記憶って

(この記事はあとから書いています)

記憶がなくなるって、不思議なことですね。
その時、私は何を話していたのだろう?
その時、私は何をしていたのだろう?
わからない。

慶應大学病院では、家族には最悪の状況も伝えられていたし、手術後は手足が自由に動かないなどの状況もあったようだが、その後は着々と状況はよくなり、手足は動いた。

脳の病気だが、そっちの方はどの程度、どうだったのだろう?
よくわからない。

とにかく、そんなに大きな病院に入院するなんて初めてのことなのだが、まったく記憶はない。
記憶が戻ったのは慶應大学病院を退院して、リハビリのために次に入院した初台リハビリテーション病院に入院するところから。

それも、かなりマバラにしか覚えていない。
歩いて玄関を通ったと思っていたが、後から写真を見せてもらったら車椅子に乗っていたり。

そんな調子だから、この頃のことでご迷惑をおかけしていることがありましたら、本当に申し訳ございません。

いま、私は記憶力などをどう取り戻すかリハビリ中です。がんばります。

LBバンドの皆さんがお見舞いに

(この記事はあとから書いています)

この頃からは記憶があります。
その節は本当にありがとうございました。

お忙しい中、LBバンドの皆さんがお見舞いにいらしてくださり、ちょうどリハビリが始まるので、皆さんが見学を。
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横浜の弟もお見舞いに来てくれました。
忙しいところ、ありがとう!
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リハビリは続く

(この記事はあとから書いています)

初台リハビリテーション病院」に入院した時は車椅子に乗っていたのに、写真を見ると、あっという間に自分で歩いています。

そして、この3つの授業を受けていました。
・言語療法
・作業療法
・理学療法

土曜日、日曜日も、祝日もなし。
毎日、毎日、繰り返し受けます。頑張ろう。
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転院しました

(この記事はあとから書いています)

まったく記憶はないのですが、慶應義塾大学病院は退院となりまして、初台リハビリテーション病院に転院しました。

脳の病気なので、見た目はどうということもないけれど、脳が働かないことには生活がままならない。
その辺をどうにかしなくてはならないそうで、複数の病院を紹介され、ダンナがいくつかまわってくれて、こちらの病院に決まりました。

とは言っても、普通の病室は空いてなくて、特別料金がかかる独り部屋なら大丈夫というので、そちらです。
不思議なことに、こちらの病院に移動してから、少しずつ記憶が出て来ました。

ということですので慶應大学病院にいた記憶はまったく残ってないのは残念。

あとから写真を見ると、車椅子ごと車に載せて頂いていました。
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ということは、この頃までは、ほとんど歩いていなかったのか?
初台の病院の病室にも車椅子が置いてあったので、きっと歩いてなかったのでしょうね。

退院してからは一日に「3km歩きましょう」という目標値を頂いていますが、歩けるってすばらしいことです。

Macで音楽クラブの皆さんがお見舞いに

(この記事はあとから書いています)

Macで音楽クラブの皆さんがお見舞いにいらしてくださいました。
私は手にグローブのようなものをしています。
どうやら、管を引っ張ったり、言ってもきかないからこうされたようでして。
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