逗子の親戚宅へ

母の母(私の祖母)のたった一人の妹(母の大切な叔母さん)が、一昨年、娘夫婦の家(逗子)に引っ越した。

85歳を過ぎた妹が気仙沼から逗子に行っては寂しいだろう、言葉も通じないだろうと、祖母は気にかけていて、亡くなる4ヶ月前に逗子を訪れた。

その時は元気に新幹線に乗って行ったのに、祖母が逗子にいる間に父が危篤になり、父が亡くなると、あまりのショックで寝込み、それから4ヶ月も経たないうちに祖母はあっけなく逝ってしまった。逗子の妹よりも自分の方が元気だと威張っていたのにね~。

母は、その叔母を訪ねることを自分の使命のように思っているのね。横浜の弟の嫁の運転で、逗子まで連れていったもらった。

元気そうでなによりです。気仙沼の思い出話に花が咲き、時々、涙をぬぐいながらも気丈に話す叔母さんなのである。

人の一生は、最後の時までわからないもんだなぁ。

2歳の時に母に死に別れ、結婚してから終戦前には満州で暮らし、命からがら子供をかかえて帰国した叔母さんは自分の波乱な人生を「それも私の人生」と語る。えらいなぁ。

訃報:シャオさんの奥さん

母を歌舞伎座に案内する間に、弟から訃報を知らせるメールが届いた。まさか、まさかのシャオさんの奥さんの急死。

オヤマ家で家族同然のように働いてくれた久雄さんの事を、私達はシャオさんと呼んでる。奥さんは美容師さんで、いつも奇麗にしていて、私の晴れの日の振り袖は、いつもシャオさんの奥さんに着付けをしてもらった。子供の頃に泊まりに行った事もある。

父が亡くなる前に、二人で病院にいらしてくれて、いつも変わらずにきれいで若々しいなーと思った。シャオさんの落胆はどれほどだろう。考えると心が痛む。シャオさん夫婦には子供がいないんだ。悲しい知らせだなぁ。

母と歌舞伎座

横浜の孫にランドセルを買ってあげるんだ、と母が上京。

随分前から言われてた「歌舞伎座さ、行ぎだい」の願いをかなえてあげる。歌舞伎座に行くのが何十年もの夢だったそうな。へー、知らなかったよ。

数日前に電話で「何を着ていったらいい?」と聞かれていて、
「へ、私はジーパンだよ」と言ったら、
「えー?! いいのすか?」って驚いてた。

歌舞伎座は、豪華な人はよりゴージャスにしていくし、普通人はいつも通りにしているというそういう場所だからイイのだ。

「楽にしてきてね」と言ったら、まぁ、ちょっとはそれなりにしているが、「ホントにいろんな人がいるんだね」だって。

今日は奮発して「吉兆・歌舞伎座店」で食事をいただく。おいしい~。ゆったりとくつろいでご飯が食べられるから、うーん、病み付きになってはいかんな。吉兆は高いのでござる。母は娘っこのようにはしゃいでおります。

MOSA新年パーティ

MOSAの新年パーティに参加した。

MacExpo SFに行ってらした理事のプレンテーションが楽しい。私はジャンケン大会に勝ち残り「お年玉」をゲットした! ありがとうございます。いつもジャンケン大会は弱いんですけど。今年はいいことあるかな?このごろ、ズルズルになっていた気持ちが少しビシッっとした感じ。

本日もPHP

テレパスのみんなから教わったPHPのSmartyを使って、試行錯誤している。理解してしまえば、「あー、なんてシンプル!」と思う。

それでも、あるページがエラーになった。いろいろいじっているうちに「EUCにして改行コードをUNIX」にしたら、解決したようだ。それが原因だと断定するには、もう少しやってみるしかないな。

ハローワーク

「求人」でハローワークに行く。ハローワークで募集をかけるのは始めて。

必要書類に鉛筆で記入し順番を待つ。就職難だと言われているが、事業主はこんなに多くの人を求めているんだなぁ。12人待ち。

平成16年12月1日からは「年齢制限は厳しくなった」そうだ。私が「~30歳まで」と書いたが、それはいけないらしい。でもさ、応募する側としても、それを目安にするってことはあるよね。その会社の雰囲気というものがあるシ。 実際問題、「年上の部下」って気を使うだろうね。

テレパスの40歳代は私だけで、アイドルの話をすると一人だけ浮く。森昌子が「せんせい」でデビューした時に、三善英次と最優秀新人賞を争った話なんか、興奮しながら話しているのは私だけですから~、残念。

そんな事を考えながら、今度は、書類をデータにする為の入力作業を待つ。紙に書くよりも直接、入力した方が早いと思うけどねー。全部インターネットで処理出来るといいのにな。
トータルで1時間半ほどかかって帰る。

会社に戻ってから書類を見ると「開発」の文字が「陶発」になってた。ブヒ。これ、OCRで読み取ってるんだな。私の文字がきちゃないから、「陶発」に変換されちまったか。ブヒブヒブヒブヒ~。