気仙沼アダルトロックショー忘年会

帰省中の大船渡線内で偶然にも弟に会う。これ幸いと弟に鞄を預け、私は気仙沼駅から忘年会会場(田中前「喜乃や」さん)に向かう。
今年最後の忘年会は、気仙沼のアマチュアミュージシャンによる「アダルトロックショー」関係者のもので、私もまぜて頂いた。幹事さん、ありがとうございます。

初めて会う方もいらして、Jazzピアノの大御所とか(本業はサラリーマンですよ、と言ってた)、ドラマーは気仙沼に眼科を開業したという同い年のK氏。楽しかったね。来年もがんばっぺね。

「喜乃や」さんは初めて入った。
とても美味しくて、気仙沼の食のレベルは高いと思う。

外に出ると雪。シンシンと降るつもる。
南町のショットバーであと少し飲んで帰る。

大好きだった鼎が浦高校(現・気仙沼高校)

昨日、高校の先生のことを少し愚痴ってしまったが、本当は高校が大好きだった。高校の先生の教えは今も私の心の中にあり、辛い時には思い出す。
高校2年生のクラスはちょっと変わっていた。

クラスの90%が運動部に所属し、ほとんどの運動部のキャプテンがそろった。なぜ、そのように偏ったクラスが出来たか、いまだによくわからない。隣のクラスはその反動でクラスの90%が文化部だったと思う。私のように部活一筋組(私は硬式テニス班)は、日頃、勉強する時間がないから、成績では他の進学クラスに負ける。しかしながら、ここぞというパワーはよそを圧倒し、行事ごとでは必ずトップをおさめる。合唱コンクール、運動会、文化祭、仮装行列などの話題をさらった。

授業中は、部活で疲れた身体を休めるために「熟睡タイム」を決め込む者も多いが、例えば、数学が得意な者は、数学の授業では最前列に座り、英語が得意な者は英語の授業だけは最前列に座る、という工夫を担任には内緒で積極的に取り入れた。先生にも楽しく授業して頂けるようにと、生徒なりに考えた。

それでも新人戦が近づくと部活に忙しくて予習が間に合わないから、授業が辛い。皆で知恵を絞り、こちらから先生を質問攻めにしたことがある。「先生がノリに乗って話してくれる内容は何か?」考えた。

「卒論ってどんなモノですか?」「先生は何をテーマに書いたのですか?」これが先生をノセるのに一番、効果があった。
母校には若くて優秀な先生が多く、卒論は「つい昨日の出来事」だったので、先生も白熱し、1時間の授業すべてを先生のお話で終えることが出来た。
一度成功すると味をしめ、すべての先生から「卒論」のお話を聞いた。うまくノセると、数時間を「卒論」や「大学の話」に費やしてもらえた。先生のお話は実に楽しかった!

しかし、結果的には、他のクラスから大幅に遅れを取ってしまい、試験の前にあわてて進めるという事態に陥るのだが…。
それでも教科書にはない先生のお話は、私の高校生活の中でも有意義な時間だった気がする。昨日、書いてしまった先生もとても優秀な方で、「デキル生徒を伸ばす」ことに徹底していて、それはそれで良かったのかもしれない。

私としては「私立文系」などと進路を決めてしまうと、受験科目に偏った勉強にならざるを得ず、そのことが生徒の可能性を狭めている気がしてならない。もっとも、最近の受験のことは知らないから、もしかしたら、大幅に変わっているのかもしれないが。

亡き父の誕生日

父は生きていれば72歳。天皇陛下と同じ年。

いつものジョギングコースを2周した。
一部、近道したから、きっちり2周ではないが、かなりヘトヘトになった。
身体は疲れたが、脳のどこかが爽快になり、クッキリした感じ。神経が参った時は肉体を鍛えるのがいいかも。

浅草・羽子板市

母と浅草・羽子板市に行く。

初日の朝一番なので羽子板がいっぱいある。「ステキねー」うっとりする母。

羽子板は、お店ごとに顔付きや着物の柄が異なる。見ていて飽きない。
今年は人気力士「朝青龍」や「琴欧州」が目をひく。
記念にと「高久」さんで小さな羽子板を買った。

日本橋三井タワー

たまたま出張で東京に来ていた弟と待ち合わせて、話題の「日本橋三井タワー」の「マンダリンオリエンタルホテル東京」に行ってみる。

いやはや、贅沢な作りですのー。37階から38階は吹き抜けになっている。天井が高くて、窓ガラスは贅沢にデカい。東京を一望出来るすばらしい眺め。

お茶しようと思ったがひどく混んでいて、37階のスタイリッシュな「マンダリンバー」のカウンター席でオレンジジュースを飲む。カウンター席しか空いてなかった。しばし、気仙沼弁でアーだコーだとくっちゃべる。

気仙沼に帰る弟と別れ、母と「三井記念美術館」に入る。
国宝やら重要文化財を見る。が….すみません。よくわかんない(苦笑)。

私達の近くを歩くご夫妻は茶道具などに造詣が深いようで、うんちくを語っているから、耳をそばだてて聞いてみる。ご夫妻は国宝の茶碗に興奮し、うっとりと見とれている。が、、、母と私は「どこがいいんだろう?」状態。母なんか「失敗したみたい」だって(笑)
(社員旅行でY君が作った「壺らしきもの」に似た)壺が置いてある。「うちの社員もこういうのを作った」と場違いなことを言っては母と笑う。こういうモンは、見る側が価値をわからなければ、いかんなー。

それにしても、三井家ってのはとんでもないお金持ちで、それを文化面でも貢献した豪商ということがわかる。江戸時代から今につながる点はすごい。高尚な気分にひたりつつ、三越本店でウィンドウショッピングをして帰る。

母と歌舞伎座(夜の部)

■恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)
福助とその長男・児太郎が、「実は親子」の役を務める。
「実はなんとか」ってのが歌舞伎に多い。「実はお姫さま」とか、「実は兄弟」とか。
ありえねー設定ではあるが、そこが歌舞伎のおもしろさ。秘めたる思いをどう演ずるかが見もの。そうして、これを本物の親子が演ずるのは見る側も内面を想像するというおもしろさがある。
児太郎・好演で、先が楽しみだわのー。

■船辨慶(ふなべんけい)
ご贔屓・玉三郎の静御前がよい。二役の平知盛の亡霊が凛々しい。贔屓ですからね。文句なしよ(笑)
能の要素を取り入れて、それでいて歌舞伎らしさを損なわない点がこの演目のおもしろいところだと思う。

■松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
12月らしく、赤穂浪士の討ち入りのお話。
勘三郎の松浦の殿様役は実によい。勘三郎はこういう役柄(ちょっとひょうきんで、それでいて人間味あふれる役柄)はすばらしい。
久しぶりに見た橋之助もがんばっているのー。

平日だというのに、歌舞伎座は満席。母も楽しんだようで良かった。

母のポリープ

先月、叔父を亡くした後、母は市の「大腸がん検診」を受け、「再検査」と知らせが届いた。

叔父を大腸がんで亡くした直後だったので母のショックは大きく、何も手につかないまま1ヶ月が過ぎ、本日、再検査(内視鏡検査)を受けた。

結果は(子供達の予想通り)「悪性ではないポリープ」ということだ。

「癌」という病気を本人に告知する時代になったが、それとともに精神的なケアをどうするか考えないといけないと思う。
「大丈夫だって!」という母の声は、10代の娘のように、はしゃいでいた。いがったね。