小倉百人一首

弟が子供達(幼稚園児)とお正月に遊ぼうと百人一首を1日1つずつ覚えているそうな。子供達はドンドン覚える。親は大変だって(笑)

祖父が生きていた頃(昭和44年に亡くなるまで)は、正月に百人一首をして遊んだ。叔父や叔母が下の句をとなえながら、バシッと取る。私ら子供は大人に助けられながら(坊主の絵とか、お姫さま~とか言われて)1枚か2枚をとらせてもらったっけ。あの百人一首はどこへやら。今度帰ったら探してみようっと。

ネットで検索したら、こちらのページが詳しい。

「小倉」は京都の小倉山のことだそうな。

上から10番目までは空で言える(かな?)。高校の古典の授業で習ったっけな~。その後は全然ダメだわ。百人一首ゲームのサイトも楽しい。

目黒のさんま祭りの写真

目黒のさんま祭りの写真をツヨゴンが撮ってくれた。

目を保護するために「ゴーグル」は必需品。これがないと、炭火の前に座った途端に目が痛い、痛い! さんまを焼くどころの騒ぎじゃないんだ。

気仙沼産のさんまは脂がのってるし、ずらーっと並んで炭火で焼いているから煙がすごい。ゴーグルをつけていても、数十分もすると限界で交代してもらう。何度も目を消毒して、それでも翌朝まで「いんずくらしい」のダ~。
(全員がボランティアなんだよ。すごいな~)。

パラリンピックで9位

私の日本舞踊の師匠(花柳千知恵先生)のお孫さん・佐藤真海選手が、パラリンピック/陸上・走り幅跳びで日本新記録で9位だ!

走り幅跳びを始めて、わずか半年で日本新を出すなんて、すごい、すごい!

益々の活躍をお祈りしています。

目黒のさんま祭

スタッフとして初参加。さんま5000匹を炭火で焼いて食べていただく。

気仙沼からは、ボランティアの皆さんがバス2台に乗って到着し、さんま祭に参加後は、そのままバスで帰る。体力勝負だな~。

私達・関気会(関東/気仙沼中学校29回生の会)は、純ちゃんが作ってくれた「さんま」を付けての参加で、それが大評判。

私は初めての参加なので、皆さんからいろいろ教えてもらってどうにか焼いたり、塩をふったりする。焼く時にどのタイミングでひっくり返すか、そして網にくっつかないようにするにはどうか、って案外と知らないことは多い。

ここで使う塩は、地元/岩井崎の天然塩を使っているので、塩に旨味があってうまい。

それにしても、我が同窓生は元気だな~。44歳を謳歌しているのダ~。

告別式に列席

中学、高校の同級生・スダさんのお姉さんの告別式に列席した。満45歳の若さで逝ってしまった。

スダさんのお姉さんとは、ピアノ教室でご一緒した。ハキハキとした利発的な方だった。

スダさんのお母さんは洋裁店を開いていて、ピアノの発表会の洋服は、生地選びから採寸、そして仮縫いも「先生」であるお母さんに見てもらった。お店にはお弟子さんが大勢いらして、店内は明るく、そして華やかだった。それが子供心にも特別な場所であり、大切な思い出として刻まれている。

発表会の洋服の共布でリボンを作ってもらい、それを付けてピアノの発表会に望んだ回数は、幼稚園から数えて10回以上だろうか。そして特別な洋服はいつも須田洋裁店で作ってもらった。1960年代の良き時代の良き思い出だ。

先日は、母方の祖母の葬儀に、スダさんのお母さんがご町内を代表してスピーチしてくださり、久しぶりにお顔を拝見した。昔の面影を残しつつ、だいぶ歳を取った印象を受けた。今にして思えば、その頃すでにスダさんのお姉さんの容態は悪く、大変な時期だったに違いない。改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。

それにしても、40歳を越えてから、同世代で亡くなる方が増えた。帰り道で「高校の同級生/ソフト部・ピッチャーでエースのKさんが癌をわずらって亡くなった」と聞いた。いつか会いたいと思っていただけに残念でならない。

人生は、あっけなくて、はかないな~。私には、どのくらいが残されているのか知らないが、若い頃よりも、もっともっと大切に生きていこう。

おやま治療院へ

今日は夏休みを取ってる社員が多いので、事務所は寂しい~スね~。

オリンピックも始まることだし、「早く終わろうよ~ん」と言い、ここんとこ身体の調子が悪い…という社員を連れて、弟が営む「おやま治療院(現在はおやま調整院)」に行く。

弟の「徒手(としゅ)医学」とかいうのは、口頭で説明してもわかりにくいが、一度診てもらうと、「ああ、こういう治療なのね」と納得するのではないだろうか?

あとで、どうだったかをよく聞いてみようっと。

弟とその社員の気質というか、性分というのか、そういったものが「似てる」と前々から思ってたんだ。会って話してみると、2人は同感出来る部分があるようだから、やっぱりそうかもしれない。

東京へ

楽しかった夏休みはおしまい。東京に戻る。18歳で上京してから今日までずっと、東京に戻る時、寂しい気持ちになる。このまま気仙沼にいた~い、って、そう思う。福島を過ぎて、宇都宮辺りになると、東京スイッチが入って「サ、がんばるゾ」と、自然にそうなるんだ。気仙沼で過ごした18年よりも、東京で過ごした年月が25年の長きに渡るのに、毎回、そう思うんだよね。不思議。

大松へ

弟夫婦が「割烹・大松」に連れていってくれた。ずいぶん久しぶり。ここの「釜めし」が美味しい。うな重もおいしい。お刺身もおいしい。釜めしの種類が豊富で迷っちゃう。今日はうに釜めし、かに釜めし、えび釜めしにする。サービスで付けていただいた「冷たい茶碗蒸し」も美味しい。

大皿の前でおだづ(はしゃぐ)甥っこ達。
大皿の上に見える絵は「棟方志功」の桜。

お店はちっとも変わってないが、釜飯が出てくる時間は格段に早くなった。釜めしの装置が新しくなっているようだ。進化してるなぁ~。おばさん達もお元気そうでなによりです。

盆踊り

弟の嫁に車に乗せてもらって「田中前」に買い物に行く。たまには、おばちゃんらしく、甥っ子達にTシャツを買う。Saleで安かったね。

買い物のあとは「クードフー」さんでお茶する。気仙沼にも、こんなイタリアンなお店があったのね~。ケーキセットを食べる。美味しい~。今度はディナーに来たいな。

夜は弟一家と出来たばかりの「紺ラーメン」に行って食べる。開店したばかりとあって、混んでいる。気仙沼で並んで待ってる人がいるんで驚いちゃう。新しモノ好きなのね~。

カウンタの他に畳に座る席もあり、我々はそちらへ。

ラーメン店を出ると、弟夫妻がジャスコの盆踊りに連れてってくれた。母と弟の嫁と甥っこらと盆踊りを踊る。結構、楽しい~(^-^)

家に帰ってからも余韻さめやらず、母に「気仙沼音頭」を特訓する。