「旨めぇもん屋 きゅう 鍋横店」さんに行きましょう。
投稿者: oyama
直久@新宿エルタワー
孝@鍋屋横丁
手打ちそば まつや@新中野
抜歯した後、2時間も食事は出来ません。新中野まで帰る。桜が美しい。
もりそばお願いします。620円。ところがお店の方が間違えて「ざるそば」なり。720円。
ところで、「もりそば」と「ざるそば」って何が違うの? メニューにはどちらもある。ネット検索すると「知っておこう!「もりそば」と「ざるそば」の違いとは?」に詳しく書かれている。
「もりそば」は「かけそば」との区別から出来たようだ。もともと、「そばは汁につけて食べる「つけ麺」スタイルだった」。
江戸・元禄時代に入って、「この食べ方がめんどうになった人たちが、汁をそばに直接かけて食べ始め」、「ぶっかけそば」と称された。「ぶっかけそば」が略されて「かけそば」になる」。こちらが主流になってきた。
「その「かけそば」と区別するべく、汁につけて食べるそばを「もりそば」と呼ぶように」。なるほど〜〜〜。
するとその下に「「ざるそば」はどう違う?」とある。そうだよね。
「ざるそばの元祖は江戸時代初期、東京・深川にあった伊勢屋が、せいろや皿でなく「竹ざる」にそばを盛って出すので、「ざるそば」と名づけられた」。へぇ〜。
「ざるそばは明治時代から海苔をかけるように」。「最初に「かけそば」が出てきたため、それと区別するために「もりそば」が生まれる。そののち、今までの皿でなく、ざるに乗せて提供するそばを「ざるそば」と呼ぶようになった」。
「まつや」さんでは、海苔がかかっているのが「ざるそば」だそうです。海苔好きなので、こちらで良かった!
北川歯科クリニック@新宿御苑前
あじいち@新中野
「あじいち」さんに行きましょう。
コセリ@新中野
ランチは「アジアン・エスニックレストラン&バー コセリ」さん。
歌舞伎座・2021年3月 三月大歌舞伎(第三部)
第三部を予約している。18時30分から始まる。まだ15時だ。早すぎる、、、。恒例の歌舞伎座写真を撮ろう。
時間は早いが歩き疲れだ。「歌舞伎茶屋」さんでアイスコーヒーを頂く。
17時過ぎた。さてっと「カレーうどん」お願いします。「少なめに」。700円。
18時の5分前、サ、行きましょう。
一、楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
石川五右衛門:中村吉右衛門
右忠太:中村歌昇
左忠太:中村種之助
真柴久吉:松本幸四郎
15分という短い演目。吉右衛門の五右衛門、幸四郎の久吉だ。良い配役です。「桜の咲き誇る、南禅寺山門の楼上」。絢爛豪華な舞台。良いですねぇ〜。「絶景かな、絶景かな」。五右衛門の名ぜりふ。これを聞きにきた方も多いと思います。幸四郎も、ドンドン幸四郎になっていく。この演目は安永7年(1778年)4月に上演され、250年になる。
休憩時間に3階まで上がってみる。写真だ。十八代勘三郎さん、十二代團十郎さん、十代三津五郎さん、若いよ、若すぎる。今もその芸を見ていたかったなぁ。
二、(Bプロ)
上 雪(ゆき)
芸妓:坂東玉三郎
下 鐘ヶ岬(かねがみさき)
清姫:坂東玉三郎
今月のお目当て。地唄舞だそうです。「地唄舞普及協会」のページによると「地唄舞は、女性が育みそだてた芸能。お座敷の狭い空間で、子女の作法、嗜み(たしなみ)から芸能へと発展したもの。大変、繊細な、そして息使い(間)がとても大事な芸能」とあります。
「雪」は踊りが途切れない。ずーっと、どこかが動いて、そして次の動きへと誘導していく。静かに、静かに。狭い空間であっても、ドタバタしない、スーっとした動きは何というか優雅な感じ。十八世紀後半に「峰崎勾当」が作曲。その後、舞が振り付けられ、地唄舞としてもよく演じられる。西日本で踊られていたのが、明治以降に三味線の曲とともに東京へ。地唄にさほど馴染みのない東京でも広がったそうです。白い衣装、黒の帯。そして傘。絵のような佇まいです。踊りとしては難しいよね。優雅に舞い続ける。見入りました。
「鐘ヶ岬」は、雪よりは動きがある。「京鹿子娘道成寺」の佇まい。玉三郎の道成寺を見たのはいつが最後だろう? 「鐘ヶ岬」は「道成寺」の後編というか、道成寺の女がその後、再び鐘の前に現れるところから始まる。女の持つ執念の恐ろしさの中に、一途な可愛らしさ、おろかさ、あわれさ、艶やかさといった情感が豊かに盛り込まれている。大きな鐘が舞台には用意されている。素晴らしい舞踊です。
丸の内線・銀座駅まで歩く。そして電車に乗る。良い時間でした。
ウォーキング@会社から歌舞伎座へ
訃報:村上ポンタ秀一さん
ある方のFacebookの記事で知る。村上ポンタ秀一さん亡くなる。まだ70歳。若いよね。凄いドラマーだった。悲しい。寂しい。
2月8日に視床出血により入院し、そして3月9日に亡くなったそうだ。
ご冥福をお祈りします。