明日から気仙沼!

明日の4/29、気仙沼に向けて出発します!
ダンナと母の3人旅。

実家はどうなっているでしょう?
弟一家は元気でしょうか?
親戚の叔父、叔母はどのように過ごしているでしょうか?
友人、知人に会えるでしょうか?

特に何をするという明確な事は決めずに、とにかく行って来ます!

新幹線で、東京から一ノ関へ。
弟がオンボロ車で一ノ関に迎えに来てくれるので、それに乗って、イザ気仙沼!

私の大好きな、大好きな気仙沼!
復興するゾ!
負けないゾ!

なんかダンナが、3人分のヘルメット買って来てくれて、「がんばっぺし気仙沼シール」を貼ってくれたw。

北海道東京会議(2011年4月)

「北海道東京会議」の4月の定例会がありました。

3月は大震災のために中止になってしまったため、1ヶ月遅れでの開催です。

ゲストは、成瀬まゆみさん。
テーマは、「心の強さを支えるものは?」
~ポジティブ心理学から示唆をもらう~

成瀬さんは「ハーバードの人生を変える授業」の翻訳者です。
この本は実に10万部を突破したというベストセラー。

会場で本を販売していたので買い求めますと、サインもして頂きました!ありがとうございます。

「ポジティブ心理学」ということについて説明があります。

「ポジティブ心理学」は、1998年 マーティン・セリグマン氏により誕生した、まだ若い学問。ポジティブシンキングとは異なるのだそうです。

あの大震災の後ということで、特に「レジリエンス」(逆境から立ち直る力)を取り上げてくださいました。

今の私、そして私達に必要なことだと思います。

レジリエンスを高めるためには、
気持ちの切り替えが早い
心配すぎない

そのためには、、、
続きは、ぜひ、書籍を読んでみてください。

「地震があってどのように思いましたか?」と3分間、お隣の方に話すというワークがありました。

そして、講義が終わった後に、「どう感じましたか?」と、また3分話しました。

話した内容を共有してもよい方?と挙手を求められました。
私は、この気持ちを伝えたくて、手を挙げて話しました。

「私は、(スクリーンに表示されている)「ポジティブ感情が高い人の12の項目」に当てはまる人生をこれまで過ごして来たと思います。あの時までは。

それが、あの瞬間に全てがなくなってしまった。

家族は皆無事、それだけで最初は嬉しかった。けれど、時が経つに従い、家はない、家業の工場は3つともない。いったいどうやって暮らしていっていいのか、それを考えると、とても辛く、そこにある項目の、どれ一つ出来なくなってしまった。

それでも私は東京にいて、普通に仕事をしていかなければならない。

もう1ヶ月以上経つのみ、むしろ、その辛さは徐々に増している。そういう状況の中で、今日、私は参加しています。

そんな時、先週ですが、ダンナがジョギングに連れ出してくれて運動をした。そうしたら、その後で、やっと、笑うことが出来た。心の底から笑うことが出来た。

12項目の1番目に書いてあった「1. 運動すること」
このことが、こんなに必要だったと実感しています。

2.感謝する、それ以降も少しずつ出来そうな気がして来ました。」と述べました。

私はこれまでずっと、泣かずに来ました。
涙は、復興がかなった時までとっておく!と決めて、涙をいつも我慢しています。

ある意味、冷血な女と思われてもしょうがないような生き方をしています。

それが、話しているうちに、つい涙が出そうになって、必死で押さえました。
なんだろう?感情が解き放たれたのかな?
いえ、まだ泣きませんけどw。

これが本日の私の感想です。

まだ、友人、知人、被災地でない者も被災地と同じように心を痛めています。皆にも、伝えていきたい。少しずつポジティブ感情が増えていくように。

ポジティブ感情が増えることで、きっと復興がある!

東京会議では、メーリングリストで紹介していた「角星さんの日本酒」も用意してくださいました。ありがとうございます!
「飲んで支援!」宜しくお願いいたします。

母ヨガ体験レッスン

東京に避難している母は、お友達もいなくて、大変、寂しい日を過ごしています。

そこで、中野区の生涯学習について週末に調べてみました。
なかのスペースZEROに窓口があるので行って聞いてみます。

母は、目が少し不自由なので、本を読むとかお習字を書くとか、そういった事が困難です。

「着付け教室がいいかな」というので調べると、着物などを一式そろえなければならない。今、そんな余裕はありません。

お道具がいらなくて、細かい作業がないもの。限られます。

ヨガ、エアロビクス、ダンス、コーラス、、、

「お母さん、コーラスがいいんじゃないの?」
「歌へただから、やんた」
「口パクパクでダメ?」
「だーれ」

というので、ヨガ。

「普段着のままでいいですよ」と代表の方が電話で言ってくださいました。
「初回は体験レッスンで、無料でどうぞ」ありがとうございます!

朝、会場である「中野勤労福祉会館」に母を連れて行き、お願いしてきました。

夜、帰って様子を聞きますと、
「若い人ばりだった」そうで、母がいう「若い人」は60歳代ですけど。

70歳以上の方もいらっしゃると良いのですが、、、。
なかなか気分転換出来るものって、ないですわね〜。

母一人で電車に乗る

母も少しずつ前向きになっています。
今日は、初めて一人で電車に乗りました。

といっても、新中野から新宿までの、ほんの3駅ですけど、ちょっとした冒険だったね、お母さん。

母は好奇心旺盛で、チャレンジ精神がありますから、それには助けられます。

中野区議会議員選挙…

気仙沼復興に向けて、志は高く持っているものの、、、
母と同居が始まりますと、それなりに大変です。

母は、お友達もいない、慣れない東京生活にいきなり突入してしまったわけで、被災地にいても辛い日々でしょうが、東京は物資には恵まれているけれど、むなしい日々。

心は「気仙沼に帰りた〜い」

どのように気分転換させたらよいのでしょう?と考えているものの、私には仕事もある。
そんな日々を過ごしております。

本日は、中野区議会議員の選挙なので、小太郎の散歩を兼ねながら、皆でブラブラと投票所である小学校に参りました。

それにしても、誰に投票していいのやら、用紙に書くその時まで迷いました。

ダンナが投票した人を聞いては「エー!」と言い、
私が投票した人を言ってはダンナから「エー!」とか言われております。

母はじめてのインド料理…

母と同居が始まって1週間です。
それなりに、うまくやっております。

母は料理担当。
さまざまな工夫をしていて、野菜たっぷりの家庭料理にダンナは大変、喜んでおります。

でも、今日は、「外で食べましょうか」

新中野の「ボビさん」というインド料理のお店。
母はインド料理食べたことない。

好奇心旺盛な母ですからチャレンジするそうです。

「エー! これがカレーなの?」
食べられないかな?と思ったけど、意外にもナンに付けて食べてました。

好奇心旺盛なうちはボケないですよね。
東京にお友達がいなくて、日中は一人にしているものだから、ボケないかと心配をしています。

マラソン完走クラブ(50回目):代々木

マラソン完走クラブの練習会に参加しました。

前の記録を見てみましたら、エー!1/16以来の参加でしょうか!
すっかりご無沙汰してしまいました。

申込をしていたものの、起きると、あいにくの雨。
風邪で喉は痛いし。
どうしましょう?

ウダウダしていますと、ダンナが行く気満々で、
「これぐらいの雨はなんてことない」とか言ってます。
それに押されてイザ出発。

会場の織田フィールドに到着し、皆さんに会うと、それだけで嬉しいです。
皆さんからもたくさんの励ましの言葉頂戴しました。
ありがとうございます、ありがとうございます!

マラソン完走クラブでは、主催の中田さんの呼びかけで、支援物資を何度か送ってくださっています。

その物資のおかげで、私ども被災者は生きることが出来ます。
ありがたいです。

さて本日は、スピード系の練習だそうで、
エー、このごろは走ることさえままなっていないので、どうしましょ。

そんな事を考える暇もありません。

長いアップジョグの後には、
100mの流しを4本、そして300mをした後に、
1500m!

タイムキーパーのスタッフさんについて走りました。
キロ5分であれば7分半ですから、私は、本当はもうちょっと遅くていいんだけどと思いつつ7分半に並びます。

あれれ、ダンナは6分半に並んでるしー。
あれ、きっと間違えてますよー(後で聞いたら、やっぱり間違えたらしい)。
けど、ダンナは、ちゃんと付いていってる。

私が地震で憔悴しきっている間に、ダンナはそれなりに走っていたのかな。

その後に、今度は800mが5本です。
今度はダンナと同じグループです。
キロ5分の計算でしょうか。

最初の3本まではダンナの少し後ろをトコトコ付いていきましたが、その後は、圧倒的に引き離されました。

最後なんて800mなのに、30秒以上も離されていました。
ダンナも知らぬ間に速くなりましたのー。

私も精一杯がんばりましたら、なんかスッキリしたというか、爽快感があります。

同居中の母が昼飯をこしらえて待っているので、ソソクサと帰りまして、挨拶も途中ですみません、皆様。

本日はありがとうございました!

テンポの良い気仙沼弁

母と同居が始まって、家の中は気仙沼弁全開です!

ダンナは北海道出身で、共通する言葉もありますが、まったくわからない言葉もあるらしく、なんとなくニュアンスで付いてきているようではあります。

「あんだ、わがっかっぺ?」と母が言う。
「わがってってば」と娘が応える。

「っ」(小さな「つ」)が多いです。
これが実にリズミカルで、楽しい気仙沼弁。

TVで震災の被災者へのインタビューを聞いていますと、
陸前高田、気仙沼、南三陸町は、同じ言葉を使っていますね。

同じ宮城県でも、仙台と気仙沼弁は少し違うのです。
だから、仙台の人が気仙沼に着任すると「異国に来たみたい」と思うわけですが、

三陸地方は、同じ言葉を使って、同じような文化で生活をしていたなぁと、インタビューを見ていて気付きます。これに室根町も入りまして、一つの文化圏を構成しています。

なんか、その市町村が一つになった方が自然な気がしているのは、私だけではないようです。
これが宮城と岩手に分かれて復興していくとなると、色々と面倒もありましょうね。

とかなんとか、呑気な事を言ってる暇はありません。
復興に向けて、がんばるゾ!

実家のいま…

どうやら、道路にはみ出て邪魔になった部分だけが壊されたらしい我が家ですが、甥っ子が見に参りますと、なんと1階にはカーテンがしかれていたそうで、なんともまぁ、こんな状況なのに、カーテンは残っているってのも妙な気分でございます。

取り壊し作業の方が、カーテンをしいてくださったのでしょうか。

しかしこれはまぁ、「ハウルの動く城」みたいな感じーw。

2階のふすまは、先日までは残っていたけど、度重なる余震のせいで1つがなくなっていました。その奥に見えるのはお茶箱で、あのお茶箱の中には、亡くなった祖母の和服や衣類が入ったまま。

他人さまから見たらボロにしか見えないでしょうけれど、
家族には大切な思い出です。

この通り、左側に見える階段が壊れたしまったため、2階に上がれません。
それにしても、なんてまぁ、恥ずかしい状況の我が家でございます。