気仙沼の「K-port」さんで、「サメの話」があります。参加しました。
サメのシャークジャーナリスト沼口さんによるトークイベント。これを気仙沼で開催されたことは意義がありますなぁ〜。
会場にはシャークスのM子先輩もいらしてました。「サメ」ですもんね!
恵比寿ガーデンプレイスで「第19回 三陸気仙沼の求評見本市」が開かれているというので行きました。
様々な業者さんの新製品を見せて頂き、試食したり、購入したり!東京での開催は今年限りになるそうです。また以前に戻って気仙沼開催になるそうです。少しずつ前に戻っているのですね!
気仙沼出身にすごい人がいる。
永澤仁さん。
南町出身。私の2学年上にあたる。
気仙沼小学校→気仙沼中学校→気仙沼高校卒業。
このたび、本を出版され、その記念のトークイベントがあるというので、気仙沼出身らを誘って参加しました。
その前に本はこちら。
「もったいないワタシの売り方」
これ、ぜひ、書店でお手にとって見てください。
パラリとページをめくると、文字数がそれほど多くないので、サクっと読める感じがわかります。
実際に、サクっと読みました。
それでいて、深い。
トークイベントが行われたのは、渋谷・東急百貨店7Fの「MARUZEN&ジュンク堂書店」の喫茶コーナー。
事前に予約をしていて、1,000円でワンドリンクがついています。
机の上にはMacが用意されているけれど、ほとんどは永澤さんが印刷してきた「紙」を見せながらのトーク。
それがですね、ホント楽しいの。
おもわず笑っちゃう場面が多い。
けれど、その中にすごい深いことを話すのね。
「アイディアってさ、誰だって出来ることなんだ
だけど、24時間考える事が出来ない人には出来ない」
つまり、特殊な脳のことよりもそれに夢中になる時間がどれだけあるのかないのか。
そして、Macに用意されたムービーを見ると、スーっと引き込まれます。
力がある作品。
気仙沼出身にこんなすごい人がいますよー。
その後は、出身者の皆さんと一緒の飲み会。
「魚山亭」
宮崎の「地鶏」とか、美味しい。
しめの「冷汁(ひやじる)」が、こりゃ、旨いわ。食べ過ぎちゃうね!
気仙沼の話で盛り上がったのはいうまでもございません。
皆さん、ありがとうございました。また会いましょう!
今年最初の気仙沼サポートビューロー(KSB)定例会は新年会を兼ねて、「豫園(よえん)」で開催。
大江戸線の飯田橋(C3出口)を出るとすぐの「日中友好会館」の地下1階にある。
明日はこの会の設立の立役者である日出さんのお命日。
皆で黙祷して会は始まった。
会長のお言葉に続きまして、私も気仙沼から戻った挨拶を少しさせて頂き、そしてまた今年の計画(案)を語り、飲み食いし、そしてまた、皆様の挨拶など、気仙沼への熱き思いをそれぞれに語って楽しい会となりました。
皆様、ありがとうございます。
今年も宜しくお願いします。
MURCさんの打ち合わせに参加させて頂きました。気仙沼を応援してくださっています。ありがとうございます。
その後は「まこちゃん 新館」です!
昨日のこと。
気仙沼市役所も仕事納め。
年内で仕事を終了する応援職員の「辞令交付式」がありました。
私以外にも数名の方がいらしていて、市長さんがそれぞれにねぎらいの言葉をかけています。
私の順番は最後。
ねぎらいの言葉を聞いているうちに、この1年のこと、震災直後のこと、様々なシーンをパーっと思い出し、涙があふれて止まらなかった。
私は、あの震災から、
泣かない。
絶対に泣かない。
泣くもんか、と言い聞かせて生きていました。
泣いてしまうと、全てが崩れてしまいそうだった。
ギューっと押し殺していたものが、突然、ポタポタと流れ出ました。
自分でも驚く出来事でした。
本当は2年という期限で着任しました。
しかしながら、諸事情のため11ヶ月で終了させて頂いたのです。
この1年は文字通りに走り抜けたと思っています。
もうこれ以上は出来ないと思ったけれど、まだまだ出来たんじゃないか、任期をまっとうすべきだったのではないか、迷いはいつもあります。
でもこれは決めたこと。
私は、これからは東京から発信を続けます。
やっぱり気仙沼が大好きだから!
気仙沼、ありがとう!
気仙沼の皆さん、ありがとう!
一緒のチームでともに歩んだイニシアティブの皆さん、ありがとう!
そして、私を支えてくれた家族とテレパスのみんな、ありがとう!
気仙沼では、最初は母が住む「みなし仮設」と呼ばれるアパートにおりました。
2間に台所がついているのだから、2人でも十分に住めるはずなのだが、、、。
それまで広い家に住んでいた母にとって2間は考えられない狭さであり、また、「どうせ仮住まい」という思いもあって、タンスを買う気にもなれない。
「上」に積めない様々なものは、「横」に広がるばかりで、あっという間に一部屋を占領している。
そして、残った一部屋も、半分は様々なものが占領しているから、わずかなスペースに「川の字」にもなれなくて、「Tの字」をかいて二人で寝ていました。
しかしながら、二人には時差があります。
母は朝4時を過ぎると目がさめてしまう。
それから、そっと行動をするのだが、ワサワサという音がして、私も目がさめる。
夜は夜で、母は9時を過ぎると横になっていたのが、私が10時、11時、ひどいと12時頃に帰るものだから、ウトウトし始めた母は起きてしまう。
こんな事を繰り返しているうちに、お互いに大きなストレスが生じていた。
それでも、母は昼寝するなどして乗り切ってはいたが、久しぶりの「娘にご飯を食べさせなければいけない、しかも、こんな遅い時間に」が次第にストレスとなっていった。
私はアパートを探し始めていた。
しかし、市役所に歩いて通える場所にアパートの空きはない。困った。
そんな折りです。
古町2丁目、補陀寺の下に「応援職員住宅」なるものが出来ました。
遠い仮設(おもに千厩)に住む応援職員を優先にして募集が始まり、同じチームのアケちゃんが引っ越しすることになった。私は母のアパートがあるからと遠慮していました。
アケちゃんが引っ越ししてみると、意外にも千厩組は引っ越しが面倒だったのでしょう。期限付き任務が多いので、あと少しなら面倒な引っ越しを避けて、そのまま住み続けることを選択したようです。
「空いてますよ」
「エ!そうなの」
申請を出しました。
母との時差がある生活にストレスを抱えていること、車が運転出来ないから遠い仮設住宅に引っ越しが出来ないこと。
申請が通って、私は一人暮らしを始めました。
時折、母をたずねて掃除するという面倒な仕事は増えましたが、夜遅くなっても心配をかけずに仕事が出来ました。
その頃から仕事はさらに忙しくなり、9時前に家に到着することはほとんどなくなりました。
けれど、一人になってみると、母がアレコレしてくれたことや、家に帰ると電気がついていることにどれだけ癒されていたかを知ることとなる。
その部屋には、わずかな物しか置いてなかったから、引っ越しは、段ボール箱に4つと、シンセサイザー1台。
その荷物を宅急便にお願いして、ガランとなった部屋をみます。
ここで頑張った自分がいた。
新しくてきれいでした。けれど、応急で作ったのでしょう。どこかしこがチープでもありました。いえいえ、私には十分すぎる住居をありがとうございました。
私が仕事をさせていた市役所では、本庁のほかに第2庁舎、そしてワンテン庁舎があります。
本庁は昭和の建物で古いです。
第2庁舎は、昔、女学校だった木造の建物を使っていて、もっと古いです。
そして、ワンテンビルというのは、元々は商業施設だったものが衰退していたところを市が買い上げて庁舎にしたものです。
ここは一番、明るくて広々としています。
その1階の入り口付近に私達の席があります。
本来の部署は本庁の2階部分なのですが、産業部に間借りした形です。
その1角で、部署を越えた大忘年会がありました。
私どもも誘っていただきまして、今年最後の忘年会。
そして、急遽、私の送別もしてくださりました。ありがとうございます。
挨拶も述べさせていただきまして、これから東京で頑張る旨を話させて頂きました。
行政で働くことを何も知らずに飛び込んでしまった私達を支えてくださり、導いてくださった皆様、本当にありがとうございました。
また、遊びに来ます。
そして、2次会は私達のチームの皆様との名残惜しい席に。
ともに気仙沼に出向してきた民間企業。
私も含めて6人のチームです。
ありがとう、ありがとう。
言葉に言えないくらいの感謝です。
特にオオヤネさんとは、年齢が違うのに、ともに頑張った同士の気持ちです。
ありがとう、ありがとう。
そして、これからも宜しくお願いします。