気仙沼やっぱ寒い

南気仙沼駅に降り立つと、あ、やっぱ寒いわ。帰ってきたなーという感じ。

母が今日の「三陸新聞」と「気仙沼かほく」新聞を見せてくれた。

あら、父が先代の社長で、今は父の弟が社長をしている(株)小山平八商店(創業 明治39年)がマルハ(株)の子会社で(3月末で会社解散が決まっていた)気仙沼の鴎洋水産(株)を引き継ぐことに決まったと出ている。敷地と工場のすべてを買取り、従業員の皆さん全員(45人)を雇用することに決まったそうだ。へー。

私が気仙沼にいた頃、(当時はマルハの気仙沼営業所だったと記憶する)営業所長さん宅、のちに鴎洋の社長さん(マルハからの出向の方)の社宅に、父のお供をして何度か伺った事があるし、我が家にもいらして頂いた。父が生きていたらどんなに喜んだろう。それにしても父の会社がマルハの子会社を買う時代が来るとは想像出来なかった。

母と2人であさひ鮨に行く。母は私が帰った時にお寿司を食べるのを楽しみにしているみたい。だって父と最後に食事をした場所だからだね。

佐藤真海さんのブログ

スローな食に、スローな家。」で“アテネ・パラリンピック、走り幅跳びに出場した佐藤真海選手のブログが始まりました。”を見て、オオオ、さっそく私もリンクを。mami’s Diary

真海さんは、私の日本舞踊の師匠のお孫さんだ。笑顔が素敵。影ながら応援しています。

気仙沼地方に暗い話題

KABOさんのメールで「小野良の民事再生申請」を知って驚いた。

「小野良(おのりょう)」は気仙沼地方・最大手の地方ゼネコン会社で、まさか、、、という思いだ。

先々週の「週間ダイヤモンド」の「ゼネコンの経営危険度」記事の宮城県でワースト1に記されていて「え!」っと驚いたばかりだ。 asahi.com宮城にも記事が出ている。負債額は98億円、183人の従業員はどうなるのだろう? 下請け企業はどうなるのだろう? 地方経済は本当に深刻だ。

地方競馬からG1を制した「メイセイオペラ」は、小野良の3代目社長/良正氏が所有する馬だった。良正氏と私の父は同級生で、ともに故人。

現社長の奥さんには、私の実家から数軒先のエミちゃんがお嫁に行ってるし、妹の婿殿には、魚町2区ご町内の五典君が入ってる(現・衆議院議員)。

関係者の皆様は、どんな状況にいるのだろう。大変な出来事だ。

逗子の親戚宅へ

母の母(私の祖母)のたった一人の妹(母の大切な叔母さん)が、一昨年、娘夫婦の家(逗子)に引っ越した。

85歳を過ぎた妹が気仙沼から逗子に行っては寂しいだろう、言葉も通じないだろうと、祖母は気にかけていて、亡くなる4ヶ月前に逗子を訪れた。

その時は元気に新幹線に乗って行ったのに、祖母が逗子にいる間に父が危篤になり、父が亡くなると、あまりのショックで寝込み、それから4ヶ月も経たないうちに祖母はあっけなく逝ってしまった。逗子の妹よりも自分の方が元気だと威張っていたのにね~。

母は、その叔母を訪ねることを自分の使命のように思っているのね。横浜の弟の嫁の運転で、逗子まで連れていったもらった。

元気そうでなによりです。気仙沼の思い出話に花が咲き、時々、涙をぬぐいながらも気丈に話す叔母さんなのである。

人の一生は、最後の時までわからないもんだなぁ。

2歳の時に母に死に別れ、結婚してから終戦前には満州で暮らし、命からがら子供をかかえて帰国した叔母さんは自分の波乱な人生を「それも私の人生」と語る。えらいなぁ。