インドIT視察の旅/ビザは…

インドに行くにはビザが必要。

インド大使館に行ってビザを発行してもらう。
「自分でやってみようかしらん? インド大使館行ったことないシ」と思っていたが、仕事があってなかなか行けない。結局、旅行代理店にお願いした。

4.5×3.5の写真を2枚と、パスポートと、申請書にサインをしたものを旅行代理店に送付。あとは手続きの結果を待つばかり。

ところで、心配事と言えば「インターネットに接続出来るかしらん?」ってこと。場合によっては、本当に日本とは連絡取らないまま1週間ほどを過ごす事にもなるかも。

検索すると、「ネットカフェが使える」という記述があると思えば、「回線が遅くて使えない」とか「日本語を表示出来ない」とか、、、よくわかんない。まだホテルが確定していないので、ホテルが決まったら、旅行代理店に確認をしてみようかとは思う。でもなんか、Macを持って行ってもダメな気がしてきた。高級ホテルなら大丈夫らしいが、たぶん、宿泊は「中の上」ってところかと思う(「中の中」かもしんない)。

もし、インドのホテルの回線事情に詳しい方がいらしたら教えてください。

読書:徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話

「徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話」徳川宗英・著。

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著者は、田安徳川家十一代目当主。
そういう方が書く「内緒話」だから、期待が膨らむ。
書店で手にとって開いた最初のページには次の記載。

私の母は、「徳川」という名前はずいぶん重荷だったらしく、晩年に書いた自叙伝では、「いっそ<川徳>という名字に変えられたらどんなに気が楽だろうと思ったこともありました」と告白していました。

ここを読んで「内緒話」としての期待がふくらみ買い求めたのだが、実際には「内緒話」というよりは、他の本で知っていることが多くて、少しがっかりした。多くのページは将軍家の事について書いているし、ご本人も、直接ではなく書物等で知ったことのようである。

ただ、少しではあるが「田安徳川家」としての記述があり、これまで御三卿については、その名前を知るだけだったので、興味を持つところとなった。それは主に「第六章 わが田安家のヒミツ」にある。

現在、武道館があるあたりが、かつての田安館があったところらしい。(中略)皇居の北の丸にはずいぶんきれいになった田安門がある。

田安門を意識をして見ることがなかった。今度、その辺に行く時にはちゃんと見てみたいと思う。

徳川の正しい字は、横棒が1本入る
「徳川」という名字は、本来、旧字の「德」という文字を使う。戸籍でもそうなっており、これは私の家だけではなく、宗家も徳川慶喜家もみな、旧字の「德川」が正しい。

へぇー、そうでしたか。

きっと、この本には書いてないだろう、本当の「内緒話」もあるのだろうね。そういう期待感が徳川家にはあると思う。

ああ携帯メール…

携帯メール、、、使いこなせてませんからー。
パソコンのキーボードは、自分で言うのもナンですが、かなり速い。一日の大半をMacの前で過ごしており、メールは日に何通もやり取りをする。

ってなことから(言い訳ですけど)「オヤマ」の「オ」を出すために、5回も連打しなければならないケータイってのは、私には苦痛なんですね。

でも、、、気仙沼に帰ると、実家はブロードバンドではないし、ずっとMacの前にいるわけにもいかずに携帯メールが大活躍するわけでして、たまに使う携帯メールの、新年早々の失敗メールを2つほど。。。

友達に「2時半」と送るつもりが「a時半」ぐひーーーん。

それはまだイイ方で、「Macで音楽クラブ」の例会に向う途中、「遅れる」というメールが入った。たまたま信号で立ち止まっていたので、「り」と入力して、下の候補から「了解」を選択して返信。

歩き出すと、別の方からも「少し遅れる」とメール。先ほど「了解」って送ったもんだから、今度は歩きながら「り」を入力して、下の候補を選び、(ろくに文字を見ないで)返信。

会場に着いて「さて、果たしてちゃんと送れたろうか?」と確認してみると、ゲゲゲ「離婚」と送ってしまった。なんてこった!

そんなアタクシに若い社員らから「普通はこう使いますよ」の小技を3つも教わり、今年はもう少しは携帯メールを克服したいと思う新年であります。

LBバンドの練習会(2回目)

LBバンド(2回目)に参加する。
マイルスカフェで誘っていただいた。
Jazzのスタンダード曲と本田俊之の曲を演奏する。

「ピアノの曲も何かやってみよう」と言われ、
あろうことか「ビル・エバンスの「Waltz for Debby」をやります」と口走ってしまった。何を考えてるんだ、私は。

「いいね・いいね」と言ってくださったので、さらに調子に乗り、
「いつかはジョー・サンプルをやりたかったんです」と口走ってしまった。どうかしてるよ、私は。

「いいね・いいね! ジョー・サンプルの何がいいの?」
「虹の楽園というCDが好きなんです」

「オ!」と言うと、ベースで音を出してくれて「これとか?」
「はい」と私。

「やろう,やろう」という事になった。

楽譜がないので耳コピーから始めないといけない。えーん、だいぶ時間がかかりそうだワン。

それにしても、どうかしているよ私は。
ビル・エバンス、ジョー・サンプルって出来るわけないんじゃないの?

とにかくチャレンジ!(するしかあるまい…)

フルマラソン完走クラブ(15回目):代々木公園ランニングクリニック

フルマラソン完走クラブの「第41回 代々木公園ランニングクリニック」に参加した。

前回の参加は12/15。
その日の忘年会で同じテーブルだった皆様と会話が出来るようになった! 忘年会のおかげです。

本日は晴天。風もない。少し走ると暖かいを通り越して汗をかく。
正月明けですからね、身体じゅう重いっス。

そんな状態の中、3000m、2000m、1000mという練習。80から90%の力で走る。最後の1000mは「120%の力」でって、無理ムリ(苦笑)

スタッフさんがペースメーカーを務めてくださる。
3000は5分半、2000は5分15秒、1000は5分の後ろを走った。
最後の1000mは、4分52秒。なんとか4分半で走れるようにしたいな。

来週は「第2回 マラソン準備マラソン」に出場する。30kmでごじゃる。ブヒー。

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気仙沼駅にて

今日の気仙沼は、晴れてると思っていると急に雲が出てきて雪がパラついたり、暖かいと思って油断していると冷たい風が吹いたり。気仙沼駅を出る時も雪がパラついていた。

気仙沼駅には「おかげさまで気仙沼線は30年」の文字。
気仙沼線は、1977年12月11日に全線開通した。私が高校生の時。
「JR」ではなく「国鉄」の時代。

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その時刻表にあわせて、ほんの少しだけ高校の始業時間が遅くなり、志津川方面から通学する人が楽になった。

気仙沼線は海沿いを走る。
大谷(おおや)海岸駅」は、日本一海水浴場に近い駅。駅を出るとすぐに大谷海水浴場。

本日の私は「大船渡線」を利用して、気仙沼から一ノ関へ。
この路線には「猊鼻渓(げいびけい)」がある。平泉にも近い。

気仙沼にお越しの際には、この2つの線に乗ってみてください。より深く、この土地柄を知ることが出来るでしょう。

ってことで、小太郎ヤイ、帰ったヨーン。

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先輩バンド vs 同級生バンド

箱根駅伝・復路を見る。ドラマですのー。

「箱根」に触発されて、叔父(父のもう一人の弟)の家(鹿折)に走って行く。いつもは車で行くのだが、あーら、こんなに近いのぅ。9分で着いちゃった。それにしても身体が重ーい。ゆっくり走る9分なのに(厚着していたからか?)汗が流れるし、参ったのー。

T子ちゃんも帰っていらしてて楽しいひととき。
帰りも走ってみる。
たかだか9分でも、走ると爽快だわっ!

夜は「(気仙沼中学の)先輩と同級生のライブ(&新年会)」を見に「ホテル観洋」の「はな」に行く。

先輩バンドは「サザン・オイスターズ」
サザン・オイスターズはすごい盛り上がりなの。
MCはおやじギャグ炸裂で、熱いんだか寒いんだか(笑)

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同級生バンドは「ザ・ビートラス」
ビートラスは進化していて、今日は最高にイイ出来だった!

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ポールは声がよく出ているし、ジョージのギターはカッコいい!
ジョンの歌もいいし、リンゴもGood!
たくさん練習したんだべね?

岩手大学生「ゆうと君」がギター演奏で花を添える。う・うまいっ。

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バスケ部の先輩や同級生にたくさん会えた。ありがとね。

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興奮したまま南町「居酒屋ぴんぽん」に移動してさらに飲む。「ぴんぽん」は若者で大賑わい。我々も負けじと大きな声を張り上げたのであります。