誕生日47歳

47歳です。50歳まで秒読みになりました。

自分がこんなに年をとるなんて(頭ではわかってますよ、でも、、、)思ってなくて、いつか人は老いていきます。当たり前だけど、そんな事を誕生日に思います。

46歳は皆様のおかげで充実した1年を過ごしました。
マラソンをはじめて(最初が遅かっただけに)続けていると、それなりに記録を更新し、マイルスカフェでジャズピアノを始めて、たどたどしいながらもアドリブしてみたりしています。

そんな幸せな46歳の最後の1ヶ月は予想もしなかったトラブルが発生して、神様から「気を抜くな」と注意されているような心地でもありました。

人生50年と考えると、あと数年しかありません。
「自分の死」ということを考えます。この数年の間に、父方の祖母、父、母方の祖母、叔父、叔父を相次いで亡くし、昨日はSさんが亡くなったと連絡が入り、いやがおうでも私も自分の幕引きを考える、そういう年齢になりました。

後悔しない人なんていないと思います。
けれど、せめて、その瞬間に自分の人生を「良かった」と思えるように生きてゆきたいものです。

ちなみに、20歳の記念に手相を見てもらったら「あなた長生きしますよー」と言われているんですけどw。

訃報:バンドの先輩

信じられない訃報が届いて、驚いて、あっけにとられて、そして悲しみが少しずつ現実になって来ました。

先日の日曜日、一緒にバンド練習をして、帰りは車で送っていただいたギターのS氏が亡くなったという知らせ。まだ55歳。今朝、通勤途中に具合が悪くなり、病院に運ばれて亡くなったと。

クルセイダーズのギターも、どの曲を演奏しても上手くて「ギターがこう入るからピアノはこう」と的確にアドバイスを頂いて、帰りの車の中では音楽以外にも楽しい話をあれこれして頂いて、、、。

この4月からお嬢さんが社会に出るので「その前に一緒に海外旅行に行くんだ」と嬉しそうに話していて「娘と一緒の海外なんて、最初で最後だろうな」と。その旅行が今月の連休だというのに。

無念でなりません。合掌。

SOMEDAY

事務所のラジオから佐野元春の「SOMEDAY」が流れている。
1981年発売のこの曲を、聴くたびに私は20歳に戻る。

なんでも出来そうな気がした20歳。
そのくせ、親のすねをかじっていた20歳。
ただ吠えているだけの20歳。

「ハピネス♪」を一緒に口ずさんだ。おもわず笑みがこぼれる。
「だからもう一度あきらめないで♪」

もうスッカリおばちゃんだけど、まだ何か出来る!
「まごころがつかめるその時まで♪」

インドには行けなかったけど

インドで視察する予定だった企業の方が、日本に営業拠点があるということで、訪ねて来てくださった。
私が現地で見てみたかったことをあれこれと質問すると、日本語でわかりやすく説明してくださった。もし縁があれば、ぜひ現地の状況をこの目で見てみたいものです。

仕事仲間の同窓会?

私が会社を設立する少し前の、派遣社員だった時(1991年頃)から(会社を創った1992年の後も)大変、お世話になった方々と久しぶりにお会いすることが出来た。

その企業のある部署(およそ300人)に「一人一台のMacを展開する」という時で、私は別の部署に派遣されている時にその話を聞きつけ、「ぜひ私にもお手伝いをさせてください」と志願し、なぜかそれが通って配属され、その後、派遣社員にとどまる事を辞めて起業してしまったという、そのきっかけをくださった皆様方に久しぶりにお会い出来て、本当に懐かしく、また嬉しく、楽しい時間でした。

15年ぶりにお会いする方もいるのに、おもいのほか「変わってない」のです。
私は、当時、髪が長く、化粧もパッチリしていたのに、今は髪は短く、ほとんどスッピンで、一番変わっちゃったのではないでしょうか?

半分以上が派遣や外注社員という、なんと言いますか寄り合い所帯の部署で、社員も外注も、男性も女性も、皆が「Macを展開するのだー」という意識が一つに集まって、すごいパワーでした。

その当時(1991年、1992年当時)、ネットワークをつないで、メールでやりとりをする事がまだ一般的ではなく、「サーバの説明」は「どう言ったらわかってもらえるか?」ということを議論していましたっけ。

現在のような「あれもしちゃいけない、これもしちゃいけない」ではなくて、「あれもやろう、これもやろう」という時代。インターネットが一般的になる前の時代。当時を話す時の、どなたの顔を拝見しても、皆、活き活きしています。

今日の機会をありがとうございました。

副都心線は6/14に開業

東京メトロ・副都心線は6/14に開業が決まったようです。

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「大江戸線」の命名の際も違和感があったが、今回の「副都心線」という命名にも、ちょっと違和感です。「明治通り」に沿って走るから「明治線」でも良かったのではないかと思うが、それも安易ですかな。

「新宿3丁目駅」は会社から近いので、渋谷、原宿、そして池袋に行く時に便利になります。

先日、織田フィールドの帰りに久しぶりに原宿を歩きましたら、あまりに建物が変わっているので驚きました。そして人が多くて右往左往。この線によって、埼玉からも、神奈川からも、原宿に行きやすくなる、ということは、休日にはさらに人が増えましょうね。

「ティン・フック」で鳥カレー

新宿御苑前・ベトナム料理の老舗「ミュン」が休業してから、「鳥カレー」のあの味!を忘れられない方が多いかと思います。そんな「鳥カレーファン」な皆様、四谷3丁目の「ティン・フック」さんで食べることが出来ます。

四谷3丁目駅からほど近い新宿通り沿い。

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お店は2階にあります。階段を上がるとこんな感じです。
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スローな食に、スローな家。」のKENJIさんに教えていただいて「気仙沼の話」をしながら一緒にランチを頂いた。美味しいです。

見あーげてごらんー、夜のほーしをー

帰宅途中、赤信号で立ち止まった時に、ふと空を見上げると、あら、星がきれいです。東京で星を見るのは久しぶり。

気仙沼は星がきれいなところとしても有名で、それだけ空気が澄んでいるということだけど、先月、帰った時に見た星は手が届きそうな気がした。

夜になれば星が輝き、夜が明ければ日がまた昇る。誰にでも明日はおとずれる。自然ってすごいですね。