母校/宮城県立鼎が浦高校(女子高)が創立80周年だそうで、記念の冊子が届いた。そして、鼎高は男子校と統合されてなくなってしまう。
写真には、大正時代の袴姿のハイカラさんから、現代の高校生まで地元の女学生の屈託のない笑顔がある。明治時代から数えると80年以上になるようだが、女学校といわれた辺りから数えて今年がキリのよい80年。そして、地元の男子校に吸収されることが決まっている。
少子化と、私達が卒業した後で男女共学の新設校が出来たことによる。
気仙沼高校(男子校)に対して、気仙沼女子高校という名で始まったようだが、定時制は共学だったことから「女子」の名前がとれ、名称が変わった。戦後決まった制服だけは変わることがなかったから、世代を越えて、そのセーラー服を着た。制服に愛着を持つ同窓生は多い。
別に「女子高」に行きたかったわけではなく、「女子高しかなかった」から行った。それだけだ。しかし、結果的に良かった。学校内に男子はいないから、生徒会長も行事に関する実行委員もすべて女子だけで行う。男子がいたら、頼ってしまったかもしれないであろう肉体労働も自分達でこなす。自立する女性の基礎が造られたように思う。
あの3年間があったから、今の自分があるように思う。不登校問題は、まったく考えられなかった。学校が楽しかった(ただ、試験の時だけは行きたくなかったな~)。