気仙沼は音楽の街

今日の夜は家族で食事をします!
気仙沼に帰ったというのに、家族はほったらかしで、いつも申し訳ございません。

あぁぁ、でも、、、
復興 屋台村 気仙沼横丁」では、友人、知人らがライブをしています。

しかも、この寒いのに外です(^ー^)。
ちょこっと見ていきましょう。

ちょうど、「きりぎりす」さんがライブをしていました。
同級生がギターを弾いて、千葉出身で最近、気仙沼に移り住んだイトウ君がカフォンを叩いています。
いいね、いいね(^ー^)。

その後は、ランプシェードです。
気仙沼のJazzメン。
こちらにゲスト出演しているサックスさんが、実にすばらしい!!!
これは驚きました。気仙沼でこんなにすばらしい演奏を聴くとは。

最後までいたかったのですが、家族から電話。
「あんだ、どごさ、いんの?(どこにいるのですか?)」
「復興横丁」
「エエエ! 早ぐ、帰ってだいん」とな。

はーい。後ろ髪引かれながら、ライブ会場をあとにしたのでございます。

そうして、家族と食事。
甥たちは、ますます頼もしくなりました。
もうすぐ、(やっと当たった)仮設に引っ越しをするそうです。
バラバラになっていた家族が、やっと一緒になれるのかな?

まだまだ、大変な状況でございます。
皆様、お身体に気をつけて。

気仙沼で「第9回ひとめぐりツアー」に参加

気仙沼の若者達達の「気楽会」が主催する気楽会の観光案内課「第9回ひとめぐりツアー」に参加しました。

気仙沼市内を歩きながら見てまわり、途中で被災した方々の「その時の様子」を聞かせていただくという企画です。
このツアーはボランティアなんですよ。すばらしい企画です。
歩いてまわるので交通費もかかりません。

11時に気仙沼市役所前に集合。
参加者の自己紹介などをしていると、そこに忙しそうな市長さんが通りかかりました。
日曜日なのに大変ですね。
私たちを見つけると、挨拶をしてくださいました。ありがとうございます。

市役所前を出発して八日町、通りの壁に写真がたくさん展示してあります。
この仕掛人でもある斎藤さんが説明をしてくださいました。

フランスのストリートアーティスト「JR」さんは巨大な写真を壁や屋根に貼りつける手法によるグラフィティ作品を制作するアーティスト。その方の支援で、今、町中にこのような展示があって、目を引きます。

南町を通り、河原田を抜けて「コヤマ菓子店」の跡地です。
気楽会の代表の小山さんのお店でした。

ここを始めて訪れた参加者は「何もない状態」に、それほどの違和感はないと思いますが、毎年恒例の夏祭の賑わい写真を見せてもらったら、そのあまりの変貌ぶりに絶句されていました。

小山さんは、河北新報ビルに逃げ込んだそうです。そちらには70名ほどの人が詰めていたとか。しかも、ほとんどがお年寄りで、若い人は5名ほどしかいなかったそうです。

半分パニックになりかかっているお年寄りを3つの班に分けて、部屋に入っていただき、波が引くのを待ってから、命綱を付けるなどして高台に逃げたそうですが、お年寄りの皆さんが全員無事だったのは本当に良かったですね。

小山さんいわく「こんな若輩者に、ご年配の方が従ってくださったのは、日頃のコミュニケーションだったと思います」と。この地域は普段からお祭り開催など、協力体制が出来ていたので、あのような状況の中、暴走する人もなく一致団結出来たのであろうと分析していました。

それから魚市場方面に歩きます。
こちらにも、さまざまな写真が貼られていて目をひきます。
中でも特に目を引くのは「磯屋水産」の安藤さん。
ついつい写真に見入っておりましたら、ジャカジャーン、そこに安藤さんご本人が登場。これにはヤンヤの拍手です。

安藤さん。黄色い長靴がおしゃれです。
左後ろに安藤さんの写真が見えますか?

安藤さんもお話をしてくださいました。
驚きましたのは、安藤さんは「日頃から防災を考えていた」そうで、「水や非常食はいつも会社に用意していた」のだそうです。

それは山内ヒロヤスさんが書いた「砂の城」という本を読み、またヒロヤスさんと懇意にしている中で、「三陸にはいつ津波が来てもおかしくない」という備えが普段から出来ていたのだそうです。

家族、従業員の逃げる先も皆の合意がきちんととれていて、同じ経営者として大変に尊敬します。私もすぐに見直しをしなければならないと強く思いました。安藤さん、すばらしいお話ありがとうございました。
それから海沿いを魚町方面に向かって歩きます。
ちょうど良い時間になりまして「気仙沼プラザホテル」の「海舟」さんにて昼食です。

参加者は、「4色丼」とか海の幸を頂きます。
スタッフさんはラーメンとか(^ー^)。海の幸以外を注文されてました。
こちらが4色丼。

Joeさんが頼んだ「さんまのお刺身」も頂きました。ありがとうございました。

「気仙沼プラザホテル」のある高台から「五十鈴神社(おしめさん)」の赤い欄干を見ながら下ります。
魚町を通る時に「ここが私の実家の跡地」と話しますと、東京からいらした友人達は「エー、こんなに海のそば!」と驚かれていました。
この何もないところが跡地。

おしめさんの裏を通って、鹿折に向かいます。
ここには「かもめ通り商店街」がありました。今は何もありません。

その一角に「すがとよ酒店」さんがありました。今はプレハブを建てて、写真を展示しています。

そちらには「第2回恋文大賞」で「あなたへ」を書いて大賞をとられたお母さんと次男さんが迎えてくださいました。

今日は肌寒いので、お母さんが皆さんにコーヒーをふるまってくださいました。
それが暖かくて、暖かくて、ありがとうございます。
お店の跡地に立って、お父さんが見つかった辺りを指差して教えていただきました。あんなに近くにいらしたのですね。何ヶ月も見つからなくて、そうしていよいよ、ある建物が撤去される時に、そこに見つかったそうです。何とも言えない気持ちになりました。

それから鹿折にあがった「大型船」に参ります。
何度、ここを訪れても、胸がしめつけられる思いです。
この大型船はどうするのか、まだ結論は出ていないようです。
だいぶ錆び付いて来ましたね。

船主は、皆さんにご迷惑をかけてしまったこの姿を一日でも早く撤去して欲しいそうです。
ここに家があった方々も、もう船を見たくないと思います。
けれど、ここまで船が、しかも、これだけ大きな船が打ち上がってしまったのだということを記憶として残すためにも、市長さんは大型船を残そうという気持ちもあるようです。しかしながら、維持費もかかるらしく、市の財政を考えると、難しい問題です。

他にメモリアルになるような何かが出来ないものでしょうか。

鹿折から線路の上を歩いて、太田に抜けます。
この線路は大船渡線のものでした。いまは使われていない線路。
震災の直後は、ここを大勢の人が歩いて行き来していたそうです。

すがとよ酒店さんは太田に、仮の店舗をかまえています。
そちらにも立ち寄りまして、お土産にお酒を買って郵送して頂く手続きをしました。

こちらは新製品だそうです。
気仙沼に2つある造り酒屋が同じ名前の「恋文」で商品化したそうです。
会社におみやげに買いました。どんな味がするのでしょう。

ツアーの最後は八日町の「マルト齊藤茶舗」さんです。
あの大震災で2階まで水が押し寄せたそうですが、奇跡的に建物が残りました。
この辺りには、こういった古い建物が多かったのですが、残ったのは本当にわずかです。

暖かい「お汁粉とお茶」を頂きました。
今回、実費としてかかったのは、途中の昼食代と、こちらのお茶代(300円)だけです。

皆さんが動いてくださったのは、全部、ボランティア。
内容はとても濃いものでした。

皆で感想を言い合いました。
このツアーは12月から3月までは(寒すぎるので)いったんお休みで、4月から再開するそうです。
来年はまた新しい企画も考えているそうです。

気仙沼にお立ち寄りの際には、ぜひ、ご参加くださいませ。
皆様、本当にありがとうございました。

このバッジは、オリジナルの参加賞バッジです。かわいい!

Macで音楽クラブの皆さんと気仙沼めぐり

AUGM気仙沼には、Macで音楽クラブの皆さんが大勢いらしてくださいました。
ほとんどの方が、はじめての気仙沼です。

今は何もなくなってしまったけれど市内を、ポールの車に乗せて頂いて、一緒にご案内しました。

ストウさんが持っているのは、地元で有名な「クリームサンド」です。
私達には、なじみの味です。これを食べて大きくなりました(^ー^)。

このクリスタルビレッジヨシダ(通称ヨシダビル」のおかげで弟が助かりました。
まわりは何もなくなってしまったけれど、このビルだけが、まだ残っています。
壁面には「長い間本当にありがとうございました。」という文字。
あの震災がなければ、今も営業していたでしょうに。

Macで音楽クラブの皆さんは、これから東京に車で帰ります。
長い道中、どうぞ、お気をつけて。