映画:ALWAYS三丁目の夕日 & SAYURI

ぽすれんから借りていたDVD2本を観る。

ALWAYS三丁目の夕日
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Wikipediaで調べると、東京タワーは「1957年6月29日に起工し、1958年10月14日に完工(竣工)、12月7日から公開を開始した」らしい。

ということは、私が生まれる数年前の東京のお話。月並みの感想だと思うが、当時の東京、当時の日本を想像し、懐かさでいっぱいになる。気仙沼にはこの時代の建物が残っているし、我々世代の子供時代が彷彿と思い出される。そして家族のあり方がジーンと胸を打つ。

さいとー。さんもmixiに書いているように「映画は映画館で観ないとダメ」だと思う。私はこの何年も映画館に足を運んでいない。もうしばらくは行けそうにない。しかし、この映画を見ていると、東京タワーが出来ていく様や当時の東京を劇場で観たいと思った。

「SAYURI」
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日本を舞台にしたハリウッド映画というだけで、勝手に「勘違い映画に違いない」と想像しながら観るが、ま、そういった「ヘーン」な部分はあるにしても、映像の美しさ、日本の精神的な部分がよく描けているように思った。逆にアメリカの方にはわかりにくいのでは?

芸者の世界は日本人としても知らないことばかり。原作も読んでみたい。

日本人の役者の皆さんは英語の台詞が大変だったと思うがいい演技。桃井かおり、工藤夕貴も良い。さゆりの少女時代を演じた大後寿々花さん、すごいですねー。チャン・ツィイーは美しい。着物、ぽっくり、日本舞踊は大変だったと思うが、さすがっス。

OmniPlans

工程管理はどうしてる?
Windows用にはいろいろなソフトがあるが、Macで使えるものとなると数は多くないのでは?
FastTrack Schedules 」が41,800円が代表的なソフトか。

OmniPlans」のβ版をダウンロードして使ってみた(149.95ドル)。
OmniPlans

英語版ではあるがインターフェースがわかりやすい。クリティカルパス、マイルストーンなどの設定が出来るし、タスクごとに価格を設定し、その合計を表示することも出来る。タスクをグループ化しておいて、一つのタスクを移動すると他も連動して動くといった工程管理に必要な機能は備えているようだ。

午前中に30分ほどあれこれ触ってみて、午後のTMUGの例会でデモしてしまった。もっと使ってからデモするべきなんだけど、「どうぞどうぞ」というお言葉に甘えて。
デモしながら試したCSV書き出し、HTML書き出しの結果は、ちょっと不満足。ガンチャートで書いた横棒を表現出来るといいのだが。PDF書き出しするしかないか。もう少し使ってみようと思う。

ぐん・ぺんの「千代丸の事」

「ぐんじょう色のペンkesemoi」に「千代丸の事…あれからひと月」が書かれた。

KABOさんの「千代丸の事を書かないと一歩も前に進めないのだ。」というせつない思いが伝わる。
「狭い田舎町の事だ、直接の肉親でなくてもなにがしかの関係で繋がりがあったりする。」私も直接ではないが、母の知人2人が乗船されている。母は電話の向こうでその話をするたびに涙ぐむ。

船の中ではどのような会話がなされ、どのような決断がなされたのだろう。すべては想像だが、そこまでしなければならなかった状況が、今の気仙沼を象徴しているように思う。気仙沼だけではない。格差が広がる日本の、一部の潤う都市部以外すべてを象徴しているようだ。

私は都会の一角で、机に向かってヌクヌクと仕事をさせてもらっているが、大自然と戦いながら生きている人がいる。気仙沼はそういう海の男が生きる町だ。

読書:若き数学者のアメリカ

「若き数学者のアメリカ」藤原正彦・著。
若き数学者のアメリカ

この本はアメリカ旅行の際に持参し、1ヶ月以上かかって、やっと読み終えた。途中で技術系の本を読んでいたために進みが悪かったが、内容はおもしろい。

藤原さんが1972年にアメリカの大学に研究員として単身で行かれた時の様が実に正直に語られている。ここまで書いていいのーwと思う。ラスベガスで熱くなっちゃってお金がなくなったところを、ラスベガスから帰る飛行機の中で読み、あー、行く前に読むべきだったw。

藤原さんのように英語が出来る人でも、英語がわからずに四苦八苦することや、どうしてアメリカで少々、鬱病のようになってしまったかが、きちんと書いてある。そしてまた、どのようにしてそういう事から抜け出たかという心の動きが鮮やかに描かれる。

この当時は一般的な日本人がアメリカには住むことが少なかったけど、その後、海外に増え続ける海外移住者は、この本は参考になるのではないだろうか。時代を経ても色あせることはない。

自信を持って:残業しないゾ

カンブリア宮殿」という番組に、ソフトブレーン株式会社・創業者の宋文洲氏が出ていた回を録画してあって、それを見た。

宗氏は「残業しない」を徹底している経営者だ。
私も志は同じなんです。

テレパスはだいぶ改善してきたと思う。けれどこの番組を見ると、さらなる改善が可能だということがわかったし、IT企業だからしょうがないという諦めを取り払うことが出来そうだ。私に足りないのは、その自信かもしれない。

「忙しいからしょうがない」のではなく、どのようにしたら短時間で終えることが出来るかを、もっと徹底的に考えて実践する力が必要だ。

「WEB+DB PRESS」という雑誌の「サンフランシスコの窓から」というコラムに宮川達彦氏が書いていて興味深かった事がある。意外にもアメリカ・サンフランシスコのIT企業は朝は早くて夕方は5時過ぎると帰る、というもの。いわゆる9-5時の働き方をしているそうな。

そういえば、先月行ったシリコンバレーでも、朝8時前後と夕方5時前後は通勤ラッシュで車が大渋滞だった。日本の会社は残業が多すぎると思う。特にIT系は。

宗氏の話でもう一つ興味深いことがあった。
それは「人と違っていてもいいんです」ということ。宗氏は「違っていることをなんとも思わない」と言う。学校のいじめの問題も、会社では残業が多くて改善されないことも、根本には「人と違うことを忌み嫌う日本人の心のあり方」にこそ問題があるかもしれない。

「逆に日本人の良い点としては?」と村上龍氏が聞くと宗氏は、「チームワークの良さ」と答えた。先の話(人と違っていていいのだ)と逆のことになってしまうかもしれないが、と前置きをした上で「チームワークの良さとモラルの高さには頭が下がる」と言っていたのがとても印象的だったし、嬉しい言葉だった。

イヤだわ老眼ーマウス設定

自宅用に新しいマウスを買ったのに、調子が悪いまま改善されない。ウーム、これはマウスのせいじゃないのね。使ってるテーブルが悪いのかもしれないw

試しに会社で使ってみる。あれれ、やっぱり動きが遅い。テーブルのせいでもなさそう。「?」なにかがおかしいワン。

「システム環境設定…」でマウス設定を見る。いつも一番速いよりも1つか2つ遅い方にしているが、「一番速い」にしてみた。

えーーー、さらにひどい事になっちゃった。
さてはMacのバグかー?

もしもバグならば大騒ぎになっているはずだし…。
「一番遅い」にしてみたら、ヤヤ、速くなったわい。しっかりと設定を見たならば、あらららららーーー、「速い」と「遅い」を間違えて逆にしていたぁーーーorz。

思い出した。あるマウスパッドを買ったら滑りすぎるので「遅い設定」にした。結局、そのマウスパッドは使わずに仕舞い込んだというのに、設定だけはそのまま(少し遅めの設定)になっていたんだわ。アタクシとしたことがこんなんでドーするよ。速めの設定に直してっと。
システム環境設定

マウスの動きが良いと気分も良いでごじゃる。仕事がドンドンはかどる感じがする(あくまでも気分だけネ)。

映画:フライトプラン & Mr.&Mrs.スミス

「ぽすれん」から借りっ放しのDVDを2本見た。

「フライトプラン」
フライトプラン

主演のジョディ・フォスターは私と同世代で、好きな女優。
最初は「ああ、こんな感じねー」なんて思っていたら、おっと、そういう展開が待っていたのね、ってことに。ジョディ・フォスターの演技はすばらしくて見入っちゃったが、ストーリーとしては、「それってアリ?」という部分はある。サスペンス好きといたしましては犯人の行動・思考を細部まで抜かりなくやって欲しかった。でもジョディ・フォスターがいいので○。

「Mr.&Mrs.スミス」
Mr.&Mrs.スミス

ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが夫婦役で、ともに殺し屋。
すみませんが、やっぱりおもしろくなかった。
アクション系が好きな人にはいいのかな?美男美女だから許せる?

祖父の命日

祖父の命日。何回忌だろ?
たぶん38回忌かと思うが自信なし。誰かに確認しないといかんね。
私が小学校3年生の時に亡くなった。

私がどうして経営という仕事を(自分でも意外だったが)好きになったかというと、祖父の影響によると思う。子供の時に祖父に遊んでもらった記憶は多い。その時のなにげない言葉が今も残っている。

例えば、私にはピアノを、弟には、こいで乗るおもちゃの車やサンダーバードの1〜4号などを買ってくれた。当時の田舎には珍しいものが多く、友達を呼んで一緒に遊びなさいと祖父は言う。みんなが来ると、子供はおもちゃの奪い合いで喧嘩になる。祖父はじゃんけんをして順番を決めてはどうかと私や弟に言う。持ち主(弟と私)はいつでも遊べるんだから、みんなに貸してあげてはどうかと言う。

幼い私達にもわかる言葉で言ってくれたのだろう。私達はそれに納得した。そして友達が楽しく遊べるように段取りをする。みんなが仲良く遊んでいると祖父はそれを褒めてくれた。私と弟は一人で遊ぶよりも、みんなで楽しく遊ぶともっと楽しいことに気付いた。そのことが大人になってからも心に残る。祖父が遊びの中で教えてくれたこと。祖父があと10年長生きしていたら、と思うことは多い。

そんな事を思いながら、休日をダラダラと過ごした。