沼の人は世話好きで、話好きで、好奇心旺盛」とも言ってました。その通りだと思います。

龍崎さんと私は同い年でした。
51歳で気仙沼に暮らし、例えばあと25年あるとして、もう一度、行ってみたい(暮らしてみたい)という思いも、うっすらとあるようです。その時は、私もかの地に住んでいるかもしれませんねぇ。

小太郎その後

小太郎の薬がなくなるので、朝から病院通いでございます。
打ち合わせもあるので、9時に病院に行ったものの、血液検査を受けたり、その結果を待ったり、あれやこれやで結局12時近くまでかかってしまいました。

会社の皆さんに迷惑かけつつ、息子のように大事な小太郎でございます。

小太郎の血液検査の結果は、数値が下がったものもあれば、上がったものもあって、なかなか難しい。
そこで来週は、別の検査に入ります。
小太郎も検査疲れですが、私も少々、疲れ気味の本日でございます。

ふたたびイーモバイル

MacBook Airを買いまして、ちょっとモバイルもしたいなぁ、
気仙沼にも持って帰りたいなぁと思っており、もう一度、イーモバイルの契約をしました。

2009年8月に一度、契約したものの、当時は魚町の実家で入りが悪くて解約してしまったのです。

機種は、発売されて間もないという「Pocket WiFi LTE(GL04P)」じゃ。
約140gの小型・軽量ボディながら、EMOBILE LTEでござるゾ。

退院後の小太郎

先週は入院していた小太郎。
退院後の小太郎について記しておきまする。

小太郎は、いつものように食べているにも関わらず、体重が減ってしまいました。
お腹のあたりの骨もゴツゴツと浮いています。

同じマンションに住む「ミキちゃん」のお母さんからも「小太郎ちゃん、やせたんじゃないの?」と言われるほどになっております。

さて、その原因はというと、胆嚢に炎症が出来ているらしいというものでございます。
「石がたまっている」とか、そういうことではないようです。

そこで、いったん退院しまして、家で薬での療養となりました。

ドッグフードも「消化器」に障害ある犬用を買い込みまして、そちらを与えることになりました。

ドックフードは問題なく食べるのですが、、、
これまで小太郎は、何でも食べる(むしろ、食べ過ぎる)犬でございましたが、

とうとう、薬を残してしまいます。
きっと、本当にまずいのでしょう。

そこで、細かく切り刻んで、ドックフードに混ぜてみたり、、、
メロンに混ぜてみたり、、、
水ようかんに混ぜてみたり、、、

とにかく、色々な方法をとっては何とか腹の中に納めようと必死でございます。

そんな飼い主の努力を知ってか、知らずか、、、、
小太郎は、体重は減ったものの、徐々に元気を取り戻しつつあります。

それでも、この体重の激減は本当に気になるほど。
オーイ、どうして、やせちゃったんだよー?

気仙沼の喫茶店のこと

先日の気仙沼高校・関東同窓会の後、3軒目のお店だったか、だいぶ酔いもまわってきまして、やっぱり出るのは「昔の話」でございます。

当時、私たちの高校は女子校で、それなりに規律も厳しかったのであります。
例えば、「喫茶店に入ってはいけない」というのは、今では「エー!」って感じではないでしょうか。

「喫茶店」では、アルコールが出るお店もありましたから、そういうところで悪い虫がついてもいけないという学校の配慮だったのでしょう。

しかしながら「禁止」としながらも「数軒のみOK」となっていました。OKなお店は、アルコールを置いてなかったように思います。

「法律」を学んだという同窓生が「それって、営業妨害に当りませんか?」って、そうかもしれませんが、当時はそういうものと思ってました。

その数少ない「鼎生・御用達のお店は」というと、
・パド
・珈琲山荘こやま
・紅梅(こうばい)
・藤崎の中にあるパーラー(名前を忘れました)
・丸光の中にある喫茶店(名前忘れました)

だったかと思います。
(記憶違いがあると思いますので、ご存知の方がいらしたらご連絡いただけますでしょうか)

ということで、デートなどの待ち合わせは、もっぱらそういうお店になっていたようです。
気高生(当時は男子校)も、その辺はチェックしてあって、ここなら大丈夫ということで誘ったとか、誘えなかったとか、まぁ、青春時代の思い出でございます。

そういえば、昔は市内に「喫茶店」(アルコールも出る)お店がたくさんあったよね、という話になりました。
「ジャズ喫茶・ヴァンガード」や「茶色の小瓶」、ラーメンも美味しい「喫茶 マンボ」は今もあります。

震災前までは営業していたのは、
・亜紀
・珈琲山荘こやま

そういえば、だいぶ前になくなってるよね、と話したのは、
・アラベスク
・ガトー
・モカ
・門(もん)

もっとあった気がします。

ガトーは、ちょうどJazzを聞き始めた頃に入り、また行こうと思っているうちに時が流れて、そのうちになくなってしまった。大切な場所が、ある日、ポコっと空いてしまった思い出があります。

同窓生らと、あれあれ、それそれ、と名前が出てこないのは年のせいでしょうか、お酒のせいでしょうか。

気仙沼という小さな町に、いま考えると多くの喫茶店があった気がします。
それは形を変えて、「アンカーコーヒー」の明るくておしゃれな空間もあれば、あの震災の後に不死鳥のごとく蘇った「ヴァンガード」のゴリッとしたジャズ喫茶や、小粋なマスターの話が聞きたくなる「茶色の小瓶」や仮設店舗で様子は違っているけれど味はそのまま「喫茶マンボ」があって、それは市民の憩いの場になっています。

そこには珈琲の香りと、文化の香りが、脳のどこかを刺激してくれる不思議な空間として、今も存在しているのだと思います。気仙沼の人は、おもいのほか喫茶店でくつろぐことが好きだと思います。そして、私も。