今日は東京と仙台から、私達のチームの人たちが出張で来ているので、一緒にご挨拶にまわりました。
そして夜は「おだづまっこ」さんに案内されました。
カテゴリー: 気仙沼と家族
気仙沼市役所に出勤
本日から、気仙沼市役所に出勤です。
私達のチームは経済同友会から出向しています。
ざわざわの坂を上り、沢田の坂を下っての出社。
これが一番、近道だろうと思います。
坂が多いっすね。
まだ雪が残っています。
気仙沼では母と2人暮らしです。
母の朝はラジオ体操で始まります。
6時過ぎると目覚まし時計がけたたましく鳴り、エアコン付けてストーブ付けて部屋を暖め、6時20分くらいに起きて、布団を片付けて、6時半のラジオ体操に間に合わせます。
母は自分に甘いところが多い人だけれど、なぜか、一度始めるとサボらずに頑張る人で、「やり通す力」はある方だと思います。ということで、ラジオ体操で始まる朝となっています。
気仙沼に向かいます
神奈川マラソンから帰ると、いそいで昼食、そしてお風呂。
そして、急いで東京駅へ。
これから2年間、気仙沼で復興を支援するお仕事をすることになりました。
新幹線に乗りますと、「トラベェール」には、気仙沼で復活した「波座物産(なぐらぶっさん)」さんの「塩辛」が大きく出ていました。
気仙沼サポートビューロー(KSB)定例会
今年最初の「気仙沼サポートビューロー(KSB)」の定例会です。
このごろは会議室を2つ借りていますが、今日はもう一部屋が空いてなくて、16名の参加者で大盛況でした。
参加された皆様には狭くてご不便をおかけしました。
今年の計画を立てて、気仙沼情報の交換などしました。
皆さん、たくさん、情報を持ってますね!
東京方面のイベントには積極的に参加したいものです。
その後の2次会は楽しかったわ!
なんというか、意見が一致して、なんか行動しようかって気になります。
東京にいても、というか、東京にいるからこそ出来ることもあるね。
日出さんのお墓参り
気仙沼サポートビューロー(KSB)の発起人でもある日出英輔さんの一周忌を前にして、KSBの有志でお墓参りに行きました。
11時に柏駅に集合して、タクシーに分乗して柏中央霊園へ。
柏には、柏霊園と柏中央霊園があるそうです。
タクシーの運転手さんに「新しい方」というとすぐに通じます。
車で4〜5分でしょうか。
日出さんが亡くなったのは、昨年の1/15。
あの日のことは、よく覚えています。
朝、マラソン大会に向かう途中で電話がなり、「日出さんが危篤らしい」というのです。
「らしい」ということで、ハッキリしたことがわかりません。
日出さんの同級生の皆さんが連絡を取り合ってくださり、事実確認をして、その日に亡くなられたことを後から聞きました。
その翌日、私は母校(気仙沼高校)で話をするということになっていたため、朝早い時間に出発。
そんなこんなもありまして、ご葬儀に参列出来なかったことを、ずっと心に溜め込んでいました。
それから数日後に書いたブログ「訃報:日出英輔さん」はこちら。
「日出さん、皆さんと一緒に参りましたよ〜」
こちらも後から聞いたのですが、日出さんの奥様は、日出さんが亡くなる半月前の12/31に、急に倒れてそのまま亡くなられたのだそうです。
日出さんは奥様の訃報は知らずに(知らせずに)亡くなられたと聞きました。
同級生の皆さんも奥様の訃報を知らずにいましたから、「いくらお宅に電話しても留守電なんだよ」と正月から皆で話をしていたのです。
お墓には72歳と70歳と刻まれていました。
まだまだお若いお2人でしたね。
残されたお子さま達は、どれだけお力落としだったでしょう。
今日はよく晴れて気持ちの良い日です。
KSBのこと、気仙沼の復興のこと、道半ばで亡くなられた日出さんのご意志を継いでいきたいと思っております。
日経新聞にも出てたぞ「ほやボーヤ」
堤監督、ありがとうございます!
「自虐の詩」の映画は、2007年に公開されました。
堤幸彦監督。
主人公が気仙沼出身という設定で気仙沼がロケ地になりました。
いまはなくなってしまった町並みがDVDには納められています。
震災後にも堤監督は何度も気仙沼に支援に行ってくださり、ドキュメンタリーも撮られています。
そのお礼を伝えたいと、日々思っていました。
それが本日かなったのであります!!!
皇居ランに向かってる途中、警視庁のビルの前あたりで撮影していました。
ちょうど信号待ちをしながら「ドラマかな?いや、ドラマにしては大掛かりだから映画だね」なんてダンナと話していて、見ると、監督椅子に座って画面を見ているのは、オオ!堤監督ではありませんか。
信号が青になっても、そのままそちらを見てました。
「堤監督・・・かもしれない」とボソボソ話していると、撮影が終了したようで、堤監督が椅子から立ち上がりました。
ダンナが「声を掛けてみようよ」とか。
「いいよ、迷惑だもの」と私。
それでも動かずにそちらを見ていると、なななな・なんと!
監督がこちらに向かって歩いてくるではありませんか。
ダンナが声をかけようと言いますが、躊躇する私。
と思ってる間にダンナはスルスルと近寄って、
「あのう、堤監督でしょうか?」
「ハイ」(ちょっと迷惑そうな顔)
「妻が気仙沼の出身で、お礼を言いたくて」
(監督の表情がパッと変わりました)
私がズズズイっと出て行って
「監督、自虐の詩、ありがとうごあいます。私、DVDも持っていて何度も見ています」と伝えると、
監督は「あの後、何回か気仙沼に行きましてね」
「ハイ、ハイ」と私。
「ドキュメンタリー映画もとりまして」
「ハイ!」と私。
「もう1本撮ってるんですよ」
「ありがとうございます!」と私。
「ずっとお礼を言いたかったのです。本当にありがとうございます」
私達のランの出で立ちを見て、監督は、
「ころばないように気をつけて」とハイ(私、涙目ですよ)
そうして握手をして頂いて、監督は立ち去りました。
日曜の朝の出来事でございます。
堤監督、本当にありがとうございます。
気仙沼サポートビューロー(KSB)定例会
今年最後の「気仙沼サポートビューロー(KSB)」の定例会がありました。
飯田橋のルノアールの会議室です。
さすがに師走ですね。いつもより参加人数は少なめです。
目黒の方が差し入れをしてくださいました。ありがとうございます。
美味しい!
「御門屋(みかどや)」さんの「揚まんじゅう」です。
来年の計画(案)とか、今年は正会員しかなかったけれど「賛助会員」を設ける方向での話し合いをしました。今日は参加人数が少ないので(案)としてまとめたので、年明けには決まっていくものと思います。
それに付随した年会費の見直しなどもしました。
なるたけ多くの方にご参加いただける会にしていきたいものです。
2次会は近くの沖縄料理店「島」さんです。
食べました、飲みました。
今年もありがとうございました。
来年もどうぞ、宜しくお願いします。
第4回 KSB復興フォーラム
第4回 KSB復興フォーラム「東洋一の魚市場 ふたたび ~水産業にみる気仙沼の強み〜」を開催しました。
(KSB=気仙沼サポートビューロー)
あの大震災の数日後に魚市場に関係する皆さんを集めて話したのは、
「6月に魚市場を再開する!」というもの。
佐藤組合長は、「その言葉は確かに私が話した言葉ではあるけれど、そこに居たみんなが言わせた言葉でもあったろうと思う」と述べています。
その話の直後に場内は「一瞬明るくなって、そしてまた暗くなった」と話されました。
その言葉はズシリと響きました。
「いったいどうやって再開出来るというのだ」という思い。
6月というのはかつおが始まる季節。
気仙沼は震災前、かつおの水揚げ日本一を誇ります。
その「日本一のかつおの水揚げ」になんとしても間に合わせなければならない。
そのためにはどうするか。
その時に「自分の仕事だけ復旧したらどうかと提案した」そうです。
出来ることだけをやる。
氷屋さんは氷を手配することだけに注力する。
「餅は餅屋ですから」と。
そういうことであれば出来るかもしれないと皆さんの意識が前向きになりました。
かつをを水揚げするために必要なものは「まずは電気と水と氷」。
その3つをどうにかしなければいけない。
「電気がない、水がない」これは市役所にお願いに行った。
しかも気仙沼は70~80cmの地盤沈下をしている。
とにかく魚市場のかさ上げを優先してもらうよう、これも市役所にお願いした。
市役所は「魚市場だけを優先するわけにはいかない」と言っていたが、
「これは気仙沼のためなのだ」と粘り強く交渉をされたそうです。
造船業の方も造船場を失っています。
従来のような修理は出来ません。そこで造船場に上げずに修理するという工夫をされました。
氷も資材も、とにかく自分が出来ることだけを早急にしよう。
そうして、奇跡の「6月の魚市場再開」が実現したのであります。
その背景にはこんなお話も。
5月頃に東京で会議がありました。
気仙沼を基地にしているかつお船の方々が集まった会議です。
そちらに佐藤組合長が列席しました。
かつお船の皆さんは気仙沼を心配され、今年は水揚げをしないでおきましょうという話をする予定だったようです。
しかし、気仙沼が魚市場再開に向けて頑張っている状況を伝え、またかつお船の皆さんも「それなら」ということで気仙沼に水揚げをしてくださった。そういう協力なくしてはかなわかっただろうと思います。そのおかげで、今年は16年連続日本一になりました。
ところで「かつおのお話」と佐藤組合長が話します。
「なぜ、気仙沼に皆さんが水揚げするかご存知ですか」
「かつお」というのは、色の変化が早いのです。
一日遅れると、黒い色が強くなってしまう。
銚子、八戸に水揚げしている間に色が黒くなってしまうのです。
かつおは、まずは北上し、それから戻ってきます。
その時に気仙沼沖を通ります。一番近い気仙沼港に水揚げするというのが理にかなっているのです。
ちなみに1600年代から、良港であったという資料が今も唐桑の小館(鈴木家)に残っています。
江戸に魚を運んだ記録です。
もっとも、当時は「生」は無理ですから、塩漬け、粕漬け、干したり、鰹節にするなどの工夫がありました。
「三陸沖は良き漁場と言われるが、どうしてかわかりますか?」と佐藤組合長。
「親潮と黒潮がまじるところと習いましたか?」ハイ、そう習いました。
「なぜ、親潮と黒潮がまじるといいのですか?」ハテ?
ロシアのアムール川の水が氷になって流れ出し北海道沖でとけます。
それが親潮にのって三陸沖に流れて来ますが、それには植物性プランクトンが多く含まれます。
また黒潮には、動物性プランクトンが多く含まれます。
それが混じり合うというのは世界的にみても非常に珍しい漁場となっています。
そのことで三陸は自然の恩恵を受けてきたのです。
なるほど〜。
江戸時代に伊達政宗がスペイン人探検家「セバスチャン・ビスカイノ」に港の調査を命じたところ気仙沼を見て、「われ 最良の港を発見す」という言葉を残しているそうです(スペイン語です)。その写しを佐藤組合長は大事に持っているそうです。
さて、現在、ノルウェーなど北欧では漁業の再生が成功したと言われていますが、はたしてそうなのでしょうか、と警鐘をならされています。
外国の漁は「まき網」といって、大きな船でダダーっと漁をします。
効率はいいのだが稚魚までも捕ってしまうので、そのうち魚がいなくなってしまうのではないかと心配されています。
それでも、漁獲量を制限して、休みを増やして、収入は同じとしたことで漁業の再生が可能になっています。
現在の日本は「とりたいだけとる」という方式だが、これを制限していかなければならないでしょう。
「割当」にすることで、「良いものだけを捕る」ということになるはず。
早急に手を打たなければなりません。
また、魚を適正価格で販売していかなければ漁業は破綻します。
「魚を知らない人は食べない
魚を知ってもらう努力をしている」
「魚を食べてもらいたい
そういう思いで仕事をしている」
「簡単な方法で魚を好きになってもらうことを
魚を手軽においしく食べてもらうためにPRしていきたい」
「今は骨なしの魚を普及している」
しかしながら・・・
「ご年配の皆さんなら、子供の頃に喉に骨がささった経験はおありでしょう。
そういう経験の中から、骨を上手にとりわけて食べることが出来たし、このくらいの骨ならどうってことないということもわかる。」
それに
「吉次」という魚は、本当に値段も高いが、味も良い。
その「吉次」の中でも最も美味しいのは骨と肉の間なんです。
だから、骨のない「吉次」を食べるなんてことは、どうなんでしょう?(笑)
この後は質疑応答でさまざまな質問が出ました。
貴重なお話ありがとうございました。
あの大震災の後に6月に魚市場を再開するという目標を聞いた時、多くの方は「無理だよー」と思ったと思います。私もそうです。でも、それを実行するには多くの方の協力が必要で、皆さんをそのように導いたリーダーシップはすごいものがあると感じました。
気仙沼はきっと復興する!と思います。
気仙沼は「海と生きる」というキャッチコピーを掲げました。
その言葉のもとに皆が前を向いて歩いている時に、国や県が成すべきことは何でしょう。
政治家の皆さんにもよくよく考えて頂きたいと思うのです。
あがらいでバー!
今年最後の「あがらいでバー!」が代々木・魚がしにて開催されました。
「あがらいでバー!」は気仙沼ゆかりの人達の集まりです。
気仙沼弁の「あがらいん」は、「どうぞ、家にいらしてください」という意味。
今回は出身者だけではなく、ボランティアで行ってくださった方々も参加してくださり、この会のひろがりを見せています。
本日のゲストは、気仙沼出身・日本マイクロソフトに勤務する齋藤玲紀さん。
「気仙沼市震災復興市民委員会」のメンバーでもあります。
レイキさんの楽しいお話は皆を惹き付けます。
仙台で過ごした大学生までは呑気に学生生活を楽しんでいらしたようですが、その後、結婚してお子さんが出来て、東京で勤務することになって。意識が大きく変わったようです。
外資系企業ですから英語習得も大変だったと思います。
TOEICの点数をあげて、出張では外国の人と意見を出し合わなければならない。
レイキさんはそれをおもしろおかしく聞かせてくれますが、並大抵の努力ではなかったと思います。
いつも仙台から参加してくださっているやまちゃんは、もうすぐ誕生日。
サプライズで、気仙沼「コヤマ菓子店」からケーキをご用意しました。
見てください、このケーキ!すばらしいです。
やまちゃんそっくりの絵をデコレイトしてくださって、味もサイコー!
東京にも送ってくださるんですね。すばらしい!
これは「コヤマ歌詞店」の「キャラクターケーキ」といって、私の甥っこが小さい頃の誕生日に嫁が発注したのは「ウルトラマンケーキ」で、その見事な出来映えに驚き、そしてそれを見た甥が大変に喜んでいたことを覚えています。
そうして、もう一つのサプライズはこちら。
先日、誕生日を迎えたTKはプロレスが好き。
そこで、これこれ(^ー^)。
今日も楽しい「あがらいでバー!」ありがとうございました。
来年もどうぞ、宜しくお願いいたします。