「代々木 魚がし」にて、復興に向けて我々が出来ることの作戦会議(という名の飲み会?)を開催しました。
「来週にでも開催しましょうか」なんて話していたら、「またたび」と「TK」が新宿に来てるというので、
「ほんでは今晩、魚がしで」ってな事で会うことに。
「魚がし」さんは、気仙沼出身の畠山さんのお店で、この大震災以降は特に気仙沼人が集まっています。
今晩も、偶然、階上出身のオオワダさんがふらりと入って来て、
「ほんで、一緒に」と。
4月の例会は、気仙沼に帰るために休ませて頂きましたので、2ヶ月ぶりの定例会です。
先月は、iPadのGarageBandのデモがあって、あーあ、見たかったわー。
で今月はですね、新しいMac Book ProやiPad2を使ってのデモ。
最近は本当に内容が充実していて、2時間の枠がいっぱいいっぱいです。
詳しいことはブログに掲載してありますので、そちらをご覧ください。
ブログ担当の方が、実に詳しいのです。すばらしいですよ、ホント。
そうそう、昨日、被災地に弟一家にプレゼントするためのiMacを発注した。
気仙沼にいる時に発注しようと、iPadを使ってやっていたのだけれど、電波の入りが悪くて途中で終わってしまった。それで「東京に戻ったら発注するわ」。
・・・と、その間に、iMacがバージョンアップしました。
これは、なんてラッキー!
どれどれ、どのスペックにいたしましょうか。
調べているうちに、うーん、iMacいいわー。
次はiMacにしようかしらん。。。
弟のところには、21イントディスプレーで、Core i7に上げて、メモリも8GBにしといた。
これで当分の間は使えるじゃろ。
な〜んにもなくなってしまった弟達に、少しでも明るい気持ちが蘇るといいなぁ。
テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」5時35分頃から、今回の帰省に密着取材して頂いたものが放映になりました。
結構な量の取材があり、私たちも不慣れなので、あれこれと答えてしまったので、いったい、どのようにまとめるのかしらん?と思っておりました。
私が伝えたいこと、あれもこれもありますが、今回のテーマは「新幹線が通った事で、やっと地元に帰ることが出来た被災者の訓子(のりこ)さん(母)」です。
本当によくまとめられていて、感心しました。
ディレクターさんには色々とお世話になりました。
録画をしておりますので、見ることが出来なかった方で、見てみたいと思われる方はご連絡くださいませ。YouTubeに、パスワード付きで置いております。
スッピンじゃなくて、化粧すれば良かったわ(ボソッ)。
母が借りたアパートがあります。
母の実家の親戚の方が、そのアパートの部屋をいくつか押さえていました。
その一つを、母にどうぞということで、先日、弟が契約してくれたようです。
家主さんには申し訳ございませんが、狭くて、古くて、何年も人が住んでなかった所です。
それでも、避難所よりはずいぶんと良い感じがしますが、東京なら、リフォームしていなければ、誰も借りないよねーと、つい言ってしまいます。いえいえ、今は非常時ですから、借りられるだけでもありがたいです。
私が「エー!ここに住むのーーーー?」と100回ぐらい母に聞きます。
「東京にいればいいのに・・・」
しかし、母は、こちらのアパートには親戚らが何人もいますから、安心のようです。母の部屋が1階の角部屋のため、人の出入りがすぐにわかります。
親戚の叔母らも、出入りの際には必ず「いだの?」と声を掛けてくださいます。
母にはそれがいいんですね。
しょうがないので、私はひたすら掃除です。
これがですね、拭いても拭いても、汚れがとれません。
クモの巣もたくさんあります。
私がいちいちクモの巣にギャーギャー言いながら掃除。
ダンナも一生懸命です。
甥っこのトモちゃんも来てくれて、とにかく掃除。
実家からどうにか持ち出したものは、泥がついていて臭いし、何度も何度も洗います。
東京にいても、こんなに掃除してないのになぁ〜w。
再び、実家に行って、何かないかと物色していたら、マルキの車が通りました。
マルキの車・・・誰?と思って見ていたら、
向こうも、「マルキに怪しげな人物発見!」と思ってか、降りて来ました。
オオ、オオ、ひろちゃん、無事でしたね。
従兄弟のひろちゃんは、マルキの川口町の工場にて津波に遭遇。
川口町は大変に被害の大きい地域です。
工場の屋根に上がり、そこからお隣にダイブして、避難。3日ほど孤立状態だったそうです。
工場とお隣の距離は、結構あります。
落ちていたらと考えるとゾっとします。
東京からお見舞いに来ていたみっちゃん夫妻を乗せて、気仙沼市内を案内していました。
「みっちゃん、ピアノが残っていたよ」
「エー! あのピアノが残っていたの?」
私のピアノは、従兄弟、従姉妹、みなんが弾いて遊びました。
みーんなの思い出のピアノです。
気仙沼がこんなんなっちゃったね・・・。
きっと復興しましょうね!
魚町の、実家の2階に上がり、ピアノにお別れを言うことにしました。
ピアノは、まるで私を待っていたかのように、そこにありました。
ピアノのふたをあけて、赤い布をとると、ピアノは、何もなかったかのように、すました顔をしていました。
ポロン。弾いてみる。
音がポローンと鳴る。
ポロンポローン。
鍵盤を見ていると、ここがこんなにグチャグチャになっていることを忘れます。
私は、初めてピアノを弾いた時のことを覚えていません。
2歳だったのか、3歳だったのか?
とにかく、物心ついた時には、ピアノを弾いていました。
先生にしかられながらレッスンしました。
その厳しかった先生は、この津波で亡くなりました。
ポロンポローン。
気の利いた曲を弾きたいけれど、何も浮かばず、とにかく即興で今の気持ちを音にしてみます。
それも、たいしたコード進行も浮かばないから、
FM7 Em7 Dm7 CM7 なんて、ありふれた進行で。
目をつぶります。
ありがとうピアノ。
幼い時は、ちょっと引きこもりで、
文字も読めなくて、落ちこぼれて、
それでも、楽譜は読めるし、楽器の演奏が好きでした。
カスタネット、ハーモニカ、リコーダー、ピアニカ。
音楽の授業が好きだったのはピアノのおかげです。
ありがとうピアノ。
あなたは、もうすぐ壊されてしまいます。
でも、ここから出してあげることが出来ません。
だから、ピアノ、今日は弾き納めです。
ありがとうピアノ。
たくさんの思い出をありがとう。
鹿折の叔母をお見舞いに参りました。
家と工場が流されてしまい、いまは立ち入り禁止区域です。
叔母は、実家に身を寄せていました。
叔母は、息子(従兄弟のたっちゃん)と、従業員さん2名の合計4名で工場の屋根に避難し、そこで一晩過ごしたそうです。
色々なものが流れて来て、人を何人か助けてあげて、マルキの工場の屋根にも、あと2人が避難して6名になったそうです。
「屋根にどうやって上がったの?」と聞きますと、
何か、ロープみたいなものがたまたまあって、それを掴んで、上から息子らに引っぱり上げてもらったそうです。
「上がるのは必死だから出来たけど、降りる時は恐かった〜」って。
本当に命からがらです。
鹿折に行く途中、iPhoneで録画したのがこちら。
鹿折は、津波だけではなく火災がひどく、その焼け跡を見ますと、胸がグっと苦しくなります。