「第13回 気仙沼を元気にする会オンライン」開催します!

「第13回 気仙沼を元気にする会オンライン」を開催します!

日 時:10月8日(土)AM10:00 〜 12:20
会 場:Zoom
参加費:無料
司 会:佐藤千晶(フリーアナウンサー)
講 演:復興と今後の課題:菅原茂 気仙沼市長
    市内外の取り組み事例紹介
       株式会社カネダイ:佐藤俊輔・佐藤恭子
       シャークス:熊谷牧子

詳細とお申込はこちらからお願いします。

そして、そして、気仙沼の特産品(本来なら5,000円ほどする商品が)4,200円で販売。こちらは発売を完了しました。すみません。

気仙沼会・9月定例会(第18回)

気仙沼会の第18回定例会。今月もZoom会議。

10月8日(土)に「気仙沼を元気にする会」を開催する。もう日にちがないので大急ぎで準備。会員の皆様に助けて頂いている。皆様、」ありがとうございます。これから告知・連絡をしなければ。頑張ります!

気仙沼会・8月定例会(第17回)

気仙沼会の第17回定例会。今月もZoom会議。あら、今日は参加者が少ない。ガク。しかし、しかし、久しぶりに参加された方がいて嬉しい〜〜〜です!

「気仙沼を元気にする会」の相談をする。意見が分かれた。よく考えて結論を出さなければ。私の頭の回転は悪く即答出来ない。即答出来ないとイライラさせてしまう。それでも、ちゃんと考えてから返答します。ごめんなさい。いろいろ難しい役目でございます。

亡き祖父の誕生日

明治39年生まれの亡き祖父。生きていれば116歳か。祖父を覚えている孫は私と弟だけだ。弟はまだ幼稚園だったから、ほとんど覚えていないだろうか。

祖父はオヤマ家の中で「神」だった。何でも「おじいちゃんから」始まる。お風呂に入る順番は一番。ご飯を食べる時も「頂きます」を言う。そして私達も食べる。私は昭和36年生まれだが、家の中は明治時代だった気がする。

おじいちゃん、そちらはどうですか。こっちは本当に大変です。

結婚記念日とダンナ誕生日2022

結婚して12周年! そしてダンナの誕生日。61歳。おめでとう。気仙沼の弟も誕生日! おめでとう〜!

夕食は銀座「ベージュ アラン・デュカス 東京」です。ミシュラン2つ星です。ホホホ。18時に予約。

シャネルのビルの10階でございます。

建物の右側に入り口がある。が、時間が早くて開いてない。ガク。近くのアップルストアで冷やかしながら時間を潰し、再び、Go。開いてました。

席に通されまして、お手拭き。

テーブルはこんな感じです。

ダンナはワインとかシャンパンとか飲めないので生ビール。

私はシャンパン。Blason Rose

毎回、行っている「あの式典で読んだ文書を読み上げる」のだが、すぐに次のお料理が出て来て、ゆっくり読めない。次回からは「朝、家で読もうか」などと話している。

前菜。

どの席も外が見れるように配置されている。左側には「BVLGARI」、そして「adidas」。外を見てるだけでも楽しいね。

テーブルには小さな灯り。

こちらはバター。

私も生ビールを頂きます。

テーブルの横でパンを切ってくださいました。

そのパンがこちら。

アミューズ・ブーシュ。

パンのお代わりはこちら。美味しくてダンナはパンを食べ過ぎ(^ー^)。

車海老、キンメダイとホウボウのユール、キュウリとメロン。

アオリイカのグリニエとイワシの燻製、ズッキーニとアボカド、キャビア。

このナイフが普通に考えるのと逆なんですよ。間違えると切れない。面白い。

白ワインを頂きます。

Riesling Cuves Thao Weinbach。

スジアラと季節の野菜、ソースヴァンジョーヌ。

赤ワインを頂きます。

Vin Rouge。

ダンナはハイボール。

ダンナは、兵庫県 田中久工氏の神戸牛。

私は、フランス産鴨、トマトのローストとジロール萱。

61歳になったダンナ。

チーズカットはまたお席のそばでやってくださいました。

チーズ。

膝掛けの新しいのが出ました。

新しいお手拭き。

デザート。

記念の写真をパチリ。

デザートは続きます。

こんな感じで並べて食べます。

私には「Happy Wedding」、ダンナには「Happy Birthday」。

ダンナは、アメリカン・コーヒー。

私は、ブレンド・コーヒー。

こちらはお土産にして頂きました。お家でも美味しい〜!

サァ、また一年、よろしくお願いします!

母方の祖父の命日

本日は、母方の祖父の命日。昭和40年に亡くなったから、もう、とっくに50回忌は過ぎた。その日は弟の一歳の誕生日だった。

祖父のことを覚えているのは孫の中では私一人だ。私は初孫だから、それはもう可愛がってもらった。母の家の子のようにいつも遊んでもらっていた。オヤマ家は忙しくて孫の世話どころではなかったかもしれない。

母方の祖父母のところで小さい頃に過ごしたことが、今の私を形作るのに役立ったように思う。例えば「褒められる」。何をしても「上手、上手」。何だって下手だったろうと思うが、そんな私をひたすら褒めて育ててくれた。よくある日本の家とは違う教育がそこにはあった。それは祖父のおかげだったように思う。

祖父が長生きしていたら、どうだったろうと思うことは何度もある。少なくとも叔父は大学を辞めずに卒業しただろう。次男の叔父も学費の心配をせずに大学を選べただろう。私はどうだろう、さらにワガママな娘に育っただろうか? ご冥福をお祈りします。

母方の祖母の命日

母方の祖母の命日だ。

波瀾万丈な祖母でした。幼い頃はお金持ちの家に生まれたお嬢さんだった。それが、「保証人になった」とかの不運で倒産に。母親が亡くなり、祖母と妹は父親と生き延びる。そして、父親に後妻さん。そこに男の子が生まれる。それなのに、男の子は戦争に行き、ガダルカナル島で戦死。祖母が生まれた家は跡取りが亡くなり、終わってしまう。母と私達は毎年、お墓参りに行っている。

祖母が結婚した私の祖父は戦争に行くも元気で帰って来た。母には弟が二人出来た。しかしながら祖父は癌を患い、若くして亡くなってしまった。

息子も、末っ子が癌で亡くなり、そして長男も癌で亡くなった。長男が元気なうちに「死にたい」と話し、それが現実になった。祖母の葬儀は長男が喪主として立派に行われた。多くの悲しみを背負った人生でしたね。

おばあちゃん、そちらはどうですか?