「気仙沼と家族」カテゴリーアーカイブ

祖母の命日

(父方の)祖母の命日。八回忌。
祖母は和服をビシっと着て、染めた黒髪をキュと結い上げて、シャキっとしているんだけど、ゴロリと横になるやスースーと眠る。私も横になると3分も持たずに寝てしまうのは祖母に似た。

小柄なくせに夫(=私の祖父)が早くに亡くなったこともあり、顔に似合わず男まさりな気性だった。そのくせ歌舞伎が好きで、お習字やお花などの稽古ごとにも熱心で、それから昔のしきたりをキチっとこなした。お姑さんが厳しかったらしく、若くてお嫁に来たばあちゃんは、苦労したんだろうなぁ。

「りーこちゃん」と私を呼ぶ声が聞こえてくるようだ。
なんか、私もばあちゃんの影響を多く受けているのかもしれないなぁ。

「ゴーゴーあんばはん」行った?

5月5日は、気仙沼の「ゴーゴーあんばはん」の日。
気仙沼を代表する安波山(あんばさん)に登る日だ。家族やお友達と一緒に登って、山頂でおむすびを食べて帰る。

子供の頃は、「あんばはん」は5月5日ではなくて旧暦の3月27日だった。平日の上に旧暦を新暦で数えると、毎年、日付が変わる。学校は休みだった。大人も一緒に登ったから仕事も休みだったと思う。

近頃は「ゆとり教育」と言われているけど、「あんばはんだから学校が休みー」にはならないだろうね。大人も余裕がない。ところでどうして旧暦の3月を「あんばはんの日」と定めたのだろう?
どなたかご存知でしたら、教えて下さい。

「ゴーゴーあんばはん」は、誰が名付けたか知らないけれど、いいと思います。覚えやすいし、GWで帰省して登る人もいる。連絡してないけど、きっと私の母は登ったと思う。(父を亡くした年以外は)「毎年、欠かさず登っている」のが母の自慢だから(笑)

気仙沼にお越しの際には、絶対に登って欲しい。山頂から見る眺めは、絶景っス!

父の三回忌

父の兄弟を中心に、ほんの身内だけで、宝鏡寺さんで父の三回忌を行った。
「ほんの身内」だけでも20名ほどの皆さんにお集り頂いた。お忙しい中、ありがとうございます。

法要の後は、南町の高級料亭「世界」で会食をした。
今回は人数も少ないので、母は、父が好きだった料亭を選んだ。
私は「世界」さんは初めて。小学校の帰り道、この路地裏の細い道を歩くのが、この辺の子の遊びだった。童心に帰って、叔母と一緒に路地を探すと、あの頃のままにそれは存在し、それを見つけた叔母が「ある、ある!」と子供のように笑った。

景気が良い時代は、気仙沼の旦那衆が芸者をあげて遊んだ粋な場所。
料理がとても美味しい。気仙沼の食のレベルは高い。
「こういうのを東京で食べたら、いくらするかわからないねー」

今回は、気仙沼の友人に声を掛けずに帰省し、連絡もしないまま、気仙沼をあとにした。みずくさくてゴメンね。
3月。一番忙しい季節。
次は、ゆっくり来ようっと。

in 気仙沼

会社はお休みを頂いて、父の三回忌の法要のために気仙沼に帰った。
金曜日の午前というのに、東京駅や新幹線は混んでいる。そっか、学生さんは春休みかー。
大船渡線から見る景色は、なんとも、のどかでイイですのー。平成の大合併で、ここに見える景色ゼーンブが一関市になった。
早い時間に到着したし、荷物も少ないので、気仙沼駅から実家まで歩いてみると、25分弱で着いた。そんなもんかー。いつもタクシーに乗るから、距離感がわからなかった。

亡き祖母の誕生日

今日から3月。早い。3/1は亡くなった祖母(同居していた祖母)の誕生日。
毎年、叔父、叔母が祖母の誕生祝いに集まったっけ。なにやら3/1は、朝から華やかな気分になる日。

祖母は華やかな顔立ちに加えて、美容院にマメに通い、和服をピシっと着た。朝起きると、人様に顔を見せる前に化粧をする。これが女の身だしなみとし、パジャマのままでウロウロする私を厳しくしかった。「そんなことではお嫁にいけませんよ」やっぱりお嫁にいけてません(苦笑)

ともちゃん・剣道で優勝

甥っ子、次男のともちゃんは南小・剣道の小学校低学年の部で優勝した。おめでとー。

ルパン三世の「石川五ェ門」にあこがれて、幼稚園から剣道を始めるも、同級生に強い女の子がいて優勝は険しい道のり。今回はお見事。熱心に素振りをした甲斐ががあったね。

優勝杯を持つともちゃん

新しいおうちは、広くていいね。

ふたたび気仙沼

ちょいと急用で気仙沼にいる。
いやー、結構な旅でござんした。
今朝、新幹線に大幅な遅れがあり、家を10時半頃に出発して、気仙沼到着は17時少し前だった。新幹線は成人式をふるさとで迎える若い皆様で混んでいた。正月休みはそれなりに「混む覚悟」をしているが、今日は不意をつかれた感じ。

お御霊さま(おみだまさま)

気仙沼地方では、その前年に亡くなかった方の家に正月2日、3日に伺い、仏様を拝むという風習がある。

(昭和30年代にオヤマ家に住み込みで働いて頂いた)ヒサオさんの奥様で、美容院の先生が、昨年、心筋梗塞であっけなく亡くなり、母が「おみだまさま」に行くというので、同行する。 父が亡くなる前日に、父の病室でお会いした時には、あんなにお元気だったのに。

シャオさん(ヒサオさんのことを親しみをこめてそう呼んでいる)夫婦には子供がいないので、私達をかわいがって頂き、何度かご自宅に泊めてもらった。七五三、成人式、親戚の結婚式、着物を着る時はいつも先生にお願いした。弟の結婚式に振り袖を着せてもらったのが最後だろうか。そんなことを思い出していた。シャオさんがとても寂しそうで悲しい。