能登地震の映像を見て

能登で大きな地震があり、死傷者が出た。
その映像をTVで見ると、半壊・全壊した建物はいずれも古いもので、老人の一人暮らしではないだろうかと想像する。そんな街並みである。

老人の一人暮らしの場合は、建て直す気力も資金もないだろう。これらに携わる行政の人も大変だろうし、当事者の方の精神的なフォローもきちんとやらないといけない。

この方々には子供達もいるだろう。日本は少し前までは親子数世代が(喧嘩しながらも)仲良く暮らしていた。でも今は、私を含めて都会へ出て帰らない。親の方も「気を使うくらいなら一人がいい」などと言ったりする。

老人だけの街。
私の実家の辺りもそうだ。これからあと数十年経つと、そういう人も徐々にいなくなる。そして、その地はどうなってしまうのだろう?日本じゅうのいたるところに、そういうところがある。そして東京は益々、肥大化する。この悲しい構図を映像を見て思う。

読書:瀬古利彦 マラソンの真髄

「瀬古利彦 マラソンの真髄」瀬古利彦・著。
瀬古利彦 マラソンの真髄

世界フィギュアスケート2007女子を昨日と本日TVで観た。
優勝を争う皆さんはまだ10代や20代前半っすよ。
トップアスリートの精神力は観るものを魅了する。

瀬古さんは、当時の日本マラソン男子を引っ張っていた。宗兄弟というライバルと伴に表彰台の高いところにいた。

端から見るとわからない苦悩が、この本にはたくさんある。それは驚きの連続とも言える。

元々は「野球の選手になりたかった」そうだ。中学では野球部に所属している。たまたまた中学校のマラソン大会で(負けるのが悔しいから走る練習をして望んだところ)3年間連続で優勝。それで「市の陸上競技会」に助っ人として参加したところ2000mで優勝。野球は肩をこわして断念せざるを得なかった。

もう野球ができない自分には、陸上しかない。

四日市工業高校時代は、インターハイでは800mと1500mで2連覇。5000mでも2位という成績。

私が瀬古さんを知ったのは、あの早稲田大学のユニフォームを着て走る姿。箱根駅伝では区間新を出し、モスクワオリンピック代表にも選ばれた。順風満帆だと思っていた。

しかしながら瀬古さんは高校卒業後、一般入試で早稲田を受験し、失敗して一浪している。そんな事は知らなかった。いろいろな挫折から始まっていたわけで。

しかも、、、高校時代には「あまり練習しない瀬古君」だった。だからマラソンのような忍耐力を伴うような種目は自分には無理だ、と考えていた。長い距離を走ることが苦手で1500mの選手になろうとしていたのに、早稲田に入ると「君はマラソンをやれ」と言われて「ハイ」と即答してしまったことから、マラソン人生がスタートする。

人生って、わからないもんですね。

最初のフルマラソン大会「京都マラソン」では、2週間前から先生に「餅を食え」と言われ体重が3kg増えた状態で望むという、先生も含めた全員が「マラソン初心者」だったという話。

自分用のスペシャルドリンクなどは用意してなかった。真夏の練習中でさえ水を飲んだことはない。喉が渇いても我慢。水を飲むのは練習が終わってからというのがお決まりで、給水の必要が説かれていない時代だったのだ。

1977年の話ですよ。今から30年前はこういう時代で、そういったところから瀬古選手はスタートしていたのかと思うと、頭が下がる。

その頃に宗兄弟の練習スケジュールを雑誌で見て驚き、刺激を受けて、ジョグの時間を少しずつ増やしていった。

冒頭の「はじめに」の部分で瀬古さんは次のように書いている。

これまで私は、マラソン練習のノウハウや練習メニューは「企業秘密」として、一般に公表したことはなかった。だが、男子マラソンの活性化を願って、ここにすべてを明かす決意をした。それが、今まで陸上界で育てていただいた私の義務だと思っている。

mixi読み逃げゴメン

「mixi読み逃げ」ってダメなの?」を読んで驚いた。

私はmixiは、ほとんどROMユーザ(読むだけユーザ)。
コメントを書いたのは、ほんのわずか。ここで言う「読み逃げ」。

ネット生活も長きに渡り、掲示板、チャット、ブログ、ML、etc…。
書き手と読み手との受け止め方の違いからくるトラブルに何度も見舞われ、mixiが流行る頃にはそういう事にすっかり辟易し、自分では「mixi 消極的ユーザ」と名乗っている。

mixi上に日記を書くことをやめ、言いたいことはこのblogに書く。
これからも、ほとんど「読み逃げゴメン」でいく所存でおりますので、マイミクの皆様すんません。

けどさ、そういうのって個人の自由じゃん! ブヒブヒ。

マラソンの結果

先日の荒川マラソンの結果が出ていた。
5:14:48。女子の(1705人中)1079位。
あら、一人前の人とは1秒差だったのね。
あそこがゴールとわかっていれば、最後のダッシュをしたのだがなー。ま、でも、数秒は誤差っすよ。そもそもスタート地点に到達するまでに10分強経っているわけで。

3/4ハーフの結果も家に届いたので「マラソン大会/出場記録」に追加を。

読書:帝国ホテル 伝統のおもてなし

「帝国ホテル 伝統のおもてなし」川名幸夫、帝国ホテル ホテル事業統括部・著。
帝国ホテル 伝統のおもてなし

私が過去2度(だけ)利用させて頂いた帝国ホテルのサービスは実にすばらしかった。1度は短大卒業の謝恩会、2度目は両親を宿泊させた時。

両親を宿泊させたのはラッキーな価格設定の時。2000年冬の日曜日に夫婦で泊まると安くなる「夫婦でのんびりサンデー」を利用。さらにもう一泊するともっと安い。2人の年齢を足して110歳以上の場合は眺めの良い部屋に泊めて頂ける、という嬉しいサービスだった。

今にして思えば、この時の東京旅行が両親への私の最大の親孝行だったのではないだろうか。なによりも帝国ホテルの優しいサービスが、私の代わりに親孝行をしてくれた。

足がだいぶ弱った父にホテルで車椅子を借りた。父の身体を気遣って、ホテルで過ごす時間が多い。ホテルで食事をとり、ホテルでショッピングをし、その先々で父の車椅子が通りやすいように、皆様に助けられた。その優しいサービスは私達家族の心に深く残り、もう東京に行くことの出来ないほど弱ってしまった父に、「また東京に行こうね、帝国ホテルに泊まろうね」と話すと、にわかに元気が戻ったものだ。

もう一度、母を泊めてあげたいと思うが、あんな安いサービスはその後、見当たらないので、私がしっかり稼いで、泊めてあげようと思うのであります。

その帝国ホテルのサービスは本当にすばらしい。それは次のような文書からも読み取れる。

(オールドインペリアルバーでは)二杯目からは、お代わりを承った時のグラスの位置を覚えておき、その位置に置きます。お客さまは、必ずと言っていいほど自分のグラスの位置というものをもっています。一杯目を標準位置に置いた後、その自分の好みの位置にグラスをずらすのです。バーテンダーはその位置を見逃さず、記憶します。

客室から出るごみはお客さまがホテルを出発された後、もう一泊します。

「お客さまとホテルスタッフの間には、丸太が一本あることを忘れるな」と先輩から教えられてきました。どんなに近しくなっても超えてはならない一線がお客さまとの間にはある。親しいからといって、立ち入りすぎてはいけない。程よい関係を保て、ということです。

この本にはそういった徹底したサービスが詰まっている。そしてこれが伝統として先輩から後輩へキチっと伝わっていることはすばらしい。なんとか母をもう一度、泊めてあげたいと思うのであります。

荒川マラソンを振り返った

荒川マラソンから1日おいての本日、筋肉痛はいくらか和らぎ、改めて振り返ってみた。

なんと言っても「荒川マラソンはフルマラソン初心者に優しい大会」だった。その根拠は次の通りで、これからフルマラソンを走ってみたい方のご参考になれば幸いです。

・距離表示がこまやか
  1~2kmごとに距離表示がある。
  初心者は距離感がわからないから、これは嬉しい。
  給水ポイントの手前には、必ず「給水まであと300m」表示がある。
  「給水ポイント」目指して(エサにつられて(^^;)がんばるのダー。

・給水ポイントが適切
  水の補給が大事なことは頭ではわかっている。
  しかしながら初心者はどのタイミングが適切かがわかってない。
  用意されたポイントが適切なので助かった。
  給水ポイントでは1口だけでも水を補給したことが良かった。

・食料の充実
  これが実にすばらしい。
  9時スタートで、5時間走ると2時。
  朝飯は6時頃に食べているから、腹が減る。
  熟練者はポケットに食料を持って走るが、初心者はよくわかってない。
  「東京マラソン」ではバナナがなくなったらしい。
  荒川では、適切に食料が配置されていて空腹に悩むことがなかった。

・救護所の数が多い
  初心者は、どんなアクシデントが発生するかわからない。
  救護所があちこちにあるのは非常に助かる。
  (私は利用はしなかったが)とても安心感があった。
  ゴール手前には、椅子を並べて「休憩所」なるものまであった。
  「ここで休んで笑顔でゴールしましょう」と書かれている。
  無理をせずに完走することが大事だという運営の方々の心配り。

・仮設トイレは適切に配置
  (私は利用しなかったが)
  トイレは仮設トイレが適切に配置されていた。
  男性は川に向かった自然の場所で用を足す人もいたけどね。

・制限時間が7時間
  なんといっても、これこれ。
  7時間を歩けば、それだけで35km程度はいけるらしい。
  歩いてもゴールするゾ!という気持ちが初心者にはありがたい。

・自宅から近くで開催
  実は最初のマラソンは「ホノルル」を目指していたのだ。
  でもハーフを走ってみると、走った後はゆっくり自宅で休みたい。
  「東京マラソン」は抽選にはずれたが、荒川は先着順で受け付け。
  交通費、宿泊費、有給休暇などを考えると最初は自宅近くは良い。

・参加者が多い
  初心者には大勢の人と走ることで「がんばる気持ち」が出る。
  ゴールまで、皆さんとジョギングしているような感覚だった。
  (一人旅は精神的にきつい)

・感謝・感謝のボランティアの皆様
  沿道での声援、行き帰りの路上、受付、ゴール、給水ポイント、etc…
  ボランティアの皆様がとても暖かくて感謝です。
  私のように5時間以上かかる者達には特に助けられました。
  ありがとうございます。

当日の帰り道は「あー、もうフルマラソンはいいや。念願も達成したことだし。」と思ったが、なんですかねー、筋肉痛が癒えてきたら(喉元すぎれば何とやらで)、「次回は…」なーんて考えている。人間ってのはタフだなー。

Aさんを囲む会(Tチャン食事会)

LAから帰ってらしたAさんを囲む会が丸ビル「ななは」で開催された。
AさんとTチャン以外は全員女性という華やかな会。

ここに集まる女性は(私以外の皆さんは)、バリバリのキャリアを持ち、前向きに生きていて、元気のオーラが出まくり。すばらしい。

初参加の方もいらしたので、まずは自己紹介。
「ではオヤマさんから」ってことになり、名前や会社名などを話した後は「昨日、フルマラソンを走りまして」って言っちゃいました。皆さん、健康に気をつけているので、そちらの話に盛り上がり、では次の方へと。。。

私以外は、「こういう仕事をしています」としっかり自己紹介されていて、あー、もっとテレパスのことを紹介すべきだったワン。社長としてダメダメ。トホホ。

Aさんは、知識は広く、交友関係が広く、記憶力はすばらしく良くて、63歳とおっしゃっていたが、若いモンには負けない気迫がビンビン出まくり。私がお会いするのは2度目。1度目も強烈な印象だったが今回もすごい。

Aさんは事業で大成功を納めていて、海外にも拠点がある。
その方から「女性だけで会社を作った方がいい業種もある」というお言葉を頂いた。「例えば、こういう仕事やああいう仕事」とズバズバと上げる(すみません。ここんとこは伏せておきます)。

なるほど、なるほど。
案外と女性の方がそういう事に気付いていないのかもしれない。女性の力が社会の中で発揮しきれていないのは、我々女性自身に、力を発揮しないでいる何か既成概念のようなものが、はびこっているのかもしれない。

Aさんと、某大手マーケティング本部長のIさん(女性)が、人と話をする時(大事な時)は「呼吸を合わせるとうまくいく」と話していた。その呼吸法について、以前、何かの本で読んだことがある。明日から私もやってみよう。

それにしてもTチャンのおかげで、このような会に参加させて頂きまして感謝しております。

第10回記念大会/東京・荒川市民マラソンinITABASHI

「第10回記念大会/東京・荒川市民マラソンinITABASHI」に出場した。

完走した!
おおよそ5時間15分くらい。

「いつかはフルマラソン」と思っていたので嬉しい〜!
足はボロボロー。

朝の天気予報では「本日は晴れ」
ただし「風が強い」とな。オーマイガー。

JR埼京線・各駅停車の「大宮行き」は「出場者」と思しき人で混んでいる。JR浮間舟渡駅を降りて、15分歩いたところ荒川河川敷が本日の会場。

うおー、すごい人・人・人。
受付に行こうにもなかなか進まない。

ゼッケン番号は「17084」
申し込み時に「予想タイム」なるものを自己申告し、それを元に決められているようだ。私は(制限時間7時間ギリギリの)「6時間59分」で申込をしている。
ゼッケン番号

これを胸と背中に付けて、軽く柔軟体操をして荷物を預ける。ものすごく混んでいる。事前にトイレも行きたいし。女性専用トイレ。ここも長い列。サ、準備OK! いざイザ!

と思ったら、17000代は最後尾。なかなか進まない。
「スタート5分前」えーーー。
「3分前」そんなーーー。
「2分前」諦めモード。
「1分前」うーーむ。

「スタート」の直前にやっと自分の列に到達。今日、この場に立てたことに感謝する。

会場はとてもいい雰囲気。
キッズ大会もあるからか、少年少女の合唱やバトンガールズ(←今もこの呼び名でいいのかな?)などを披露。

路上には「太鼓」や「バンド」や、一人で演奏をしてエールを送る人などがいて、なごやか。
今日は「ゆっくり」行くことにしていて、1kmを7〜8分が目安。

ゆっくりペースなのでイイ感じで進む。いつもより1枚多く着てるが、ちょっと暑いかも。いんや、最後までわからないし。時折、強風が吹いているし。

21kmを過ぎて折り返し。
折り返し直後は、荒川河川敷の上の土手を走る。その時は「突風」ヒエー。息が出来ない。前を行く人の身体も斜めってる。

帽子とイヤホンを押さえながら走る。大雨も大変だが、強風も辛いっすねー。
これまでハーフまでしか走ってないから、いよいよ未知の世界へ。

給水ポイントには、距離ごとに食料が置いてある。バナナ、オレンジ、パン、おにぎり(もあったようだ)、シャーベット(は食べなかった。お腹こわしそうで)、飴、チョコレート、ビスケット、etc..。これは本当に助かる。結構、食べた。

25kmでかなり力尽きている。そこで給水ポイントでは歩きながら水を飲み、少々ストレッチを加えることにした。会社のY君は30kmからが大変と言っていたが、私は25kmですでに大変。

折り返した後の風は向かい風。かなり強い。こりゃー、風との戦いだのー。1枚余計に着ているのは正解だった。この大会は過去に出場した大会の中で最も人が多く、集団の中で走るのは精神的な支えになる。荒川河川敷は思ったよりも狭くて、みんなでジョギングしているような感じ。

あと5kmが見えた。隣の男性が「あと5kmか。なげ〜なー」と叫ぶ。同感。
歩いている人が多くなる。私は相変わらず給水ポイントでストレッチを加えるものの、弱々しく走り続ける。ゆっくりでいいから走ろう〜。

あと2km。
ラスト2kmからスピードを上げようと思ったのはレース前の話。実際には足が硬直したまま動かない。最後の1km。まわりの人が早くなる。私も少しだけピッチを上げてみる。

ゴールと思しき丸いアーチが見えた。遠い。
丸いアーチ

と思ったら、そのアーチはゴールではなくて、その20〜30m手前のこちらがゴールでしたとサ。ゴールの文字が風ではためいて、よく見えず。ラストスパートをかけようと思ったら、ゴールしてたって感じ。
ゴール

会場はこんな感じ。
会場の様子

ゴール直後のあたくし。
ゴール後の私

時間は5時間14分代のようだ。正確なタイムは公式結果を待つとしよう。

少し休んで帰宅。
JR浮間舟渡への徒歩15分がおそろしく長く感じた。
新宿駅の乗り換えは悪夢のようだった。階段の上り下り、多くの人と人とがぶつかる。若いお嬢さんの(かたい)鞄が足を直撃するも、よける力なし。

新宿駅・丸ノ内線への乗り換えは階段を降りる・降りる。新中野は階段を上がる。
東京は身体が弱い人には辛い街だなーと思いつつ。家に到着。

小太郎クン、完走したゼィ!

マラソン完走クラブ(3回目)

マラソン完走クラブ」の「第22回 代々木ランニングクリニック」 に参加した。明日の荒川マラソンの前日調整トレーニングが目的。

「調整」のはずが、(まわりが早いので)ムキになってしまい、帰ったらすでに筋肉痛が…。
明日(のフルマラソン)、どーすんのよ>アタシ。

とにかく洗濯機をまわし、風呂に入り、iPodを充電しつつ入ってる曲の見直しなどを。モチベーションが上がるものを中心に入れ替え。そして、辛くなった時には泣きながら走る曲も入れて。

昨年の荒川に出た人の話では、
「風がすごかった」「突風だったよね」とな。
「最後は向かい風、同じ季節に開催するんだから、毎回これは同じだよ」とな。
「急な(短い)アップダウンがあって記録を狙う人は辛いかも」とな。
「食べ物がたくさんあって楽しかった」とな。

明日は最後までたどり着くことだけが目標。
クリール」にマラソンクリニックのスタッフの方が書いた記事「春マラソン攻略ガイド(荒川)」を今一度読み、ため息をついておりまする。フルマラソンを走るべき足が出来てないのねー。無茶を承知の明日でござんす。