みぞさんの結婚お祝いパーティ

ランのお仲間のみぞさんが結婚されたので、ラン仲間でパーティを行いました。

みぞさんは、私の1つ年下ですから、中年のおっさんのハズですけど(^^;
走り込んでますから、実にお若いのです。

そして奥様は12歳も年下の、若くてかわいらしい方。
おめでとうございます!

こちらまで、幸せのおすそわけをして頂いて、
おめでたい会は、ハッピーな気持ちになります。

畠良さんには、本当にお世話になっています

「おだづなよTシャツ」の販売をしています。

気仙沼の方からは送料を頂かないで、「畠良薬局」さんが、受け渡しをしてくださっています。
無償のボランティアです。
畠良さんも被災されていますのに、本当に頭が下がります。

訪ねてみますと、窓ごしに、パンダが「おだづなよTシャツ」と書いた紙を持っていて、すぐにわかりました!

日本赤十字社から届いた「家電6点セット」

母のアパートにも、ちょうど!「家電6点セット」が届いてました。
皆さんからのご寄付で頂いたものです。
ありがとうございます。

家電が入りましたら、急に、家らしくなりました。
これまでは冷蔵庫も洗濯機なくて、不便な暮らしをしておりました。

家電には「日本赤十字社」のシールが貼られています。

気仙沼のいま(2011.7月)

気仙沼のちょっとした写真を掲載いたします。
皆さんが前に向って一歩一歩、進んでいます。

モ〜ランドの牛乳

私は初めて飲みました。
母のアパートは、農産物直売所「菜果好(なかよし)」というお店に近いので、そちらで買い求めているそうです。
これがですね、うまい(^ー^)!

宮脇書店は青空書店で再開中
「菜果好(なかよし)」の前を通って、田中前方向に歩いていますと、気仙沼三菱自動車さんに「宮脇書店」という看板を発見!

このようにテントで販売してました。
暑い中、お疲れさまです。何冊か買い求めました。

田中前方向に歩きますと「吉野家」さんは、移動自動車でのお弁当販売をしていました。

いろいろなお店が、被害の少なかった「田中前」に移動しています。
こちらは「ミートよねくら」さん。

「にしむら運動具店」も田中前です。

いろいろとご不便がおありだと思いますが、いま出来ることを一生懸命している姿には感動します。

気仙沼ファイト新聞社

同級生の娘さんも書いていたという、気仙沼小学校に避難している小学生、中学生、高校生の皆さんが書いた「かべ新聞」が、このたび本となって発売されたというので、気仙沼の書店にて買った。

その名も「ファイト新聞」

元気が出るタイトルですのぉ。

「暗いことは書かない」というルールで始めたそうです。
私もテレビで取材されている様子を見てました。

みんな、えらいね〜。すごいねぇ〜。

「浜らいん」も津波の写真集のような形で、市内の書店で販売されています。

鹿折地区を歩きました

実家から出てきた写真を、叔父さん、叔母さんに届けに行くことにしました。

私の実家はかろうじて、わずかなものを持ち出すことが出来ましたが、潮見町と本浜町の親戚の家は、すべてが流されて何もありません。内ノ脇の弟の家は火災で全焼でした。

そこで、実家から出て来た写真が少しでもなぐさみになればと思います。

タクシーで叔父の仮住まいに向かおうとして、はて、何と住所を言っていいのやら。たまたまタクシーの運転手さんが家主の親戚だそうで、連れて行って頂きました。

みなが仮住まいのため、居場所を覚えられませぬ。
次のために、ちゃんと覚えておきましょうゾ。

おんちゃんも元気そうで、なによりです。
しかしながら、気仙沼の将来のことをとても心配しています。

雇用を安定させなければ、人の流出が止まらない。
一日も早く、水産加工業を復活させなければ、雇用出来ない。

叔父なりの復活案があり、あちこちで話しているようですが、どうにも進まないことに苛立ちを覚えます。

鹿折の叔母の実家の帰り道、GWには立ち入り禁止区域だった鹿折、錦町にはマルキの工場があるので、歩いて行ってみることにしました。

車が通ると言っても、砂利でかさ上げしていますから、車が通るたびに土煙がモウモウと立ちこめます。臭いもきついし、あちこちでカラスが何かをあさっていて、不気味です。

ガレキの山は、いまだに生々しく、そして打ち上げられた船もそのまま残っています。

それでもGWには立ち入り禁止だったことを考えると、道路はかさ上げされて車が通れるようになっているし、だいぶマシなのでしょうか。

火災が最もひどかった地域でもあり、漁船が家をなぎ倒した地域でもあり、それゆえ、家屋が何もなくなっているか、残っていても火災で真っ黒に焼けこげているか、大惨事の状況が色濃く残ります。4ヶ月が経ってもこの状態でしたか。

町じゅう全てが全壊で、どこにも住んでる家屋はありません。

私の実家の魚町には数軒が戻って生活していることを思うと、鹿折地区の状況のひどさには言葉を失います。

そんな中に、マルキの工場がありました。
よく、ここに残ってましたなぁ〜。
まわりはガレキですのに、本当に奇跡的に、被災しながらも建物が残っていました。

この屋根の上で、従兄弟と叔母ちゃんが、他の従業員さとともに一夜を過ごしたのです。他にも流れてくる人を助けて屋根に乗せたそうです。

なんぼ、おっかながったべ。

鹿折の亡くなった叔父さんが、一生懸命に働いたこの場所。
その魂が、叔母ちゃんと息子を助けたのかな。

ここから魚町はすぐ近くなのに、道路が遮断されているから、グルっとまわって、やっとのことで、おしめさん(神社)の裏手に出ました。

この神社は、祖父も父も大好きだった場所。

浮見堂から続いて出来ていた橋はくずれ落ちていました。
母はここで毎朝、皆さんと一緒にラジオ体操をして、散歩をしながらゴミ拾いをしていた場所です。母もショックを受けています。

そして、全壊してスカスカになってしまった魚町に参りました。
オヤマ家の跡地は、更地になったら、あれれ、こんなに狭かったっけ?

GWには、まだ建物が残っていましたが、今は何もありません。

お隣も、そのまたお隣も更地です。

なんだか、ガラーンとしてしまったわが町。
そんな中でも、掃除をして住み始めた家が数軒ありました。

夕方になると冠水するようですから、さぞや大変な暮らしでしょう。
それでも、一歩一歩と前に向かって歩いています。

組み立て家具に汗だく

朝から、母の部屋に足りないもの、そう、棚を買いに参りました。

ここは仮住まいですから、たいそうな家具はいらないと言います。
なるたけ安いもので間に合わせたい。

母が下見をしておりました。
すると、安くて、それなりに気に入ったものは「組み立て家具」だそうです。

どれどれ、見に参りましょう。

母とダンナと3人で繰り出しましたが、なにしろ暑い。
本町から田中前方面に歩いていますが、ここは日差しをさえぎるものがないのです。

市長さん、ここに街路樹を植えましょう!
これでは、みんなが車に乗ってしまうのはわかります。
歩いても、たいした距離ではないけれど、車があれば、乗っちゃうなぁ。

ジリジリジリジリ。気仙沼も暑いのー。
家具屋さんを3つほどのぞいて、組み立て家具をお願いしました。

お店の方が「本当に組み立てられますか?」と念を押します。
お手上げになって駆け込む人が多いそうです。

なんと、ダンナは、なぜだか電動ドリルを持参していますから大丈夫です。
本日の夕方までには届けてくれるそうです。

ならば、いっそ夕方に届けてくださいとお願いして、さらに買い物に出ました。

ジェイズミウラで数字が大きくて見やすい時計を求めました。
キーチ君、ありがとね。

きーっつぁんから、同級生の西村君が近くで店をオープンしたと聞いて行ってみることに。ライオンパチンコの裏手にありました!「にしむら運動具店」

河原田のお店は全壊だそうで、一時はジェイズミウラに間借りしていたそうです。別の同級生がここを探して来てくれてオープン。いがったね。

田中前はガレキが綺麗に片付いていました。
少し臭いは残りますが、それも以前よりはかなり良いです。
皆さんが、いろいろなご苦労をしながら、綺麗にしているのですね〜。
いろいろな店舗が、こちらに移って来ています。

「クードフー」でスパゲティを頂きました。
私はトマトソースを。

母とダンナは、クリームソースを。

まだ買い物は続きます。
次は「イオン」前はジャスコと言ってましたが、今はイオンと言うそうです。

2階で営業を再開しています。
衣料品もあるし、書店もやっていました。
小物は買えたけれど、目当ての蛍光灯の土台がありません。

母のアパートは台所の流しの上に電気がないために、暗いのです。
それでダンナが電気を付けようと。

前に弟が見てくれた時は品薄だったようですが、ケーズデンキに行ったら在庫がありました。

小物ばかりですが、両手に持ちきれない状態でアパートに帰ります。

台所に電気を付けたら、パーっと明るくなりました。
母もおもわず拍手。良かったね。

そうしているうちに組み立て家具が届き、ダンナと2人で製作開始。
ちょっと手順を間違えるとダメなんですね、ああでもない、こうでもない。

そして20時を過ぎて、やっと「出来たー!」
組み立てた食器棚を設置するとオオオ、それなりに家らしくなってきました。

でも、お母さん、昔使っていた頑丈な家具とは違うから、やさしく扱ってくださいよ。

辺りを片付けて、シャワーをあびたら、もう21時です。
お店はやっているでしょうか?

本町の「大寿司」さん。
お寿司ですよ〜。奮発して特上にぎりといきますか。
美味しいですね。

大寿司さんも「市場がちゃんと始まったら、こんなもんでないがらね」と東京から来たダンナに言ってます。

お店にある神棚の装飾が珍しいですね。
大島の神社では、このようにするようです。

気仙沼「一杯屋 梟」にて夕食

ダンナと一緒に、気仙沼に帰りました。
3連休に、仙台で「東北六魂祭」というお祭りが開催されているようで、新幹線は混んでいます。東京駅で並んで待って、どうにか座ることが出来ました。

一ノ関からは大船渡線に乗ります。
ダンナは初めての大船渡線に、
「どうして、この線って、まっすぐ通ってないの?」とな。

そうなのです。大きく迂回していて、だから一ノ関と気仙沼は距離から想像するよりも時間がかかります。ま、のんびりしてくだされ。

気仙沼駅でタクシーに乗りました。
はて、、、母のアパートの名前がわからない。

「こういって、ああいって、とにかく、そっちに走ってください」ってなことでも、ちゃんと辿り着きました。

母の本町のアパートには、日本赤十字から家電6点セットが入っていました。

これら家電のおかげで、やっと生活が楽になったようです。
到着してお茶を飲む間も惜しんで、母の部屋の整備です。

噂には聞いていましたが、ハエが多いです。

ダンナは、ハエたたきを片手に、バシッ、バシッとやってます。
ちょっとしたストレス発散でしょうか。

そうして、部屋のあちこちにハエ取り紙を設置。
これ、昭和の時代には、どちらの家庭にもありましたが、平成の時代には、とても懐かしいものです。

そんなことをして、段ボールを上へ下へ、右へ左へ移動して、それだけで時間が、あっという間に経ってしまいました。

そこに弟が甥っこを連れてやって来てくれました。
「梟(ふくろう)でご飯を食べよう」

以前、田中前のお店に行ったことがあります。
今は、本町橋の近くに、お店も大きくなっていました。
(宮城県気仙沼市田谷1-3)
予約しないと入れないそうです。

店舗の数が減っているのと、お店の評判がいいのと。

気仙沼で水揚げされたカツオを頂きました。

「美味しい、美味しい」と食べますと、店主さんが出ていらして、
「ホントの気仙沼はこんなもんでないがらね」と言ってました。

ダンナが東京から来たと言ったもんですから、
「復興したら、もっと旨いのを出しますから」と。

十分に美味しうございます。
サ、明日もがんばろう。

AppleTVで観る映画

とうとうと言うか、この週末は体調をくずしてしまい、寝込みました。

銀座で「いぎなり がんばっぺ宮城」をやっていたのに、申し訳ないです。

疲れが溜まったのでしょうか。
よく寝ました。

日曜にはダンナの姪一家が遊びに来てくれて、少し調子も取り戻し、皆さんが帰った後は、どれ映画でも観ますか。

AppleTVで映画選び。
レンタルしに行かなくてもいいので気楽に観ることが出来て、以前よりも「おうちで映画」が増えました。

陽はまた昇る
桜田門外ノ変
わたし出すわ
最高の人生の見つけ方(日本語字幕版)

Macで音楽祭り2011の記事が掲載されました

藤本健さんの「藤本健のDigital Audio Laboratory」というサイトは音楽系の方なら、必ず読んでいるのではないでしょうか。

そちらに 「Macで音楽祭り2011」の記事が掲載されました。
【7月4日】 第468回「Macで音楽祭り2011」で披露された新製品 小型多機能シンセ「OP-1」や各社iPadアプリなど

代表として、嬉し恥ずかし写真も掲載して頂きました。
Tシャツは、気仙沼を元気にする「おだづなよTシャツ」を着ております。

私のユーザーグループ設立の思い、Macで音楽クラブの活動などをきちんと伝えて頂きましてありがとうございます。

また出展社さまの様子が詳しく紹介されていますので、当日、ご覧になれなかった方も、是非、サイトでご覧ください。

このイベントが、どれだけ有意義な内容であったか、そして、次回はどうぞ、足をお運びくださいませ。