偶然が重なる季節

年度末で外勤が増えております。

すると偶然、数年ぶりに路上で、ある方にお会いしてビックリ。
その次は新宿駅で、これまた数年ぶりに別の方にお会いしてビックリ。
それから、とあるビルのエレベータの中ですよ、さらに別の方にバッタリお会いしてビックリ。

私も外を出歩いていますが、皆様も歩いていらっしゃるのでしょうね。
不景気の中、経営者は本日も歩いております!

こんなに曲がるなんて

そういえば、土曜日に会社の近くを歩いていると、あれれ、交通標識がこんな風に曲がっていた。これほどまでに曲がるというのは、どれほどの衝撃だろうか?

車がぶつかったのか? それともバイクか?
2401.jpg

その翌日、少し直ってた(^ー^)
2402.jpg

時間はある!

先日のTチャン食事会にいらしていた上場企業の女性経営者はシングルマザーとして男の子を育てた。秋から息子さんはスタンフォード大学に留学し、一人暮らしになって数ヶ月。

感想をたずねると、
「一人暮らしって、こんなに時間があるとは思わなかった!」

会社の近くのマンションに住み、朝昼晩の食事には家に帰って息子さんと一緒にとるという暮らしを続けていた。母として、料理のほかに掃除や洗濯もする。その一方で会社を上場させる。スーパーウーマンです。それなのに謙虚。

私なぞ、ずっと「時間があった!」ことに気づかされる。

「時間」は、あると思えばある。ないと思えばない。

彼女は頭の回転が早いが、それもまた「時間がない」から、今ここにある問題をすぐに解決しないと先に進まない。持ち前の頭の良さに加えて、常に「脳」がトレーニングされているのだと思う。

時間があると呑気になる。そうすると、どこかが、何かが、錆びていく。イザという時に、錆び付いた脳が動いてくれない。

私は「時間がある」のに、勝手に「忙しい」と思っていなかったか?
もっとやりくりをすると、時間はたくさんある。

Tチャン食事会

Tチャン主催の食事会が「リーダーズサロンなみへい」で開催された。IT関係の仕事の方が多いが、ちょっとした異業種交流会のような感じです。

最初に「モデル駆動型アジャイル開発」のデモを、社会人1年生の女性がデモしてくださいました。学生さんの時から存じ上げている。当時はPHPで開発していて、就職してからはJavaでの開発を手がけ、まだ1年未満なのに、実に立派に成長されていて驚くばかり。彼女の努力もさることながら、指導者の質が高いと感じます。

また、「この仕事を楽しい!」と話す彼女に、会社のあり方、開発の進め方など、企業としての取り組み方は勉強になることが多いです。彼女の会社のトップもこの会の常連さんで、本日もいらしてます。わずか数年で成長されている企業です。工夫とやり方次第で会社は伸びるのですね。反省したり学んだり。

喜多方大使をされているという方が、「七転び八起き人形」をおみやげにくださいました。
1601.jpg

喜多方の「ゆず酒」も頂きました。おいしゅうございます。
1602.jpg

今日は自由に立ち歩いて情報交換をいたしました。
1603.jpg

お料理は工夫をこらしてあり、
1604.jpg

おいしゅうございます。
1605.jpg

Tチャン主催の食事会は触発される会です。
日本経済は低迷していますが、この席は熱い!
サ、明日も頑張るゾ!

それもまた運命か

やっぱりたまに、、、なぜ男に生まれて来なかったんだろう、と恨むことがあります。

私の実家は商売をしており、第一子に跡取りの男の子を望んでいました。
生まれてきたのは私、女子であります。

そのことをプレッシャーに感じてしまった母は、数回だけ出たお乳が出なくなりました。母がどれほどにプレッシャーに思ったのかは知りませんが、私の3歳年下には(学年では4学年下に)弟が生まれ、オヤマ家は跡取りが出来たと安堵し、我が家の人気は弟に集中しました。そして、第3子にも男の子が生まれ、大人たちは大変に安堵しました。

私は、第一子らしく周囲からは大切にかわいがられ、何不自由なく育ちましたから、なにも恨むこともないのだが、胎児の時から「男の子であってくれ」という周囲の期待がどこかに刻印されてしまったかもしれません。

女性は「仕事か結婚か」の二者択一しかないと思った時代に、周囲の予想を裏切り、私は仕事を選択してしまいました。

仕事を始めてからは女性であるというだけで、いろいろな問題を抱えます。
けれど逆に女だからと許されてきたこともあります。

プラスマイナスするとチャラか、もしかしたら優遇頂いたことの方が多かったかもしれません。

けれど、けれど、けれど、
やっぱり、やっぱり、やっぱり、
なぜ男に生まれなかったのだろうかと思う事態は時々やって来ます。

私の曾祖母という人は4姉妹の次女でした。
嫁に行くべきところを、なぜだかオヤマ姓を名乗り、男まさりであったと伝説にあります。
その人もまた「男でありたい」と思ったのでしょうね。

その人の娘(祖父の姉)という人も嫁いだ家を繁盛させた男まさりの人でしたから、そういう血が私にも流れているのか、それとも胎児の時からの「男であって欲しい」という願いが刻印されてしまうのか。

明治時代の先祖のことを思ってみますと、少し大げさですけど当人にとってハンディとなることを背負って生まれてきたことが、なにかの礎になっているとしたら、それもまた運命ということでしょうか。

すき焼きは家族団らんの味がする

昭和30年代、我が家は大所帯でした。

祖父母、両親、父の弟達と妹達、住み込みで働いてくださる方々、お手伝いさんが魚町と太田の2軒の家を使って住んでおりました。どちらも、さほど広くはないので、文字通りに川になって寝ていた記憶があります。

祖父は「さかなや」のだなはん育ちですから(注:気仙沼で「さかなや」と言うのは、町の魚屋さんの事ではなく、漁船のオーナーであったり、加工や卸売業などの経営者のことを言います)、食事は下々とは一緒にはとりません。

祖父母だけ別室で頂きます(なんだか時代がかっていますが、祖父は明治生まれですから、そういうものかと思っていました)。

昭和44年に祖父が亡くなった後も、祖母が私たちと同じ食卓を囲むことはありません。

祖父が亡くなる少し前から、父の弟や住み込みの皆さんが相次いで結婚して家を出ましたので、我が家は家族だけになりました。

それでも祖母は、私たちとは食卓を囲むことはありませんでした。

「あねはん(おかみさん)」としての習慣がしみついていたのか、せずねーわらすだぢ(うるさい子ら)と一緒では落ち着かないと思ったのか。

祖父母のお膳は5品か7品か、それとも9品か…、奇数と決まっていました。
ご飯とみそ汁と漬け物で3品、それにメインのおかずに小鉢が付くと5品。
デザートに果物などを付けると6品になるので、あと一つ小鉢を付けて7品にすることが多いのです。その1品が難しいと母がいつも悩みます。

そんな祖母ですが「すき焼き」の日は皆と一緒に一つの鍋をつつきます(後に、ホットプレートを入手してからは、これに鉄板焼きも加わりました)。

父の帰りが早い日はすき焼きでした。
父の帰りが早い日は年にいくらもなくて、クリスマスか、たまたま飲み会がキャンセルになったか….、そんな程度でした。

「すき焼き」には家族全員がそろいますから、幼い弟達は、大はしゃぎです。
「僕、お肉食べるー」と言ってるそばから、父がしずって(からかって)肉を箸でグイと寄せたりしては、祖母にしかられます。

それが楽しくて、またはしゃぎます。
父が「卵もう一つ」と言うと、弟らが「僕もー」と言います。
何というか、みんな嬉しくて、そしてガツガツ食べました。
祖母も観念してか、目を細めて見ていました。

昨日、ランチに入ったお店に「すき焼き定食」がありました。
0601.jpg

すき焼きを頂くのは、いつ以来でしょうか。
その鍋をつつきながら、家族で頂いた「すき焼き」を思い出しました。

昭和の時代は、きっと苦しい事も多かったのでしょうけれど、なんだか楽しい事ばかり思い出します。

ある日の朝

いつもの通勤路。
不思議なことに、とても静かな朝がある。

いつもと同じ時間帯。
電車がすいている。

会社の最寄り駅で降りる。
いつもの路地裏すいている。

あれ? 今日は平日でしたっけ?
間違えて土曜日に来ちゃった?
それとも、4次元ポケットに入っちゃた?
実はここは新宿のように見えるけど、あなたが思う新宿ではない、とか?(笑)
ンなこと、あるわけないだろう。それにしても静か。

少し歩いて、いつもの通りにぶちあたる。
なーんだ、いつもの風景がある。

忙しそうに走り抜ける宅配のお兄さん、ヤクルトの台車を押すお姉さん、路上喫煙禁止の道を眉間にしわを寄せてタバコを吸いながら歩く中年のおじさん。
いつもと何も変わらない。

今日の仕事が始まる。

第57回 別府大分毎日マラソン大会ありましたー

TVで「第57回 別府大分毎日マラソン大会」を見ました。

マラソン完走クラブのN選手とN選手の2名が一般選手として出場されています。

「TVに映るかしらん?」と思いながら、TVにピッタシと寄って見ていると、スタート前の2人の姿が映っています。

オー!と歓声を上げ、がんばれーと届かぬ声で声援を。

号砲の後、N田選手はトップ集団の中にいました。
存じ上げている方が、このように頑張っている姿を見ると、すごいパワーを頂きます。

その後はトップ集団から遅れていったのでTVには映りませんでしたが、ここの道をこの後に通っているのだなぁーと思いながら見ました。

1位:アディル・アンナニ(モロッコ) 2:10:15
2位:小林誠治(三菱重工長崎) 2:10:38
3位:秋葉啓太(小森コーポレーション) 2:10:53

楽しいイベントにする力

この2日間参加したイベント「Adobe MAX Japan 2009」は実に楽しかった。来年も是非、参加したい。

最近は費用対効果からイベントが縮小される傾向にある。
インターネットの普及により、「その情報は知っている」から「わざわざ足を運ばない」。イベント好きな私でさえ、以前と比較すると格段に参加率は低い。

Web制作の間で、Adobeソフトは必須(あるいは使っていなくても注目するに値する)から、元々の注目度が高いが、それでも2日間で13,000円(ハンズオンは+5,000円)の参加費に、これだけ多くの人が集まり、また来年も社員らを連れて参加したいと思わせるだけのものはある。

最初の「基調講演」の前の、オープニングムービーからして楽しい。
さすがAdobeだけに、大きなスクリーンに楽しい映像と派手な音楽。

アップルでは、必ず音楽を、ロック系の音楽をかけて、気分を昂揚させる。
そういった仕掛けがプレゼの前にある。

「基調講演」のデモの内容はよく吟味されているし、話は人を引きつける。

アメリカ人は身振りが大きい。
ごく自然な話し方で、壇上から目線ではなくて、「ねぇ、この機能が便利なんだよ、使ってるかい?」と、にこやかに話す。
3101.jpg

私の席からはマイクが見えない。
よく見てみると、肌の色に近い色の、そして小さなマイクをしていた。
そういえばジョブズもマイクが見えないけど、きっとこういうのをしているのでしょうね。
3102.jpg

基調講演で日本人が話したのは、初日のdocomo、2日目のアドビの太田氏の2名。この2人のデモはなかなか良かった。きっとお2人とも、相当に訓練されているのでしょう。

基調講演の会場内で、公式のカメラマンは皆スーツを着ていた。通常はカメラマンはラフな格好をしているものだ。カメラマンは聴講する我々の前をウロウロするので、粗相のないよう気を配っているのでしょう。

ランチタイムセッションを受けると、サンドイッチと飲み物を頂ける。
3104.jpg

このセッションは、出展企業の宣伝を兼ねた内容である。ホテルの食事は高いし、会場を離れるのは面倒だから、3会場のうちどれか一つのセッションをサンドイッチを食べながら見る人は多い。声を張り上げて見るように促すよりも、サンドイッチの箱につられて、スーッと会場に入る。

午後にはコーヒーが飲み放題。ペットボトルに入った水も頂ける。

参加者にはこのようなバックが配布され、このバックのマチが広くとってあるので、私は上着もいっさいがっさい入れて、頂いた水のペットボトルを横のポケットに入れて、2日間持ち歩いた。
3105.jpg

2日間とも最後には、バイキングが始まり、飲み物(ビールやジュース)が配られる。そして最後のスペシャルセッションへと進む。すべてを終了すると20時頃になるが、多くの人が残って、最後のセッションまで見入る。ここまでしてくれるので、あの参加料も納得出来る。

私はなるたけ年に一度はアメリカのイベントに足を運ぶようにしている。アメリカのイベントは参加費も安くないが、プレゼはうまいし、コーヒーには、ドーナツのような甘いものも付いていたり、朝は(アメリカのイベントは、朝7時くらいから始まる)、コーヒーとパンなどの軽食も用意され、一日じゅう会場をウロウロする。奇策なアメリカ人は、隣人をつかまえては「あの機能どう思う?」なんて話し出す。

つまり、インターネットでは得られないような「人と人とのコミュニケーションを楽しむ場」がイベント会場にはある。主催者も、参加者も、「楽しむ」ことが先にある。

抽選会場のPC上のスロットマシンの出来は、昨年よりも良くなっていて、残念ながらハズレだが、最後の最後まで楽しませて頂いた。
3106.jpg

この楽しさが、明日のWeb制作のパワーにつながっていくのかな。

社員達と新橋に移動して、オヤジが大勢いる店で飲んで帰ることに。なぜかそういう店は落ち着けるのーと、なんだかんだ言っても、やっぱ日本人らしい我々でございました。