叔父の葬儀

叔父(母の弟)の葬儀のために昨日から気仙沼にいる。享年60歳は早かったなーと、若々しい同級生の皆様を見て思う。同級生のお話から、私どもが知らない叔父の顔を知る。

叔父は気仙沼中学校から仙台一高へ進学して気仙沼を離れた。中学では陸上部の短距離走で記録を残しつつ生徒会長を務め、仙台一高では応援団長を務めるなど、リーダー的存在だったようだ。

一浪の後、獨協大学に進学して間もなく、叔父の父親(私の祖父)を癌で亡くす。大学を中退。簿記一級の資格を2ヶ月で取得し、祖父の家業を継ぐが、技術のない20歳前の若者と職人さん達とではうまくいくはずもなく、家業をたたむことになる。

叔父は一部上場企業の若干名の募集に応募し、200倍とも言われた試験になぜか合格し、秋田に勤務。新婚生活を送る。仙台に転勤する頃には1男1女の子供に恵まれ、いろいろな資格試験に合格し、順調な人生に見えた。

ところが、何を思ったか子供が小学校に入学する年の3月に突然、退職して気仙沼に戻った。私の勝手な想像だが、高卒という学歴は、一部上場企業における自分の将来が見えてしまって、つまらなく感じたのではないだろうか?

気仙沼では簿記学校を作り、教え子達をみな簿記試験に合格させるなど良い成績をおさめたようだが、自分が教育者に向いているかどうか悩むこともあったのかもしれない。

そうこうするうちに、縁あって気仙沼の足利本店に入社し(簿記学校はたたんだ)、 退職する頃には取締役常務を務めた。田舎の同族企業において、外部の者が取締役になることは異例のことだと思う。

6年前の平成11年、家を建て直すことが決まり、母親(私の祖母)の部屋を一番いい場所にこしらえた。「ばあちゃん、良かったね」と周囲の皆さんから祝福されると祖母から満面の笑みがこぼれた。

その工事が始まった頃、癌という病気が発覚する。家族から「病気はあまり良くない」と聞いた。本人には伝えていないことも聞いた。叔父の父と弟、そして叔父の従姉妹が癌で亡くなっている。だから自分も癌になるのではないか?と気にしていたし、人一倍、健康に気を配っていたにも関わらず、癌になってしまった。数回にわたる手術。そして入退院を繰り返し、そのたびに、少しずつ痩せていく。

叔父が入退院を繰り返すたびに祖母は「これ以上、長生きしたくない」と言うようになった。そして、昨年、私の父の死から祖母は鬱病になったか?と思うほどガッカリし、その3ヶ月後にあっけなく亡くなってしまった。今年の6月末には、祖母の一周忌の法要を済ませたばかりである。叔父は最後まで親孝行だったなぁ。

入退院を繰り返す叔父は、3年前に自分の仕事を後輩にゆだねて足利本店を退職した後、「人生応援団」というキャッチコピーを付けて「行政書士事務所」を設立した。

真面目な仕事ぶりに少しずつ顧客がついて軌道に乗り始めたのに、病気は容赦なく悪化する。これから、という時に、これから奥さんと2人で第2の人生を歩くという時に。

亡くなる2週間ほど前、気仙沼に叔父を見舞った。点滴用のスタンドを引っ張ってスタスタとトイレに歩く叔父に、「前(その2週間前に肺炎を併発してしまった時)より良いように見える」と言うと、「そんなことはない。前とは全然違うんだ」と冷静に言った。そして私達はいつものように、「税金のこと」「最近、株価が上がってること」などを話した。

「さ、ではそろそろ帰ります」という私に「○○(自分の息子)をよろしく頼む」とそれを2度繰り返して言い、私が「わかりました」と言うと、安心して目をつぶった。その姿が今も目に焼き付いている。

叔父は、数日前から意識が朦朧とし、そのまま眠るように亡くなったと聞いた。

ご冥福をお祈りします。