母と金沢(3日目)

旅行の最終日。
昼のバスで飛行場に向いますから、あまり時間はありません。

母は「加賀友禅が見たい」と言いますので、ホテルのコンシェルジェに聞いて、お店を3つほど挙げて頂きました。

香林坊でタクシーを降りて、堅町商店街をブラブラ歩きます。
若者の街だそうですが、その中に加賀友禅のお店がありました。
値段が相当しますから買うわけでもないのに「こっちがいいかしら?」なんて母は言ったりしてドキっとします。

見てるだけですけど、良いものを見ると、目が肥えて来る気がします。気のせいですがw。

近くに「武家屋敷跡」がありますが、母は武家とか城には興味を示さず、同じ時間を過ごすなら、まだまだ小物などを見たいという人でして。私は男性的ですから、城とか武士といったものに興味を持つわけで、ちょっと心残りではありますが、私はまたいずれ来ることもありましょう。

駆け足でお店を見てまわって、ホテルに預けていた荷物を受け取り、金沢駅近くの小松空港行きのバス停へ。

贅沢な旅もこれにておしまいです。
母はこれから気仙沼に帰ります。
「今日は東京に泊まってはどうか?」と言ったのですが「今日中に帰る」と言って強行スケジュールです。

一番大変なのは羽田空港から東京駅の新幹線乗り場に向う道中でした。
東京の人の多さに参りながらも、しっかり歩いてる母です。
東京は足腰が弱ってしまっては辛い街です。東京駅の混雑ぶりも大変な状況で、東京に住まう私も辟易しました。

16時近くの新幹線を見送り、
20時過ぎに無事に家に着いたと母から電話をもらって安堵した次第です。

疲れは明日から出るでしょうね。
私も、私一人ではこのような旅はしませんから、荷物持ちと写真担当(そして、つたないガイド)ではありますが、楽しい旅でした。

気が早いもので「来年はどこに行きましょうね?」と話す時もまた楽しいものです。

母と金沢(2日目)

天気予報では午前中は「雨」でしたが、朝食を頂いているうちに雨は上がったようです。

「ひがし茶屋」見物に向います。
バスが出ていますが、急ぐたびでもありませんから、ブラブラと歩いて向いました。

すると途中、尾張町に「町民文化館」がありました。
無料で中を見せてくださいます。

金沢貯蓄銀行だったそうで、その趣のある店内は、エー、これ無料とは。
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その少し先の「尾張町老舗交流館」にも入りました。
こちらも無料で「加賀蒔絵」のすばらしい器などを見せて頂きました。奥にも通していただき説明を受けます。
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「尾張町」の由来は、前田利家が「尾張」出身で、尾張から来た商人を住まわせたところから来ているそうです。金沢の経済の中心でもあったようです。こちらの建物は大正期のものだそうで、戦争の被害に合わずに、そして大切に保存されて残っている(残している)のは、なかなかに維持も大変でしょうね。

泉鏡花記念館」に入りました。
入場料300円、65歳以上は200円。
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ここが泉鏡花の生家の地だそうです。
坂東玉三郎のお芝居で泉鏡花の世界を見ておりますから、その遺品の数々を興味深く拝見しました。

教えてもらった通りに、神社の中を抜けて右へ右へと進むとありました「くらがり坂」です。
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尾張町は経済の中心、そして向こうはお茶屋さんが立ち並ぶ茶屋街、その2つを結ぶ薄暗い坂。いろいろな物語もありましたでしょう、その坂を母と歩きます。

坂を降りると「主計町」の茶屋街があり、さらに橋を渡って参りますと「ひがし茶屋街」です。ガイドブックと同じような場所で写真を撮ります。
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食事が出来る店、小物を売る店など様々あります。
お買い物大好きな母は、小物の前であれこれ品定め。
私は買い物を待つお父ちゃんのような気持ちですが、せきたてては可哀想だから、私もあれこれ手にとって見てみます。

母は小さいものをいくつか買って満足。
あらもう、お昼を過ぎてしまいました。

近江町市場」でお寿司を頂くことに。
たくさんのお寿司屋さんがあって迷います。
ここがいいかいしら?と思うと、結構な行列が出来ています。

足も疲れておりますし並ぶのはよして「いちば館」の2階の「近江屋 伝兵衛」さんで頂きました。ご飯が少ない、、、ちょっと少なすぎではないでしょうか。これではいくらでも食べれるけど値段も安くはありません。セットではなくて好きなものだけ握りで頂きました。
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天気は曇から晴れに変わりました。

私は「金沢城公園」を散策したかったのですが、足が疲れてしまった母は城に興味を示さず、石垣の横を通って、お目当ての「兼六園」に参りました。
入場料300円、65歳以上は(その証明を見せることで)無料になりました。
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これは母が撮影してくれました。兼六園にて。
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成巽閣(せいそんかく)」は別料金(800円)です。
1863年に奥方のために建てられた建物。

「時雨亭」でお抹茶セットを頂きます。
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金沢城跡に行けないのは残念ですが、母の足の疲労もピークに達し(それでもなぜか買い物となると俄然、元気が出ますけど)、いったんホテルに戻って足を休めてから夕食へ。

ホテル近くの「割烹 つづみ」に参りました。
ガイドブックで写真がきれいに出ているし、こういう高級感あるところに母は行ってみたいわけでして。
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「つづみ会席」を頂きました。
香箱蟹はこのような盛りつけで美味しいです。
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このような器での演出が、これが女性を喜ばせるのでしょうね。
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母と金沢(初日)

東京駅で母を迎えて、浜松町、それからモノレールに乗って羽田空港に向います。

母はちょっとしたトラブルを克服したことでテンションは高い。ま、母はいつもテンション高めなんですけどw。

羽田から小松空港へ。
小松空港からバスで金沢駅に向かい(こちらが金沢駅前です)
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宿泊先「ホテル日航金沢」へ。

このホテルの最上階からの眺めが良いということのようです。

ホテルのコンシェルジェで聞いて、「蟹のおいしいところ」に案内して頂きました。いくつか候補をあげて頂いて「高崎」さんにしました。
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ずわい蟹を、最初は刺身で、それから焼いて頂いて頂きました。うわっ、美味しい。
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居酒屋風の雰囲気で母には最初は納得いってなかったようですが、その味の良さで気分もよろしく、この後は鍋、おじやと続きました。
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食事の後はホテルの最上階のラウンジから見る夜景が美しい。

母と金沢

年に一度、母を旅行に連れて行こうと思っています。

父亡き後、私に出来る唯一の親孝行です。
これまで親不孝者ですから、これだけで親孝行と言うのもおこがましいですが、せめてもの罪滅ぼしとでも言いますか。

本日から母娘で金沢に参ります。
さぁ〜て、どんな旅になりますやら。

小太郎を無視

小太郎の(というよりは私の)再教育の課題として、小太郎を無視しなければいけません。

目を合わせない。
かまわない。
散歩も行かない(と指導されております)。

一日中で話すことと言えば「ごはん」だけ。

これには小太郎も勝手が違うと思ってか、ワオーと吠える、クゥーンと甘える、すりすり寄ってくる、うんこする、小太郎が考えるあらゆる「気を引くこと」を繰り返し行い、とうとう疲れ果てて眠っております。

あんまり、かわいそうで、ついつい、かまいたくなります。

「小太郎を無視する!」と書いて冷蔵庫に張り、かわいそうになるとその紙を見ております。
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小太郎すまん。
これも試練ゾ。
耐えようぞ。

小太郎の再教育

小太郎は7歳になりまして、シニアの仲間入りをしております。

こんな顔をしていますが、かなりの「がんこジジイ」になってしまいました。私が日中いないのを不憫に思い、甘やかしているのが原因です。
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特に吠え癖がエスカレート。
チャイムが鳴る、宅急便が届く、マンション内で人に出会う時に、ワオワオ吠えるだけでなく、ドアの外で物音がする、遠くで犬が吠えている時にもワオワオ吠えるようになってしまい手に負えません。

「吠える時には無視する」という事を試みてはいるのですが、マンションという場所がら、うるさいとどうしてもかまってしまう。

ネットで探して「老犬もOK」のマンツーマントレーニングを受けることになりました。

マンションで犬が吠えるって本当に迷惑。私はストレスが貯まる一方。

先日、まずはカウンセリングにいらして頂きました。

自宅に来て頂くので、考慮してくださって担当の指導員は女性です。若くてかわいらしい方ですが、「犬の言う通りにしてはいけません」と毅然とした態度。

小太郎は「他では良い子」です。
ペットホテルでも「良い子」と言われます。
「何も問題ありませんよ〜」とな。

私にだけ悪い子であり、それは私自身に問題があるのです。
つまりトレーニングは、私の犬への接し方の教育ということです。

最初の課題は「無視する」です。
徹底して無視し続けるのです。
1週間。

エー。これは辛い。
くっついて生活してきましたのに、座っている時に膝に乗ってきたら、はらわないといけないそうです。

「最初の、この課題が最も辛いと皆さん、おっしゃいます」そうで、これをシッカリとクリアしないといけません。

試練ですのぉ。

それにしてもアレだな。お犬様の時代っスね。

「代々木 魚がし」で同級生と会う

キーチ君が上京してらしたので、KABOちゃんも誘って3人で「代々木 魚がし」っス。

よくよく考えたら、キーチ君は気仙沼からいらしたのに気仙沼の店って私もつくづく芸がない。

ってな話はおいといて、魚がしさんでは、いつも新鮮な気仙沼の食材をありがとうございます。

お刺身
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カツオのはらす
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楽しいひとときでした。
なんだべ、なんで、こんなに楽しいんだろうね。

キーチ君とKABOちゃんは若い頃にバンドを組んでいて、大きな大会で賞も取り、もしかしたらメジャーデビューしていたかもしれないのであります。

私も若い頃に、少しバンドを経験しており、そんな話も楽しいわけで。
おやじバンドやっぺし!と盛り上がります。

キーチ君がおみやげに斉吉さんの「さんま笹寿司」を持って来てくださいました。
これ、美味しいんですよ!
ありがとね。
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東京マラソンに出場です!

先ほどメールが届き、東京マラソンの「追加当選の抽選」の結果、当選した!そうです。

ウッソー!!!
ギィヤー!!!

あまりの驚きに呆然としております。
呆然としている場合ではありません。
急いで、クレジットカードから振込をいたしました。

このメールいたずらじゃないよね?
ほっぺをつねったら痛かったので夢でもありません。嬉しいです。

一昨日のリタイアで凹んでおりましたので、神様がなぐさめてくれたのでしょうか。

東京マラソンを考慮しない計画を立てておりましたため、色々、計画しなければ。その前に故障を治さないと!

落選した方の分まで、楽しんで走りたいと思います。頑張るゾ。ウッス。

いつもと違う筋肉痛

足を痛めておりますため、自宅でおとなしくしております。

昨日はフルマラソンのはずが26キロしか走ってないし、ゆっくり走ったので、身体へのダメージはほとんどないのですが、26キロから33キロまで、左足をかばいながら歩いたことで、右足の、いつもと違うところが筋肉痛です。

「走り」と「歩き」では、こんなに使う筋肉が違うものですか。

今年はマラソン大会に、それほど申し込んでいません。
大会を絞り込みました。

けど、結果的に、無理して出場することになってしまったわけで、、、。

走っている時にこういう会話を耳にしました。

「湘南とつくば、どっちを本気で走るか考えたわけよ。
湘南は時期的に暑い、つくばは初めてのコースなのでわからない。
それで湘南を必死で走って3時間半を切ったんだ。
だから今日は練習ね」

キロ6分強で、おしゃべりしながら、楽しそうに走ってらっしゃいました。

そういう考えもありますね。
申し込んでいても、諸事情で出場出来ないことも多々あります。インフルエンザになっちゃうこともあります。

出場出来ないと、、、目標のマラソンが1年先になっちゃう。
この先、どのくらい走れるのかもわからないのだから、ガンガン出ておくか。

ってな気持ちになり、2月、3月、4月のハーフの大会に申し込みました。そのうちのどれかで自己ベストを更新出来れば嬉しいです。

年内は足を治すことが先決だわね。

第29回 つくばマラソン(フル):途中棄権

初めて、フルマラソンで歩き、そしてリタイアしました。
足の故障とはいえ、とても残念。

果たして、足の怪我をおして大会に出たことが良かったのか、それとも出るべきはなかったのか、今はわかりません。

次の大会の参考になればと詳細を書きます。

2週間前のハーフの大会で足を痛めました。
その数日前から足に違和感があったのに、何も対処しなかったことは問題です。

その後、1週間走れず(歩くこともままならず)
弟の治療院で診てもらったところ、いつものごとくあっという間に痛みがなくなりました。彼の治療は効きます。

それで、何も気にせずにいつも通りに走っちゃいました。
(ここは用心してウォーキングから始めるべきでした)
最初は良かったのに、また違和感。

これはいけないと思い、ウォーキングからやり直し。
でも、つくばがあるから、どうしても焦っちゃって。

6キロまで走れるようになって大会です。
6キロの練習の後のケアも不十分であったと今は思います。
自分を過信していたのですね。

昨晩は大学のサークルの忘年会。
練習もままならなかったし、足に違和感はあるし、出場する気持ちが五分五分になっています。それでも、やっぱりスタートに立ちたい。

朝起きて、会場に向って、、、
このワクワク感が好きなんです。

50歳近い普通のおばちゃんが「選手」になれるんですから、この非日常はワクワクするでしょ、ね。

駅の階段の上り下り、やっぱり足にいや〜な違和感。

会場は去年にも増して人が多い気がします。
今回は事前にゼッケン番号を郵送していただいているので受付は記念の賞品などを受け取るだけでスムーズ。改善されています。

9時半スタートの10分前にスタートラインに立ちました。
本日、どうにか、ここに立てたことに感謝します。

ゼッケン番号「16108」
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今日は行けるところまでトコトコ行こうと思います。リタイアもやむなしです。

5キロまでキロ6分半で行きました。
マラ完のアップジョグをイメージしてゆっくり行きました。
この速度なら行けるかも。

10キロ地点。
足に違和感があるものの大丈夫。
このままゴールまで行けるかも。

15キロ地点。
違和感が痛みに変わって来ました。

20キロを過ぎて、
完全に「痛み」です。
少しゆっくり行きます。

25キロ、痛みが悲しみに変わります。
これは無理かも。

26キロ、走るのを止めました。
止まって足をさするも、ぬぁんと歩くこともままならない。どうしよう。

それでも足をさすっているうちに歩けるようになったので、歩いていくことにしました。

歩いているうちに不思議と痛みが軽減したので小走りを試みると、途端に痛みが走ります。歩きます。

「前向きな歩き」と思って、前を歩く人を追い越すように早歩きをしました。

歩いたり、小走りしたり。

30キロ、完全に走りを諦めました。
このまま歩きでいいからゴールしたいという気持ちと、歩いてゴールする意味があるのか?という気持ちが交差します。

寒さで手はかじかみます。
走っていれば、こんな寒さは感じないのですが。

私の前後は、何かの故障をかかえているらしい人達が歩いています。
私もこのままゴールまで行こう。

33キロ、歩いていても痛みがひどくて、とうとう止まりました。
足をさすってみるが、痛みは増すばかりで、地面に足が着くと激痛。とうとうビッコを引きました。

その辺りに「救護」の方がいらしたので、「収容車はどちらですか?」と聞きます。もう歩くことも辛い。

そこから少し戻った辺りに収容車が循環しているそうで、そこまでビッコを引きながら戻り、車に乗りました。

車の中は暖かい。
涙が出そうです。

車の通るそばを、皆さんが必死で走っています。
本当なら、私もここを走っているはずだったのに。

こうして、私の「つくばマラソン2009」は終わりました。
今年こそ、満足な走りをして「つくば」を卒業したいと思いましたが、来年こそリベンジ!です。

今年はコースが少し変わっていて、昨年の渋滞がウソのように快適に走ることが出来ました。受付もスムーズで女子の手荷物預けは渋滞もなく、良い印象を受けました。

マラソン完走クラブで出場した方の多くが自己ベストを更新したようです。日頃の成果が実って良かったです。

私は体重も減ったし、走る距離も増やしたし、今回こそは自己ベスト更新したかったのですが、なかなかうまくはいかないものです。

怪我をするのは、やはり不注意があったと思います。
過信もありました。
そして治った(と思った)後のケアが不十分では逆戻りです。

次回への教訓にしたいと思います。

途中までのタイムは次の通り
5km:32:30
10km:31:47
15km:31:15
20km:30:43
25km:32:02
30km:47:12(26kmから歩き)
33km:リタイア

この2週間、満足に走れず、この先も当分は走れないと思うと、走れないことがこんなに残念に思っちゃう自分に驚いたりします。単純に、ただ単純に走るのが好きなんですね。

記録は良くなれば嬉しいですが、そんなことより、風を感じて気ままに走ることがとても楽しい。

早く足を治し、そして、怪我をしない身体作りをしたいと思います。

今年の参加賞はバック。
これをもらいに会場に行ったようなもんですね(^ー^)
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