銀座まつじんでジンギスカン

ダンナは北海道名寄市出身です。
子供の頃から食べていたというジンギスカン、それが松尾ジンギスカン、「まつじん」なのです。

昨年、銀座に出店した「銀座まつじん
もうね、当日、予約しようとしても満席でなかなか予約が出来ません。
そこで、数日前から予約をして参りました。

実は、北海道東京会議の常連さん達と勝手ながら「まつじん応援大使」という会を作って、内地の人にも「まつじん」を広く知って頂こうという活動(といっていいのかどうか(^^;)をしています。

私が、気仙沼以外を応援するのは、Macとまつじんだけかと思います。

それが、ジャーン、こちらです。

100分、食べ飲み放題で、銀座で4,500円って安いですよ。
(食べ飲み放題 4,500円コースがあります)
飲み放題のお酒も豊富ですし。

美味しうございます(^ー^)。

ダンナも満足でございます(^ー^)。

きれいに食べ尽しました。
締めのうどんも頂きましたよ。
鍋をなるたけきれいな状態で食べ終わるというのが、私達のちょっとしたこだわりです。

本場ジンギスカンを楽しみたい方は、ぜひ、こちらのお店にお越しくださいませ。

WordPressプラグイン:inquiry-form-creator

そういえば、このページに「お問い合わせ」を置いてなかった。
プラグインを探すと、ありますねー。すごいですね〜。
気に入ったのは、「inquiry-form-creator」です。
さっそく設置しました。

設置方法は、こちらのページに詳しく記載されています。

Ver.0.7.7(LastUpDate 2011.8.1)です。とても使い勝手が良い。

特にこれら。
・入力確認画面が出る
・メールアドレスのバリデーションが良い
・csv書き出し出来るのが良い

ということで、やっとやっと「お問い合わせ」が整いました。

アップルのジョブズ氏がCEOから辞任

とうとうと言いますか、アップル社のスティーブ・ジョブズ氏が CEO を辞任して会長になりました。

基調講演を見ても、だいぶ痩せてしまったから、健康面が気になります。

私はアップル社の Macintosh に出会って、人生がまったく変わりました。

それは良い方に変わったわけで、50歳になった今も活き活きと過ごすことが出来るのは、アップルが次々と発表する魅力的な製品のおかげでもあります。新しい製品にワクワクし、前よりも便利になることに驚いたり楽しんだり。

その生みの親の一人であるジョブズ氏の CEO 辞任は、寂しいものがあります。

と、この文章も Mac を使って書いております。

気仙沼の真っ赤なコーヒーショップ

気仙沼「アンカーコーヒー」のプレミアム店が、明日(8/24)解体されるそうです。

アンカーコーヒーは、気仙沼でシアトルコーヒーが飲めるコーヒーショップです。
その真っ赤な建物が、意外にも港町・気仙沼には良く似合っていました。
それが、あの大津波で被災し、建物は全壊です。

こちらは被災前のプレミアム店です。ステキでしょ。
元々あった倉庫を改装してショップにしたのです。
店内の隅々までセンスが良いです。

ずいぶん長い間、あったものと思っていましたら、2年8ヶ月という短い命だったのですね。
アンカーコーヒー クルー日記」に記載があります。

一人で本を片手に入って、ゆっくり読書したり、家族や友人とお茶したり、朝も行ったのに夕方も行ったりと、頻繁に利用させて頂きました。

気仙沼に、こういうお店を創る人がいる!と驚いて、専務のヤッチさんやノリコさんとお話をさせて頂いたのもプレミアム店でした。

私が、「こういうお店があるよ!」と母に教えてあげたら、すでに母は足しげく通っていたことも驚きでした。

店内のお客さんを見てみると、母のような中年を越えたシニア世代も、結構、来店しています。それは東京のスタバの光景とも異なると思います。

母に、「セルフサービスなのに、大丈夫なの?」とサービスを重視する、結構、厳しい目を持つ母にたずねると、「2階に自分で持って行くから、「まだいだの」と思われないのがいいのっサ」って。ヘェー。そんなものですか。

ここは居心地が良くて、ついつい、のんびり長居しちゃうんですね。
その居心地の良さが、ファンを増やします。
それが、あの大津波で被災してしまった。

ヤッチさんのブログを見ると、新しい何かが始まりそうです。
それもまた楽しみです。

今まで店舗探しを控えていた様子には、何という心配りでしょうと、頭が下がりました。
それにしても、なんだろう、気仙沼の人は前向きだなぁー。

1000年に一度の大津波にどう向う?

今朝見たTVのニュースの中で「貞観地震の規模がマグニチュード9級である可能生が出ている」と言っていました。これまでの常識以上の規模であったかも、という意味です。

北大の平川特任教授らの調査によると、気仙沼市大谷海岸の高さ約2メートルの海岸の崖を調査したところ、6,000年に6回の、10メートル級の大津波が発生していた可能生が高いことがわかったようです。

こちらに関する記事はネットにでも出ていました。

今回の津波では、沿岸から少し離れたところに住む皆さんが「まさか、ここまでは来ないだろう」と、ご自分の経験や、100数十年程度の記録から考えてしまい、逃げ遅れてしまったケースが多い。

自分自身の、せいぜい数十年の経験なんか、この大自然から考えると意味もない。
私達は、もっと大きな自然の中で生かされていることを改めて思う。

この研究結果が、あの大津波の前に出ていたら、少しは役に立っただろうか?
人間は悲しいかな、辛い記録は徐々に薄らいでしまう。

かさ上げの予算確保も厳しい中で、私達の時代に、いま考えうる最高の「安全」を考えていかなければ、1,000年先の子孫に笑われるだろう。

「安全」でありながら、基盤産業の水産加工業を活性化するための街づくりは、容易でないことは誰が考えてもわかる。その難行に、国も市民も取り組まなければならない。

宮城県知事が、夜のニュースで話しているのを見た。
わかりやすい図で示された「工場を下に、住居は高台に。」

シンプルで小さい子にもわかるであろう図です。
正論です。たしかに。

それがスーっと出来ない理由がたくさんあるから、それを実行するためには、あのシンプルな図には書き表されていない事情と向き合わないといけない。

いまだに仮設住宅にすら入れない人が、気仙沼市だけでも1,000人以上もいる。5ヶ月以上も、あの避難所暮らしをしなければならない人達がこれだけいるということから見ても、あの理想的な空間にすることがどれだけ困難か、絵に描いた餅にならないことを願うが、はたしてどうでしょうか。

上(行政)が考えて下(市民)が従うなんて構図を誰もが捨てさり、「私達はこうしていきたい」と、老若男女、それぞれの立場で考えなければならない。考えて行動に移さなければならない。愚痴を言っていても、何も先に進まない。

なんてことを、仕事で疲れているであろうダンナに向って熱く語る夜でございます。

さんまのオブジェ製作

気仙沼中学校29回生の東京在住組は、「目黒のさんま祭り」に毎年参加しています。

「今年はどうなるんだろうね?」と心配していましたが、「今年も目黒のさんま祭りは開催する!」ことが決まったのであります。

そこで、私達・関気会(気中29回生の関東在住の会)は、被災してしまったふるさとを思い、さんまのオブジェを製作して販売しようということになりました。

これまでジュンちゃんが作ってくれたオブジェの人気が高くて、「売ってください」と言われていたことに気を良くして、少しでも気仙沼のお役に立てればと思っております。

ジュンちゃんの指導のもと、皆で作りましょうね、と言っていたのに、私はいまだに製作に参加出来ていなかった。ごめんなさい、皆さん。

本日、とうとう参加して製作の一部を担当させて頂きました。

2つ後輩のMさんと待ち合わせて、真弓ちゃんに迎えに来てもらって、目黒区のスダが避難している場所に参りました。

こんな感じで、作業は進んでいます。

作業分担をしていて、私は初心者コースをw。

テニス部の後輩のMさん、魚町出身のマリコちゃん、真弓ちゃんの妹さんも参加してくださって、関気会メンバーと合わせると、総勢10名近いでしょうか。

最近の気仙沼情報を交換し合います。同級生はなぞしてっぺね?
そして、こちらが出来上がりの少し前。
これにもう少し手を加えて完成しますので、まだ道のりは長く。

8月の作業日は、8/27(土)
9月は、毎週、土日に行います。
9/18(日)が「目黒のさんま祭り」ですから、それまで頑張りましょう!

手伝ってくださる方は、私か関気会メンバーにご連絡ください。
お待ちしております!

マラソン完走クラブ(51回目):府中 & 5周年記念

すっかり、マラソン完走クラブの練習会をご無沙汰してしまいました。
前回の参加を確認すると、4/23の代々木が最後です。

今日は練習会の後で、5周年記念の宴会があるというので、ハリキッて申し込んでおります。

私のランも5周年です!

今日はスピード練習らしいです。
このごろは、スピード練習をしていないから不安がつのりながらの参加です。

まずは長いアップジョグ。
9:15スタートですが、私がその時間に行くと、もうほとんどの皆さんがアップを始めていました。それから、9:40近くまで、ゆっくりジョグでアップします。

それから準備運動。
そして、流しを4本だったでしょうか。

身体がだいぶ動いたところで、本日のメイン練習です。
500m×3本を3セット。
間に200mの流しが入ると説明を受けました。

私は遅い方から2つ目のグループに入りますと、ダンナはそれより1つ上のグループへ。

エー?大丈夫?
グループを間違えてない?

私のグループは、キロ5分10秒程度のようです。
ダンナはもっと速い。

これでも付いていくのが精一杯です。
それで2セット目まで頑張ります。
身体が動いてきたら、もうちょっといけるかな?

1つ上のグループに移動しました。
すると、ダンナはさらに上に移動しています。
エー、大丈夫?

ダンナは最後の最後に、さらに上に入ってました。
いつの間にか、走れるようになっていたのですね。

そしてダウンジョグをして、充実した練習会はおしまいです。
やっぱり、時間を作って参加しましょう。
仲間と走るのは、とても刺激になります。

府中の駅前の「白木屋」さんで、「マラソン完走クラブ 5周年」です。
代表の中田さん。
会社員でありながら、この会を運営してくださっています。
ご自身のタイムもすばらしい。

私のランも5年が経ちました。
皆さんと比べると進歩は遅いけれど、比較してもしょうがない。私は私の目標を見つけて走るだけです。

スタッフさん達の目標を聞かせて頂きました。
皆さんの志が高いです。
私もがんばるゾ!

地震の後は、本当に辛い日々だったけれど、走ることが私に元気をくれました。
私が走り続けることが出来たのは、マラ完のおかげです。
これからもマラ完とともに、ランLifeを続けていきたい。

その後はお酒組とお茶組に分かれました。
私はお茶組の方へ。
武蔵野茶房」には、甘いものもたくさんありました。
甘いものは別腹ですねー。

東京マラソンは落選するわ、Bluetoothは調子悪いわ

東京マラソン2012の、先行発表があった。
年会費を払って「プレミアムメンバー」というのに入ったのに、、、
倍率の低いペアでのエントリーだったのに、、、
結果は落選でございます。シクシク。

でも!
会社のY君が当選しました!
Y君はこれから練習を始めるらしいです。
彼は、第1回にも当選しているのでコースはわかってるから大丈夫でしょう。

私は、10月の一般選考を待ちます。
そっちも落ちたら、気仙沼市のゆるキャラ「ほやぼーや」で応援しようかなぁ。
気仙沼市が貸してくれるといいなぁ。

というか、最後まで諦めずに朗報を待つとしましょう。

それはそうと、新しい iMac の Bluetooth の調子が悪いようで、「Jawbone JAMBOX」を認識したり、エラーになったり。詳しくは別の記事で書いておきますわ。

(後日:エラーを回避する方法がわかりました。こちらに記載しています)

櫻井音楽教室のこと

気仙沼の後輩からメールを頂きました。
ありがとうございます!
とても嬉しいです。

鼎が浦高校(現・気仙沼高校)の硬式テニス部では私の2つ下の後輩です。
それより以前に、櫻井音楽教室で一緒にピアノを習っていたので、小さい頃から存じています。

櫻井孝子先生は、この津波でお亡くなりになりました。
先生は、とても厳しくて、友達のスダなんか「首になったよ」なんて言ってるくらいで、小さな子供相手にやる気のない人は「来なくていい」という方針でした。

私は、物心ついた時には、もう教室に通っていたので、おそらくは3歳か4歳で習い始めたのだろうと思います。

母の実家が弁天町にあり、母方の祖母が送り迎えをしてくれたおかげで通い続けることが出来ました。

発表会の時には、ピアノの練習はもちろんですが、お辞儀を丁寧に指導されます。
名前を呼ばれて、ステージにあがって、ピアノにたどりつき、そしてキチンとお辞儀する。こういう事にも手を抜かない先生でした。そのおかげで、私は社会に出た後に、面接等で大変助かったわけですが。

その厳しさの中で指導を受けた門下生は、この津波で先生が亡くなったことに心を痛めています。

私は中学2年の秋にピアノ教室を辞めてしまいました。
バスケ部に入って、突き指がたえず、先生から「ピアノかバスケか」と言われた時に、おもしろくなってきたバスケを選択してしまったのです。

もっとも、その少し前から、先生から「音大に行くのか・行かないのか」と進路を聞かれていたし、私の手は小さくて、ピアノも上手くないし、ソルフェージュも苦手だった。音感が悪いんですね。だから、私なりに悩んでいたわけだ。

その決断をした夜を今もハッキリ覚えていて、私は泣きながら、その時の課題曲を弾いていました。このように、ただピアノを弾いていたいだけなのにと。

ピアノを選択していたら、もしかしたらピアノ科に進んだかもしれないけれど、私は内気でおとなしい子でしたから、その道を進んでいたら、とても会社経営にはたどり着かなかったろうと思います。

しかしながら、心のどこかでいつも、その選択があったかな?と思ったりして。

先生は、本当は声楽が専門でした。
先生が歌う「ペチカ」が好きです。

来年の、その日に、気仙沼のどこかで先生を偲ぶ会を開きたいなと、そっと思っています。
ともに教室に通っていたミキちゃんに連絡がつくかしら?